世の中を良くしたいという気持ち

先日フェミニズムに関しての話を聞いていた。その人は自分の大事な人が傷つくような社会は間違っているから、社会が良くなるように働きかけをしたいというようなことを言っていた。端的に言って、世の中を良くしたいという気持ちがあるらしい。

僕にはそれ、全く無い。世の中を良くしたいという気持ちが全く無い。そういうことをしみじみ実感した。例えばその男女差別だとか、人種差別がなくなればいいなーとは思うけれど、そういう社会を実現するために何か働きかけをしようなどとは全く思わない。その人だってもしかすると、自分の身内に関わる具体的なできごとがなければ、僕と同じだったかもしれない。

世の中を良くしようとする働きかけは、例えばデモやロビー活動、署名運動、表現活動、政治家や財界、周りの人や世の中に訴えかける活動、勉強会や講演会を行って意識の共有を図ったり、などがあるのだろうか。それをやっている人についてどうこう意見は持っていないが、自分は全く興味ないなー。

多分、世の中を変えるとか、良くするとか、そもそも世の中に対してあまり興味がないんだろうなと思う。僕はしかたなく生きているけれど、こんな世の中さっさと滅びてしまえばいいと思う。世の中が良くなることなんって、これっぽっちも期待してない。だから世の中を良くする働きかけなんて絶対にしない。

僕がこの世の中に対してあるのは、怨恨だ。世の中が僕を認めようが認めまいが、これから世の中がどれだけ良くなろうと、僕が世の中を認めることはないし、許すこともない。どちらかというと、呪っている。でもそういった姿勢を具体的な行動で示すほど、積極的でもない。ただ憎悪しかない。意識すると疲れるからなるべく無視しようと試みている。