「人に好かれなくてもいい」と言うと、信じてもらえない

らしい。らしいというのは、本当に信じてもらえないのか、僕自身はよく知らない。多くの人は「人に好かれなくてもいい」ということがただの強がりと感じるか、よく理解できないだろう、と言われる。どうやらみんな、人に好かれたいらしい。

ときどき、「なんで人に好かれたいの?」と聞くことがある。すると、「人から好かれると嬉しい」とか「自然に人から好かれたいと思う」とか、そういう答えが返ってくる。僕は個人的に、人に好かれたって厄介なことのほうが多いと思っている。だから、誰でもかんでも好かれたいとは思わない。むしろそういうことはなるべく避けようと思う。人に好かれてもいいことなんて全然ない、というのが持論。厄介な人は関わらないでいてくれたほうが嬉しい。

でも、どうやらそういう話ではないらしい。人に好かれたい人は、「人に好かれてもいいことない」などといった理由云々と関係なく、無意識に「人に好かれたい」という欲求に囚われているそうだ。何故なのだろう?僕の仮説では、一般的には人に好かれることによって、仲良くなり、助け合える手が増え、命の危険が遠ざかり、生活の安全性が増す。つまり自分を守るために無意識に「人に好かれたい」という本能が働くのではないか。ビジネスなどにおいては、人脈が広いと事を運ぶのに有利とされる。あれのもっと原始的なやつが、「人に好かれたい」という本能だと思う。承認欲求とかも多分そこからきている。認められた方が命の危険が遠ざかるから、認められると喜ぶように体ができている。

以上が僕の仮説だけど、それで僕が「人に好かれなくていい」と感じていることも説明がつく。経験上、僕は人から排除されることのほうが多かった。人に好かれようとすると返って嫌われる。安全性を上げるはずの行為が、下げる結果に陥ってしまう。「人に好かれたい」なんて思うことは、意味を成さないどころかむしろ逆効果だった。

自分の本質は人に受け入れられない。そんな自分が人に好かれようとするとマイナスに働く。どちらかと言えば人に認識されないほうが安全だった。だから自分は「人に好かれたい」と思うよりも「目立ちたくない」「他者に存在を認識されたくない」という意識が働く。安全を確保するという本能が、「人に好かれたい」という欲求に結びつかない。僕の場合は。

僕が本質的に人に受け入れられないのは、おそらくだけど共感性が乏しいからだろう。人の言っていることがわからない。人に理解されない。共感性が高い人たちの間で説明不要な輪に、自分は入れない。存在を認識されると、輪を乱す異物として排除される。人と共感できたり、共感したいと思う人は、僕の例は全然参考にならない。

僕がここで言う「人に好かれたい」とは、「不特定多数の人間から無条件に好かれたい」という感情のことを指す。そういう感情は、僕は一切持ち合わせていない。だけど僕も、特定少数の人には好かれたいと思う。対象となるのは、自分が好きな人。自分が好きな相手からは、さすがに好かれたい。そのためには多少の努力もいとわない。それ以外人は心底どうでもいい。全く好意を持たれなくていい。例えば店員とか二度と会わない人とかに、自分のことをどう思われても構わない。

人から好かれるために、自分の本質を隠して擬態する人もいる。僕も仕事上など、どうしても人に好意的な印象を持ってもらわないといけないときは、擬態するようにしている。それ以外ではなるべくやらないけど、人によってはずっと擬態したままの人もいるんじゃないか。僕はそうやって人に好かれる人間を演じるのがすごく疲れるから、なるべくやりたくない。いざ好かれても、ボロが出ないようにずっと気をつけていないといけない。そこまでして人に好かれるなんて、とてもじゃないが割りに合わない。

本当に好かれたい相手にも、擬態は使わない。それは擬態が好かれているだけで、自分が好かれているわけではないから、本質的な意味を成さない。擬態の方を好きになられても困るため、素の自分が好かれるように努力する。これがけっこうな労力を要する。そうやすやすと行使できないほどに。そしてなかなかうまくはいかない。だから滅多なことでは人から好かれたいなんて思わないし、やらない。

具体的にどうやるかというと、自己開示するだけ。まずそれができるような関係になる。それまでの段階で、自分の本質が受け入れてもらえそうなのかどうか探る。それから、徐々に自分の中身をさらけ出す。好かれるかどうかは実際やってみないとわからないが、嫌われるかどうかはだいたい分かる。嫌われそうだったら、その段階より前に進めず終了。

それ以外においては、特段人に好かれて喜ぶことがない。似たような文脈で「褒められて嬉しいか?」というのがある。僕の回答は「相手による」「分野による」。誰からでも好かれて嬉しいわけではないのと同じで、誰から褒められても嬉しいわけではない。自分より優れた人から褒められたら、それは価値ある称賛だと思う。そして自分が好きな分野、興味のある分野で褒められると喜びがある。それ以外は特に、なんとも思わない。