これを読んで、自分はどうしていたかなーと思い返していた。僕が就職したのは小泉内閣の時代だった。学生時代に、この日本社会でどう生き抜こうか考えた末、自然に(横並び的に)新卒採用の波に僕は乗っかった。地獄の就職活動を乗り越えて就職し、サラリーマンになった。自分には夢もやりたいことも目指す目標もなかったから、生活とやりたいことの天秤をかけて、みたいな選択はなかった。ただ学生時代が終わり、この先どうすれば生きていけるのか不安で、その解消の手段として就職を選んだだけ。
根底にあったのは「生存」と「不安」だけだったと思う。「自己実現」とか「幸福追求」なんてものは一切なかった。もちろん「成功」も「モテ」も「結婚」もどうでもよかった。望んだことがない。世の中でそういうのを競うゲームが行われていたとしたら、なんとか波に乗るだけ乗って、争わないのが自分だったように思う。表面上はなんとか合わせようとする。けれど本当は興味がない。
この波が資本主義なのだとしたら、それに乗らないことには生存そのものが脅かされる。今生き残るためには本当は興味がなかろうと、就職活動と同じでとりあえず乗らざるを得ない。競争する気がなくても勝ち残るつもりがなくても、ゲームが楽しくなくても、資本主義から降りることは実質不可能だ。
サラリーマンをやめたからといって、どこかで経済活動が必要になってくる。究極的に資本主義から逃れようとすれば、どこかに隠遁して自給自足生活を送るしかない。そんなサヴァイヴ能力があればやっただろうけど、それよりはこの資本主義社会という波に乗っかったほうが簡単だった。心の底から乗っかれなくても、今もそうしている。これは言うならば偽装だろう。生存のため、資本主義社会に生きる一般市民のフリをしている。
僕はこの資本主義人生ゲームがクソゲーだからおもしろくないわけじゃない。ただ興味がなくて、遊びたくない。サッカーでもバスケットでもゲートボールでも、好きなゲーム、やっていて楽しいゲームと、そうではないゲームがあるだろう。僕は「自己実現」「幸福追求」「成功」「モテ」「結婚」といった項目が含まれる資本主義人生ゲームが単純に好きじゃなかったというだけ。その点については、事例に挙げられている『弱キャラ友崎くん』の世界観に全然出てこないのではないか。
実際は僕みたいに、負けるからつまんないとかゲーム性がアンバランスだからおもしろくないとかいった理由は抜きにして、純粋に「資本主義人生ゲーム興味ない」と思っている人は多いと思うんですよね。でも生きるために仕方なく、資本主義人生ゲームに加担せざるを得ないだけの人。そういう人は帝国的生活様式を享受できなかったとしても、決してアンチフェミ・インセル・表現の自由戦士にならない。なぜならそんなものには元々興味がないから。
(僕は結婚したけれど、結婚がしたかったわけではない。一緒にいる手段として結婚しただけで、婚活なんてしたことないし誰とも競争していない。)