生きた証を残したいか?

ときどきこういう話が出てくるので思ったことを。

先日、「されどわれらが日々ー」という本を読んでいた。1964年の古い小説で、人生の無意味さに絶望して生きる気力を失い、自殺する人物が出てくる。もう一人、自分の人生を取り戻すために結婚を断って自活する女性が登場する。主人公はまた別にいて、何にも感動することのない、空虚な人生を自覚的に生きる人。

他にも何人か登場するが、主題となるのはこの三人、主に最初の二人だった。

1.人生に絶望して自殺する人
2.人生を取り戻すためにやり直す人

彼らは生きる意味であったり、生きがいのようなものを求めていた。この小説では「死に臨んで、自分は何を思い出すか」というテーマが鍵となってくる。

これからどんなに努力をして、地位や名誉を築き、幸せな家庭に恵まれたとしても、死ぬ間際に思い出すことは「自分が裏切り者だ」ということ。そのことに絶望して、1.の人物はこれからの人生を生きる気力を失う。

「死に臨んで、自分は何を思い出すか」2. の人物は、何も思い浮かばなかった。これまでの人生において、自分の意志を持たず、考えたり行動するよりも、周りに流されて生きていた。自分が空っぽだと思った。このまま結婚して、何もないまま生涯を終えてしまうと、きっと絶望してしまう。そう思って彼女は結婚を断り、自分の人生を生きることを決めた。

僕が誰に近いかと言うと、3番目の主人公が一番近いと思う。ただ僕はそんなに人生が空虚だとかそういうことに対して、落ち込んだことはない。もともと期待していなかった、と言ったほうが正確かもしれない。

「死に臨んで、自分は何を思い出すか」、というテーマは、自分の「生きた証」のような話かなと思った。「生きた証」がろくでもなかったり、何も残らなかったりすると不安なのだろうか。

少し前になるけれど、はてブに上がっていた不妊治療の記事を読んだ。そこには年老いていく男性の、死に対する不安が書かれていた。

「ふと……ものすごく怖くなったんです。それまで人生の終わりを意識したことはなかったんですが、生まれて初めて、自分は日一日と死に近づいてるんだと実感して。いつか自分という存在は、この世から消えてしまう。それを考えると、ぞっとしました」
夜、寝床で目をつぶると、「自分の体が暗い液体になって、闇に溶けてしまうイメージを想像するようになった」という。
「ああ、僕はここで“途切れる”んだ、と。その恐怖を回避するには、自分の次世代を、つまり子供を作ればいいと思い至ったんです」
石岡さんはその時のことを、「頭の霧が晴れるようだった」と形容した。

個人的にはこの話、すごく迷惑な話だと思った。そんな身勝手な理由で生まれたら、子供からすればたまったもんじゃない。勘弁してくれよと。僕がこの人の子供だったら、お前の勝手な恐怖心に人の人生を巻き込まないでくれと思っただろう。

この男性は、自分の肉体が衰え、いずれ死ぬことによって自分という存在が消えることに恐怖を抱いたそうだ。そして、子を持つことによりそれが解消されると思ったらしい。これも「生きた証」を残したいという話じゃないだろうか。

僕は全然そういうのない。自分が生きた証を残したい、なんて。そんなもん残してどうするんだ。自分がいなくなった後に何が残っていようと、自分はもういないんだから認識も確認もない。生きた証なんて、あってもなくても同じじゃないか。