おもしろい人

おもしろい人ってなんだろうな、と思う。自分の好みでしかなく、他の人が言うところのおもしろい人と、自分にとってのおもしろい人は全然違うという前提で、それでも自分が、誰をどういう基準でおもしろい人認定をしているのか、はっきりしない。考えてみよう。

最近「この人おもしろいんじゃないか」と思った人は、note経由で見かけた人だった。フォロワーとか全然少ない人。このあたりはポイントかも知れない。おもしろい人はフォロワーが少ない(多くない)。メジャー認知度は低い、大衆受けしない。

その人はnoteひとつあたり2万とか3万字書いており、こんなの誰が読むんだよと思う。研究成果とか、論文に近い内容。無料だったり有料で公開している。どうやら本業は別にあり、趣味のようだ。かなり力が入っており、きっと膨大な時間が割かれている。これは楽しいのだろうか?おそらくこういう作業に慣れているのだろう。

僕はそういう文章を書くことに慣れていないから、2千字程度でひーひー言ってる。かつてはてなブログで頻繁に更新していた頃も、更新作業はとても大変な思いをして、時間をかけていた。楽しいかって言うと、大変なことのほうが多い。特に報われるわけでもない。他にやることがなかった。

だから意味もなく無益な文章を平然と2,3万字書かれているのを目の当たりにすると(それは実にしっかりした文章なのだ)、論文とかたくさん書いてきて慣れてるんだろうなーとか、もしくはこの人はいったい何をやっているんだろう?と軽く狂気じみたものも感じる。

「趣味が高じて」とか「好きの発露」とか「熱量」なんて全然感じない。淡々としている。よくまとまっている。しかしはっきり言うと、読んでいてもそんなにおもしろくない。エンターテインメントらしき痕跡はない。ただそれでも、この人はおもしろいんじゃないかという予感がする。まだ確度は低い。

単に、自分ができないことを平然とやってのける人に、憧れや関心を抱いているだけなのか。まあでも自分からすると、その人がどういう姿勢でそんなことをしているのか、興味がある。でも普段から言ってることが難しすぎるから、おそらく理解できない。

おもしろくない人

こんなことはわざわざ書かなくていいんだけど、対比としておもしろくない人。タイムラインを眺めていて、この人本当におもしろくないよなーと、つくづく思う人がいる。それは当の本人も自覚しているようで、もしかしたらそういう扱いにも慣れてるかもしれない。

言い訳するようだけど、その人は直接の知り合いで、5年来の付き合いになる。長らく会っていないが、お互いのタイムラインは見ていてときどきやりとりすることもある。仲が良ければいい人。ただ決定的におもしろくない。話していてもつまらない。

何がそんなにおもしろくないんだろうと考えてみたら、とにかく中身がない。表面的なことしか言わない。あとすぐに人の意見であったり、人の話が出てくる。自分の意見は?自分の頭で考えるということを知らないんじゃないかと思う。もしくは、考えた末に何も出てこないか。自分の意見を表明したり、言語化するのが苦手、というよりも、空っぽな感じがする。意見が元から何もない。

僕も全然興味がない分野の映画を見たりして、おもしろいつまらないどころか、なんにも感想が持てないことがある。なんだったのこれ、自分にはピンとこなかった、って僕なら言う。でもその人は「おもしろかった」などと言う。この人のおもしろいって言葉はなんなの、と思う。

その人は、好きなものが全然見えてこない。感動とか本当にするのかな?僕は何度か泣いている場面に遭遇したことがあるんだけど、なんていうか、他人がこういうふうに言うのは本当によくないと思うんだけど、涙が軽い。徳光和夫か、探偵ナイトスクープやってた頃の西田敏行かと思う。

その人は勉強ができて、仕事もできる。運動もできる。見た目もよく、友達も多い。けれど壊滅的につまらない。自分を肩書や属性で語ろうとする。何かそういうわかりやすい属性がついていると、自分のアピールになると思っているのかもしれない。でもよく話してみると、深みがない。その分野、本当に興味あるの?と思ってしまう。ノリと雰囲気しか感じない。もしくは箔がつくと思っていたのか。まさに箔でしかなかったようだ。

または、自らの能力を生かして、役割で自分を語ろうとする。僕なんかよりよほど有能で、得意不得意はあれど、どの現場でも何らかの形でだいたい重宝する。個人としての面白味には欠けるけれど、人脈もあって役に立つ人間だ。だから初対面なんかでは、この人はきっとプライベートでもユーモアがあって魅力的な人なんじゃないか、と勘違いされる。人の悪口が長くなってきた。

おもしろい人除外認定は、わりとはっきりしている。虚勢を張る人は、まず除外される。雰囲気だけの人とかも除外される。おそらく世の中には、実態や本質よりも「〜風」が重視される場があるのだろう。それは飽くまでおもしろ風でありおもしろい雰囲気であって、おもしろくはない。傾向として、何事もおもしろいおもしろい言う人ほど全然おもしろくない。

個性というか、本人性を感じない人も除外される。その人の要素を感じないということは、別の人、もしくはロボットのような物体と会話をしていることとそんなに変わりがない。世の中には薄味が好きな人もいるだろうし、だいたい人に対しておもしろさなんか求めていない、それこそ役割や能力重視っていう人だっているだろう。僕がそうじゃないというだけで。