久しぶりにサリンジャーを読んだらどうしようもなく好きだった

サリンジャーの何が好きか、どういうところがいいのか、それを説明しょうとすると難しくて、今回は触れていません。

「謎とき サリンジャー」という本が去年話題になり、気になっていた。

長らくサリンジャーを読んでいなかった。「謎とき サリンジャー」を読むなら、「ライ麦畑」や「ナイン・ストーリーズ」をいっそ読み返すかと思った。本屋に行くと「謎とき サリンジャー」の隣に「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」が並んでいた。

「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」は、サリンジャーの短編集というか、選集のようなもの。新潮モダンクラシックスというシリーズから、2018年に刊行されている。

サリンジャーは1965年に現役を退き、以降新作を出していない。なのに2018年に、旧作をまとめただけの本が出た。このタイミングでなぜだろう?出た当時から気にはなっていたものの、買っていなかった。収録されている短編はどれも読んだことがない。「謎とき サリンジャー」を読むにあたって、という口実もでき、併せて買った。

このサンドイッチ・ハプワース

「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」は、僕が買った版で5刷になっていた。めちゃくちゃ人気あるなサリンジャー。現代でサリンジャーなんて誰も読まないと思っていたから、それはすごい勘違いだったようだ。2018年に出た単行本が、この3年で5刷になっている死んだ作家。今でもたくさんの人に読まれている。

この本に収められている短編は、6つが「ライ麦畑」のホールデン絡みの作品。「ライ麦畑」の下敷きのような短編が2つと、他の4つは直接ホールデンの話ではない。ヴィンセント・コールフィールドという兄が、物語の中心になる。舞台は第二次世界大戦。サリンジャーの戦争小説は初めて読んだ。

ナイン・ストーリーズの登場人物にも、帰還兵であったり戦中に亡くなった人物がいる。しかし直接戦争に関わる作品は、読んだことがなかった。これは実に新しい、新鮮な体験だった。「サリンジャー選集」という全集のような本があって、同じ話が一応そこにもおさめられている。ただ1968年から69年に出た非常に古い本であり、翻訳の言葉遣いも古い。2018年に出た「このサンドイッチ」で、最近の翻訳で読めたのはよかった。

そして作家デビュー作「若者たち」、デビュー2年半後の「ロイス・タゲットのロングデビュー」、最後に「ハプワース16、1924年」。「若者たち」「ロイス・タゲットのロングデビュー」は全く独立した短編。「ハプワース」はナイン・ストーリーズのグラース兄弟長男シーモアの話。サリンジャーが世に出した最後の作品でもある。この「ハプワース」はけっこうおかしな話だった。訳者あとがきや、後に読んだ「謎とき サリンジャー」でも触れられているが、発表当時のアメリカでは酷評だったらしい。

内容は、7歳のシーモアがキャンプ場から両親と兄弟に向けて書いた手紙そのもの。それはキャンプ場での生活の様子や、キャンプ場にどれそれの本を図書館で借りて送ってほしいという依頼を書いている(キャンプは確か2ヶ月ぐらいあって長い)。そう言われると普通の手紙のようだけど、まず、とにかくめちゃくちゃ長い。「ハプワース」だけで100ページ近くあり、手紙の長さとしては異常だ。カテゴリも中編小説になっている。

長さだけでなく、内容がとにかく、なんと言えばいいか、おかしい、とち狂っている。7歳のシーモア少年は、僕らの知っている「バナナフィッシュ」の31歳シーモアよりも当然子供らしい。家族に向けた手紙の中では闊達で、おとなしく落ち着いたイメージではない。しかし手紙に書いている内容は、とても7歳とは思えない。7歳どころか、何歳であってもちょっと変だ。こんな子供は知らないし、大人も知らない。でも子供の頃のシーモアってこんな感じだったのか、と思うと腑に落ちるところもある。

謎とき サリンジャー

「謎とき サリンジャー」も読み終えた。評論と言うか、文字通り謎解きをしている本だった。それも主に「ナイン・ストーリーズ」の謎解きだった。「バナナフィッシュ」におけるシーモアの死とは、何だったのか?がメインテーマとなる。

だからこの本を読むにあたっては、「ナイン・ストーリーズ」と、他にグラースサーガと呼ばれる「大工よ〜・シーモア序章」「ハプワース」ぐらいのグラース家にまつわる物語を読んでおくのがベストな状態。僕は「ハプワース」を読んだばかりで取り掛かった。他の話は遠い昔に読んだきり。「バナナフィッシュ」を薄っすらと覚えているぐらいで、他はほとんど忘れている。それでも一応読めた。

まあ、とんでもない内容だった。ネタバレは伏せるけれど、これは普通に小説を読んでいたら絶対に思いつかない。グラース家の作品を全部、一言一句丁寧に読み、意味のわからない言葉を全て参考文献に当たり、その背景をたどり、作品相互に関連づけて初めて結びつく結論だ。こんな包括的な読み方は、研究者じゃなければまず普通はしないし、できない。ナイン・ストーリーズの冒頭のエピグラフの意味なんて、誰がまともに考えただろうか?

二つの手による拍手の音を私たちは知っている。しかし、一つの手による拍手の音とは何か

「ライ麦畑」の項目に関しては強引さも感じる。そしてこの本は、純粋に作品の謎解きで終わった。あくまで作品の読み方に徹底しており、作者の過去の経験との関わりや、意図のような部分には踏み込んでいなかった。また、結論については正直よくわからない。多くの人が「それって結局どういうこと?」と思ったんじゃないだろうか。何がしたかったのか。意味とかはよくわからない。消化不良とも言えるし、これ以上先には進めないとも感じた。

何度も読む

「謎とき」はともかく、もう一度「ナイン・ストーリーズ」を読んでみたいと思った。「ナイン・ストーリーズ」は2009年に柴田元幸訳が出ており、そちらは読んだことがない。「ライ麦畑」と「フラニーとゾーイー」は「キャッチャー・イン・ザ・ライ」と「フラニーとズーイ」となった村上春樹訳を読んだ。その前に野崎孝訳を読んでいる。「ライ麦畑」に至っては、これまで一体何度読んだことだろう。

今回読んだ「このサンドイッチ」は金原瑞人という人の訳。全く初めての人の訳文で読んだ。原文は英語なんだから、めちゃくちゃ頑張れば読めないこともない。本当は一度くらいちゃんと、原文を訳さずに読んだほうがいいのだろう。「謎とき」の著者は原文から謎解きを行っており、原文でしか伝わらないニュアンス(単語の繰り返しや韻の踏み)などからヒントを得ている。

サリンジャーの作品は、僕がもっとも好きな作品の一つであり、こうやって今になっても新しい訳文が出たり、解説が出るのは嬉しい限り。発表しなくなって以降も小説を書き続けたと言われるサリンジャーだけど、未発表作が世に出ることはあるのだろうか。あれば、間違いなく読むだろう。

特別お題「わたしの推し