2023.1.26

なかなか日記がはかどらない。忙しくなくても、結局書く気が起こらない。

ポケモンは学校最強大会に2回勝って、星6のレイドに勝ったらやることなくなった。集めるのとかは、あまり気が向かない。最強レイドは気が遠くなる。準伝説は全部捕まえた。ガチ勢はきっとこっからなんだろうけど、僕は1ヶ月半ぐらい遊んだからもう十分かな。マスターボール使ってなかった。ポケモンホームまで待とうかと思ったけど、あまりいらなそう。

情緒が不安定だ。寒いからではなく、時間が経つにつれて徐々に壊れてきているように思う。元からそうだったか、もっとポンコツだったか。テレビのドキュメンタリーかなにかで、辺境の地ではまだ老人が尊敬されていた。社会が変化していない土地では、経験を積んであらゆる問題も繰り返し対処してきて冷静でいられる老人は重宝される。変化の著しい時代、土地では、過去の知識や経験が通用しないどころか足かせにもなる。経験が無用となり、それ以外のあらゆる面で衰えただけの老人は、社会の負担になっている。

きっと、時代を越えて、社会の変化を越えても有用な知識や経験はある。価値が普遍の知識や経験を活用できれば、時代の流れが早い社会でも老人の有用性は変わらない。ただその、何が有用で無用かが判断できず、埋もれていってしまう。人間の存在価値は機能や労働力だけで測れるわけではないんだけど、この資本主義社会はどうしてもそういう面で回っているため、無視して衣食住は賄えず。世知辛いとはこのことか。

歳を取ることについて思うことは、バックパック旅行の話。ワルシャワのホステルに泊まったとき、60代ぐらいの日本人がいた。その時の宿泊客の中で、おそらく最年長だった。周りの人にもオールドガイと呼ばれていた。彼は一人でホステルに宿泊していたが、後に奥さんと合流すると言っていた。早期にリタイヤして、一年のうちの4ヶ月ほど世界旅行しているらしい。節約のためにホステルに泊まっているとか。

彼いわく「みんな若いうちにしかバックパッカーできないって言うけど、そんなことない」だそうだ。確かに金と体力があれば、低予算の旅行自体は可能だろう。ただ僕はどうも、若い頃のバックパッカーと年取ってからのそれが、同じものとは思えない。若さゆえの新鮮味とかあるだろう。年老いた目で世界を見て、本当に眩しいのか。若さゆえの冒険心もある。シニアになってから無茶する自信がない。ましてや妻帯者ともなると。

旅の目的は様々だと思うけど、僕の場合一つは異文化に触れることだった。旅行先に限らず、旅行者同士の話を聞くことも多かった。僕が利用した宿泊先にはほとんど日本人がおらず、旅行者であっても外国人同士のコミュニケーションばかりだった。そこで僕がシニアだったら、彼らは果たして話しかけて来ただろうか?同じ旅行者として。

バックパッカーは圧倒的に若者が多い。若者同士だから外国人であっても、コミュニケーションに遠慮がない部分は大きい。好き好んで老人と仲良くする人もいるかもしれないが、同じ扱いはされないだろう。こちらから話しかけても同じ。きっと遠慮される。同世代に話しかけようにも、そういう場所にミドルエイジ以上はほとんどいない。僕は当時31才だったけど、それでも周りで最年長のことが多かった。

例えばボスニアに行ったとき、ホステルで同室のフランス人の女の子と朝までお互いの身の上話をしていた。クロアチアでは、ニュージーランド人の女の子に話しかけられたり、スペイン人の女の人にご飯に誘われたりした。タイでもフランス人の女の子に誘われた。カナダでも別のテーブルのカナダ人の女の子に声をかけられて合流した。こういうイベントは、40代以降になるとさすがに起こらないんじゃないか。

というか、若くない自分は、もうそういうのを楽しむ余裕がない。ケベックの、長距離バスを降りたところからホステルまで-10℃以下の中を30分歩くとか、ヨルダンの、空港に朝方着いて反対車線を走るようなタクシーを捕まえ車中でバスターミナルへの行き方を説明するとか、モロッコで、明かりがない夜の道を駅まで30分歩くとか、そういった困難や不安を楽しんだり乗り切るパワーと勢いが、もうない。若いときはそういうのが新鮮だった。

年取ってから、年取ってこその楽しみがあるように、若いときにしか味わえない楽しみが確かにある。