ヒトコトへの回答㊴:㊳の感想

このブログではGoogleフォームからご意見などを頂いております。それをときどき拾って回答してたりします。

88通目:㊳の感想

mm(id:mirumiru200)です。ヒトコトへの回答38を読みました。自分が少しモヤモヤしていた部分を言語化してくださっていて、かなりスッキリしました。言語化や意思疎通を元にした話し合いって面倒で大変ですよね。話し合いはもちろん大切だけど、それを言ってくれる人って少なかったと思います。 書いてある内容がいつも面白く、また自分のブログで引用させていただくことがあるかと思いますがご容赦いただけたらと思います。 機会があれば対談などできたら楽しそうだなと思うのですが、何を話すのか……という感じになると思うので、何か具体的にお話したいことがあればまたご連絡させていただきます。

僕自身は前回の内容にあまり納得いってなくて、もっと芯を打つ言葉があるだろうと思いながら、なかなかそれが思いつかない。僕自身も決して話すのが得意、コミュニケーションが得意というわけではなく、まだ書くほうがまし、それでも的確なことが書けなくて、言葉を探している状態です。

前回の話を延長すれば、僕はどちらかというと具体的な話しかできず、抽象的な話は苦手。抽象的なことを言われても全然わからない。だから「具体的にどういうこと?」とすぐ聞いてしまう。でも抽象的な話が得意な人からすれば、それは具体的な話のフィールドに引き込まれているわけで、不利・不得意な状況に陥る。これは自分が理解するためとは言え、相手には優しくない。だから、なるべく相手のフィールドで話を聞いたり合わせようとしたり汲み取ろうとするのが、人としての愛情なのではないかと最近は考えている。抽象、具体を論理、感情に置き換えても同じことが言える。「わからない」ことはわからないんだけど、わかろうとする、するだけ。「わからない」というあきらめの姿勢から脱却するように心がけている。

それは相手も同じで、なんとか僕に具体的に、論理的に、苦手なフィールドで相手しようと努力してくれているのが伝わってくる。だから僕は、なるべく問い詰めないような努力がいる。具体的、論理的というのはプロセスの話だから、どこまでも突き詰めていける。逆に抽象的、感情的な表現に対して僕はどういう理解を示していけばいいのか、まだ検討がついていない。倣うことなのかな、とぼんやり考えている。おそらくそこに理解なんて概念はないんだろうな、と。倣うだけ。

意思疎通は、僕は希望だと思っていたんだけど、完全な意思疎通は無理だし、お互いの特性に合わしていく方がいいんだなと思うようになりました。僕らは同じ日本語を話しておらず、互いに言葉が通じていないことを忘れないようにしたい。話し合いが面倒で疲れるのはそこでしょうね。何かあれば、またどうぞお気軽に。

これまでのヒトコト、回答をまとめました。