「わかってほしい」はさっさと捨てる

さっさと捨てておけばよかった。せめて十代の内にこの「わかってほしい」という感情にけりを付けていたら、もっと早くから落ち着けていただろうに。

子供の頃からなかなか人にわかってもらえなくて、困っていた。何とかわかってもらえるようにと、いろいろ頑張っていたけど空回りしたり、やればやるほどうまく行かず、人とのコミュニケーションにずっともがいていた。というか、今もわかってもらえることはほとんどない。でも、まあなんとかなるんじゃないかと思えるようになった。

「わかってほしい」というのは自分の気持ちだけの問題で、わかってもらえないと困ることは、実はそんなになかった。いつ頃からか「わかってほしい」という気持ちを満足させる必要がないことに気づいた。誰にもわかってもらえなくたって、なんとかなる。むしろ必要なことは、わかってもらうことよりも行動すること、実行すること、遂行することだったように思う。ただ淡々と目の前のことに向き合う。人と関わる上では、自分をわかってもらうよりよほど重要だった。

例えばなんだろう、友達がいないとする。友達がほしければ、どうすればいいか。そこで大事なのは「わかってもらう」ことではない。だから自分のことを「わかってほしい」という感情はひとまず置いておこう。

去年辺りからやたらと中年男性の孤独みたいな話をよく見かける。友達がいないことに悩むのは、どうやら子供だけではないらしい。友達がほしければ、どうすればいいのだろう?まず、どういう友達がほしいのか。飲み友達?バーベキューをするような?食べ歩きができるような?それとも共通の趣味で盛り上がれるような?自分がどういう場面で友達が欲しいのか、それが明確に想像できないと、ただなんとなく自分のことをわかってくれる都合のいい相手を思い浮かべるだけで、今の時代はAIに走ってしまう。

友達が欲しいなら、何よりもまず、自分が友達が欲しいと思える場に出入りすることだろう。そこで、場なり体験を共有する。場や体験を通して人と関わる。それを繰り返すだけで、大人になってからでも友達はできるんじゃないか。僕は30代以降に海外旅行やコワーキングスペース、ポッドキャストの集まりなどを通じてその場その場で新しい友達ができた。

そこで重要なのが「わかってほしい」をやらないこと。わかってほしい衝動に駆られて自分の話をしないこと。誰もそんなものは求めていない。求めているのは自分だけ。自分の欲望に駆られず、相手のことを考えよう。自分の話をするときは「聞かれたら」、「聞かれたことだけ」話すに徹した方がいい。それ以外は相手の話を聞くか、共通のテーマやトピックの話をする。自分が思うこと、自分の意見は話してもいい。でも自分の話をして自分のことを人に「わかってほしい」は厳禁。その話誰も聞きたくない。

だからこういう場で、誰もいないところで話す。人前では「わかってほしい」をさっさと捨てる。その方が人との関わりが円滑に進む。