トレイルハイク

先日、雲母坂というところを登った。水を持参しなくて我慢大会だった。

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坂の手前には寺があった。こんな道

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いざ山

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道も何もない

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前を歩くのはうちの親父。親父が子供の頃遊んだルートだったらしいけど、ルート?

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上からはこんな感じでした。京都市

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京都滋賀 近郊の山を歩く

京都滋賀 近郊の山を歩く

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京都人の遠回し表現について

僕は京都で生まれ育った。京都は遠回し表現の文化だ。表向きの波風は立てず、事を荒立てようとする。大学時代、京都人の文化気質について何冊か本を読んだ。どこに書いてあったか忘れたが、京都は古来、群雄割拠の権力入り乱れる町で、誰がどこに付くとか、誰は誰の敵で味方だから攻撃しないとか、勢力争いが絶えず、立ち位置次第で生存が危ぶまれる時代が長く続いた。約1,000年ぐらい。

東京が首都になってそろそろ150年になろうとしているが、そういう文化は育っていないと思う。むしろ東京人自体がほとんど居ないように思う。知らないけど。とにかくそういう影響を長々と受けた。遺伝子の刷り込みレベルまで。という風に想像してもらいたい。

そういった権力争いの影響もあり、京都人は人を恐れるようになった。京都人は人の噂を、評判を恐れるようになった。権力者による闇討ち、暗殺、弾圧が日常茶飯事だった京都において、人の噂は命取りであった。自分が知らない間に自分についての噂が立ち、自分の知らない内容で、それが事実であるか、ただの噂であるかもわからないうちに、自分の知らない間に殺されている、ということを恐れた。また、自分の話した事が噂になり、それが誇張され、噂の根源は自分、として殺されたりすることを恐れた。それは権力者同士にあり、また権力者を支える町人、噂の元、伝播につながる町人にも影響があった。

京都人は、それぞれの噂につながるような、意思決定を恐れた。意思表明を恐れた。意思表示をしなくなった。しかし、意思疎通をする必要があった。遠目からはわからないように、当事者同士の間だけでしっかりと意思疎通をしなければ、物事を進める事は出来なかった。やがて、京都人には、遠回しに表現する文化が生まれ、定着した。それに加え、日本語というのはなぜか、はっきりと物事を口にするだけで、トゲがあるという風に思われる慣習がある。波風を立てない、相手を必要以上に刺激しないように、婉曲表現の文化が育った。

こんにちにおいて、それらがどこまで残っているかは他府県と比較してみないとわからない。しかし京都人の気質として、ハッキリとしたわかりやすい意思表示をしない点は根強く残っていると言える。それは、京都内では通じるかもしれないが、市内を出ると、ただ何考えてるかわからない人になってしまう。

京都人がどうやって、市外に適応してきたかどうかは謎だけど、大学卒業以降ほとんど京都の外にいた僕がとった手段は、個人的な事以外はっきり意思表示することだった。
特に、感情的なことではなく、理性的な内容において。だから、結果として事務的なことは話が進むけれど人物としてはよくわからないという印象が残ったようだ。
それ以上に何言ってるかわからないと言われることが多かったが、それは置いておく。

僕自身は、自分の意思や本心、考えを知られる事に対しての恐怖心がとても大きい。
それは京都人うんぬんよりも個人的で、過去の人生において、自分の考えや思想を正確に理解された事が無く、全てが誤解になったという経験に影響している。

僕は表現が苦手だ。そして、誤解から生じた相手の反応というのは全て的外れであり、僕にとっては全てが言われのない反応であった。いちいち誤解を解こうとしていたが、うまくいった試しがなかった。それならば初めから意思表示しないのが正解ではないか、という結論に至った。「あいつは何を考えているかわからない」は、少なくとも誤解ではなく、間違いではなかった。

しかし、今後僕は誤解を恐れないように意思表示していきたいと思う。昔と違って、すぐさま殺される事も無いだろう。失うものもない。守るものもない。不安と恐怖心に立ち向かいたいと思う。

京都の話

まだ6月ですが、気分はもう7月です。なぜかというと、雨が降らずに暑いから。京都は本日35度でした。
7月と言えば、祇園祭なんです。京都では。
祇園祭は宵山とか山鉾巡行とかありますけど、7月頭から祇園祭なんです。地元で繰り返されている、そういった行事というのは懐かしさを呼び起こしますね。まだ6月なんですけど。
祇園祭には、夏の風情を感じさせる要素以外、僕らには無いです。催しとしての楽しみはゼロですね。
名古屋から大阪に帰ってきて、最近は用事もあり頻繁に京都に帰ってますが、あまり時間もなく、何もできていません。かと言って、やりたいことも思い浮かばない。京都にはカフェが多いので、行ってみようかなというぐらい。
愛宕山というのが京都にはあって、標高1kmぐらい。2回登った事があり、また行きたいなあと思います。でも他の山でもいいです。大文字山とか、比叡山とか。大文字山も比叡山も、保育園からよく遠足で登りました。
本屋は、恵文社とnot pillar books とガケ書房が王道でしょうか。僕の中では。他にもたくさんの本屋があるので、調べては行ってみたいです。京都の本屋。
そう思うと、やはり京都に住んでいれば移動手段が必須な気がしてきました。大阪にいれば、地下鉄でどこでも行けるんですが、京都はバス、待つし混むし、終わるの早い。だから、やっぱりバイクを直して京都に乗って帰るか。であれば、保険に入り直さないといけないなあ。
歩くか。歩いてもいい。急ぐ必要はないんだから。学生の頃は北山から四条まで歩いて行ってたのを思い出す。
京都の写真を売ってますので、よかったら見てください。Kindle版ですが、iPadやスマートフォンのKindleアプリでも見ることができます。

KYOTO GRAHIE

 

KYOTOGRAPHIE

京都グラフィーという写真展が行われているそうだ。京都の各地で、それぞれ別の写真家の作品が展示されており、各地を回ると同時に、写真展も楽しめるという観光と組み合わせたもののようだ。

これ、けっこう離れた場所に散らばっているので、全部回ろうと思えば1週間ぐらいかかるんじゃないか。

暇な観光客で、尚かつ写真が好きな人でないと回れないなあ。1ヶ月ぐらい京都に滞在する人なら向いているかもしれない。GW期間に合わせて開催されているようなので、休みを全部費やして頑張れば全部回れるかも。

というわけで、ゴールデンウィークに京都へ旅行する人、写真が好きな人、観光地と写真展を一緒に回れて面白いかもしれません。僕は行けません。1個ぐらいならそのうち行けるかもしれない。ポスターとウェブサイトがかっこよかった。

 

京都駅について

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JRの駅というのはだいたい中心地、玄関口となるのだけれど、京都駅に関しては通り過ぎるだけの場所だった。今はショッピングモールができたり電機屋が来たり駅前は少し賑やかになった。

駅ビルが新しくなった後も、駅前は長い間何も無い、玄関口というよりは、どこか遠くへ行く時の非常口という扱いだった。ちょうど新大阪がそうであるように。
昔は本当に二条駅が中心で、京都駅は新大阪のような扱いだったようだ。しかしまあ、昔はどうあれ今の二条に何かあるのかと言えば、あるようなないような。
京都の中心と言えば、やはり御池から四条、烏丸から河原町、もしくは東大路の区画になるのだろう。祇園祭が行われるあたり。それで異論は無いはず。
ちょうど名古屋の中心が栄であるのと同様に、駅からは離れた場所にある。 

京都は観光地として有名だけど、地元の人で、観光の恩恵にあやかっている人は本当に少ない。寺と旅館と土産物屋ぐらい。大学生の時に読んだ本には、京都人はむしろ観光客を嫌っているとさえ書いてあった。地元の経済は結構な割合で地元、もしくは近畿圏で回っている。そこに一部の人が観光を挟み込んで外からの観光客を呼んでいるだけ、という形。他の観光地のように全力をあげていない。

確かに、僕ら京都人にとって、観光客をあまり歓迎していないという共通認識はあるような気がする。秩序が乱れるし、風情も乱れる。おそらくそれは、観光に力をいれていない土地ならば皆同じだと思う。余所者に対する閉鎖的な考え。
そういうのもあってか、京都人はあまり好かれない。 

話がそれたけど、京都駅があの場所にあるのも、長い間その周辺が開発されてこなかったのも、どこか観光客を遠ざけようとしているようにさえ思える。

KDPで出版した

ブログのタイトルに沿ったことを何かひとつぐらいやらないといけないなあと思い、地元を離れているこの6年ぐらいの間に、帰るたびに残した写真から60枚ほどをピックアップしました。

脈略とかまるで無く、ただ京都の写真が散りばめられております。そして名所とか、京都らしい写真というのも少ないかもしれません。いくつかは、ブログやfacebookで載せたものと被っております。

Kindleで見る形になるので、普通の写真と同じぐらいのサイズで表示されるかと思います。縦画面モードで見るとかなり小さめなので、横画面モードで見て頂いたほうが見やすいです。オールモノクロです。気が向いたら買ってください。

中身の一部を公開しております。

京都の本屋6

ヴィレッジヴァンガード新風館店 :三条烏丸の新風館2階 品2,広3,使4


新風館のワンフロアだからさぞ狭いだろうと思っていたら、そうでもなかった。意外と広い。品はまあ普通のヴィレッジヴァンガード。立地が立地だけに客層が若い普通の人たちなので自分が居るとやや場違いな感がぬぐえず、そういう意味では北山の方が僻地なので人が少なくて利用しやすい。難点は、夜8時に閉まってしまう。バイクが駐められない。

VILLAGE/VANGUARD
ヤフー支店

京都の本屋5

大垣書店烏丸三条店 :烏丸三条 品4,広4,使4


ワンフロアで広い。雑誌、文庫、その他ほどよく、河合塾が近くにあるので学参はやたらそろっている。位置的に競合店がないということもあって、十分だろう。店長および店員が街の書店出身ということで多少クセがあるとはきいたことがある。あと、終わる時間が遅い。確か土日休日以外は夜11時まで開いてた。
私自身はここでよく立ち読みはするが、まだ一冊しか買ったことない。買って隣のスターバックスで一服というのがおきまりのコースではないか。やったことないけど。

京都の本屋4

ヴィレッジヴァンガード北山店 :前BEAMSがあったとこ 品2,広2,使5


ここに関しては本屋という利点はあまりない。量もジャンルも少ないし、スペースも狭い。良い点は、まず23時まで開いてる。客絶対こねえだろうけど、主義なんかな。次に、ピンポイントで興味を引かせる品揃え。普通の書店にあまり置かないもの、あるいは片隅にコーナーを追いやられてるような本を、集中的に積み上げている。サブカル部屋といったところか。そして最後に、スペースの半分が雑貨なんだけど、サングラスが1000円という安さ。しょぼいデパートにくるくる回す台に置かれてるサングラスでも1000円で売ってることはまず無い。気軽に捨てサングラスを買える。チェーン共通の事柄が多いので、よく知りたければ以下などを参照。

VILLAGE/VANGUARD
ヤフー支店

京都の本屋3

ジュンク堂四条店 :四条富小路角 品5,広3,使3


特徴として一番に挙がるのは、あのへんにデカい本屋が無いこと。河原町まで行かないと無い。しかも河原町にあるのもBALジュンク堂。新京極かどっかに紀伊国屋があったけど。
入り口入ってすぐのところに新刊やら流行物が置いてあって、それ自体はいい。ただ、全体的に狭かった気がするけれど、最近行ったら広く配置換えしてあった気がする。あと女もん雑誌だけ多かった気がする。BALより良い点は、入り口が5階まで上がらなくてもいいことぐらいか。位置的には競合しないけど。

繁華街事情

休み前の夜には河原町三条から四条木屋町あたりにかけて人があふれている。アメ車やワゴンが道路沿いに十数台停まりまくっていて、その全てにDQNが数名ずつ。それら全ての車でだっさい曲がズンドコ流れているのでズンドコ族と呼ばれている。道ばたで唄を流してる人も3,4組、それ以外にホストやガキやら普通に人が多い。警察もあのバスみたいなのが何台かと、パトカーも何台か。たまに救急車も。私はバイトの関係で何度か迷い込んだだけで何があるのかしらない。
高級車を乗り回してるヤンキーはヤクザの下っ端なのだろうという話。普通どう考えてもあの若さであの底辺のスタイルでそんな金があるわけ無い。そのズンドコ族も最近取り締まられてきた、と思ったら昨日何台かいた。昨日は平日前の夜ということで多くはなかったけれど、通り過ぎるときに車からわめかれた。小心者なので超絶無視してしまった。さて、明日から連休ですが、どうなることでしょう。