ヒトコトへの回答㊷:エルピスに感じた歪さ

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91通目:エルピスに感じた歪さ

エルピスを観た感想が知りたいです。

エルピスは2話しか見ていないんだけど、今日その2話を見ているときに、変な感じがした。タイトルにあるように、いびつだなーと思う部分があった。ドラマ自体はシンプルなストーリーで、テレビ局に勤めるキャスターとアシスタントが冤罪事件を調査し、真相を暴こうとする話。

違和感を覚えたのは、2話の中の回想シーンだった。長澤まさみ演じる役が、若きニュースキャスター時代に報道したニュースを思い返している。その内容とは、東北地震直後の「福島第一原発は直ちに問題はない」というシーンと、2020東京オリンピックを喜ぶシーン。これは現実にあった報道内容を、番組内でオマージュというかアレンジしている。

このドラマでは、長澤まさみ演じる役が、過去に自身が加担していた偏向報道に嫌気が差し、局でなんとか正しい報道?ジャーナリズム?を取り戻そうと奮闘するような話の流れ?になっている。最後まで見ていないからわからないが。

少なくともこの回想シーンからは、福島第一原発が問題ないと報道していたのに、実際はその後大変なことになった、東京オリンピックについて華々しく報道していたが、現実は真っ黒で汚職にまみれ後に逮捕者まで出た、それをあたかも問題ないように報道していた、それらの偏向報道に自分が加担したことを、長澤まさみの役が悔やんでいる、そう読み取れる。

この2話の回想シーンで僕が感じた違和感は、このドラマは何がしたいの?という違和感だった。現実にあったニュースが、あたかも偏向報道であったかのようにドラマ内で演出する。それを思い出す長澤まさみは、嫌な顔をする。間違った報道をしていた過去の自分を塗り替えたいと思う。そういうシーンだったと思う。この演出を、現実にこういった報道を行っていた、言うならば偏向報道を行っていた当事者であるテレビ局が、ドラマのワンシーンとして描く意味はなんなのか。

もしテレビ局が、自分たちが行っていた原発なり東京オリンピックの偏向報道を反省し、見直し、今後はジャーナリズムに徹するという決意があるならば、こういった娯楽作のワンシーン演出として描かないだろう。メディアが本気で偏向報道に問題意識を持ち、省みる気があるならば、公に間違いを認め、謝罪会見でも開き、責任者は責任をとって経営陣を総入れ替えなどし、今後はジャーナリズムに徹する決意表明でもして、局を立て直すのが筋だと思う。

しかし実際にやっているのは、フィクションのドラマの中で、キャスターが悔いているワンシーンを描くだけ。局員が、メディアが反省するという姿さえも、ドラマという商品の中で消費物として描いている。テレビ局は、このシーンを描くことが商業的にプラスだと判断して、GOを出した。

つまり、テレビ局は偏向報道を反省するつもりなど全く無く、反省する姿さえも売り物、金儲けの手段にしてしまっている。なぜわざわざこんなことをするのか?それが、今、視聴者に求められている、つまり商業的にプラスになると判断した結果だろう。ドラマはフィクションであり、エンタメ作品である。有名な俳優を起用し、視聴者を喜ばせることが目的で、このドラマは報道でもジャーナリズムでもドキュメンタリーでもない。架空の娯楽である。お金のために、自社の過去の失敗、間違いを正す架空の物語を商品として売り出す様子を、このドラマで見せている。

僕にはこのドラマが、「ジャーナリズムを取り戻せ!」という主張さえ、金儲けの道具にします!それぐらい商業主義に走ってます!というテレビ局のアピールに見えた。そんなことに、なんの意味があるのか?この「自己否定を売り物にしてますアピール」が、僕がイビツと感じ、破綻していると思った部分だった。自虐なのか?

ロシアでは、プーチンに暗殺されようともジャーナリズムに徹するジャーナリストの姿がたくさん報じられてきた。暗殺されることがいいことだとは思わないが、ロシアのジャーナリストがジャーナリズムに殉じている一方で、日本のメディアは自らジャーナリズムを、その間違い、失敗を認めつつもパロディーにして売り出している。めちゃくちゃ歪んでいる。行き過ぎた商業主義に、狂気すら感じる。

僕はこのエルピスの歪さを感じたとき、太宰治のいびつさを思い出した。太宰治の後期は、原稿料を家に入れずに飲み歩いてばかりいた。奥さんと子供が貧困に苦しんでいる中、太宰治はその姿がつらいと言いいながら不倫をしたり、飲み歩いたりして散財していた。そして、その様子を小説に書いていた。「桜桃」などが有名だ。これって一体どういうこと?と、読んだ当時僕は思っていた。わけがわからない。

太宰治は家にお金を入れ、家族をまともに養えば、つらい思いをしなくて済む。不倫も散財もしない。でもそれでは小説が書けなかったのだろうか?生活が破綻している。挙句の果てに太宰治は、不倫相手と心中した。遺書には

「美知様(奥さん) お前を誰よりも愛してゐました 」

と遺している。わけがわからん。これを受け取った奥さんは、どんな気持ちだっただろう。わざわざ自分の家庭を犠牲にして苦悩し、それをネタに小説を書く太宰治の姿は、芸術家にはよくある姿かもしれない。かたやエルピスは、劇中でテレビ局を批判しており、局がそれを採用してエンタメとして商品にすることで、自己批判さえも金儲けの道具にする自分たち、をアピールしている。企業がそんな狂ったピエロみたいなことをして、一体何の意味があるのだろうか。

これまでのヒトコト、回答をまとめました。

美しさに魅了されるとは

どういうことなのだろうか。よくわかっていない。

今日あるポスターを見かけた。写っているその人は、端的に言って美人だと思った。けれど明らかに整形していた。僕はその人のことを高校生ぐらいから知っていたが、今もあまり変わっていない。それは普通に考えると異常なことだ。20年以上の歳月が、その人に関してはなかったことにされている。僕よりも年上で、今は40代半ばらしい。とてもそうは見えない。せいぜい30代ぐらいにしか。

アンチエイジングについて、以前ポッドキャストか何かで聞いたことがあって、25歳ぐらいまでなら若返ることができる、それより前には技術的に不可能というようなことを言っていた。ポスターで見たその人も、単に整形というよりアンチエンジングを施したというところなのだろうか。なぜ若さに、美しさにそこまでこだわるのだろう。年相応ではいけないのだろうか。

以前にテラスハウスという番組で、出演期間中に整形した人がいた。整形やアンチエイジングがいいとか悪いとかっていう話ではない。他の出演者の人が、その整形した人の美しさに魅了されていた。美しさが人工的なものであるということは、その人たちにとってあまり重要ではなかった。

美しさを追い求めるにあたり、手段を問わない人たち。そうなろうとする人と、そういう人に魅了される人。そういえば昔、「永遠に美しく」という映画があった。ブルース・ウィリスやメリル・ストリープが出ていた。美しさに文字通り魂を売る話だった。

そうまでして取り憑かれる美しさとは、一体何なのか。美しさに魅了されるとは、どういうことなのか。何かこう、雰囲気だけではないロジカルな説明が読みたい。美しさに魅了されることと、性的に惹かれることはまた別のような気がする。例えば美術とか、音楽、もっと言えば数式とかにも、その美しさに魅了されることがある。

ちょっと調べてみた程度では、哲学の話や構造的、統計的な認知の話ばかり出てきた。なぜ、なんのために、魅了されるとはどういうことか、よくわからない。そのよくわからなさで言えば、信仰に近い。崇め奉ることも同じぐらいよくわからない。信仰も美も、当事者主観の理屈がなかったとしても、客観的に説明できないものだろうか。

美しさを基準に物事の善し悪しが判断されることは珍しくない。でもその美しさが何なのかはわかっていない。

2023.3.16

日記のタイトルはなくてもいいんじゃないかと思えてきた。日付だけでいい。タイトルがあると内容が予測できてしまって読まない、ということがよくある。タイトルの時点でフィルターがかかるから、何書いてあるか全然予想できない日付だけのほうが意外と読む。

でも後から書いた内容を見返すときに、タイトルがついていないと不便だったりする。日付だけのタイトルだと、いつどこに何書いたか見つけにくい。ましてや日付がタイトルの日記を見返すことがあるのか。だいたいこれと言って書くことがないから仕方なくい日付をタイトルにして、ダラダラ記述している。

TRANSIT、東インド・バングラデシュ号を買った。東インドにもバングラにも行ったことがなく、これから行く予定もないが、この号はずっと買おうと思っていた。東インドのコルカタ(前はカルカッタ)は、バックパッカー紀行文によく出てくる。パラゴンっていう日本人宿が有名だったそう。ドキュメンタリー映画で見たソナガチも確かコルカタだった。

コルカタもダッカも、どこを撮っても絵になるような写真ばかりだった。TRANSITは半分ぐらい写真を見るために買っている。

本屋の旅行本棚で、わたしの旅ブックスというシリーズを見かけた。紀行文が多いのかな、ハードルが低そうだった。気軽に読みたい。こういうの。

気がつくと、いまだに旅行のことばかり追いかけているな。それもこれからどこに行きたいとかではなく、かつての旅行に懐かしさをおぼえている。あれはあれで、いい時代だった。今は今でよくて、それぞれの時期にいいこととわるいことがあった。ときどき「今が一番楽しい」とか言う人いるけれど、よほど過去が不遇だったのか、肌感覚のある今しか考えられなくて過去がきれいサッパリ忘れてしまってるのか、なんなのか。僕もかなり昔のことは忘れてしまっているけれど、そのときどきなりの良さがあった。過ぎてしまえば良かったと思えてくることもある。

人は飲み歩きや風俗で借金を作るらしい

これを読んで。

仕事もしていて実家暮らしで、なぜ150万の借金を作るのかと思ったら、ストレス発散のための飲み歩きと風俗だった。そういえば前働いていたところの先輩は、借金は知らないけれど給料をキャバクラで使い果たしていた。

これまで借金と言えば学生ローンかバイクのローンぐらいで、それ以外は親にも金を借りたことがない。カードも一括のみでローン払いしたことない。大学を出てから実家を出て、お金に余裕があったわけではないけど、借金はなかったなー。だから人がどういう経緯で借金を作るのか、やむにやまれぬ事情以外では想像つかなかった。

ストレス解消も一概に責めることはできないが、昔から「飲む打つ買う」は悪徳のように言われてきた。これらに手を染めると経済観念が狂いやすいのか、借金に陥りやすい気がする。飲み歩きも風俗も、飲む、買う、に含まれるだろう。

僕は外で飲むことがほとんどなく、外食さえあまりしない。風俗も数えるほどしか利用したことがない。どちらもハマればバカ高い。ギャンブルは言うまでもなく、一瞬で溶ける。競馬、パチンコ、麻雀、何にしても一日費やせば手元に残らない。このあたりにハマってしまうと、借金まで行かなくても貯金は厳しいのではないか。このあたりを避けても、車だったりファン活動、ファッションといった趣味で使い果たす人もいる。そういう人生は満喫していて楽しいと思うけど、自分は通ってこなかった。強いて言えば、写真や旅行にはある程度費やしてきて、あとには何も残らなかった趣味だと言える。借金するほどではなかった。貯金もまあ、急に困らない程度にはあった。

ギャンブルはともかく、飲み歩きや風俗で借金するほどハマるというのは、よほど孤独だったのかと思う。一人でいられないから、お金を払ってでも人といる時間を過ごすのか。僕は「飲みの場が好き」という感覚がないから、基本家で一人で飲んでいる。そういう孤独耐性が強いというか、人と一緒にいなくても孤独を紛らわせることは、現代では特に難しくなくなった。どうしてもリアルがいい、生がいい、という人はコロナ中もキツそうだった。

飲み歩きや風俗みたいに、金のかかる手段で孤独を紛らわせるから借金に至ったのだろう。例えば、ソロではなくチームでやるスポーツのサークルとか、読書会のようなグループワークのあるイベントなどであれば、それほど金はかからないと思う。参加者同士のコミュニケーションが活発であれば、それが週末だけだったとしても、孤独に陥ることもない。でもそういうので宗教やネズミ講にハマって借金作る人もいるのか。見極めが難しいな。そのあたりはまた、経済観念が正常に働いているかどうかになってくる。

孤独耐性か経済観念か、どちらかが備わっていれば借金には至らない、気がする。どちらも鍛えるのは難しいが、究極を言えば人望をなくして一人にならざるを得ない時期もあるし、借金できなくなれば困窮生活を強いられる。どちらも鍛えることができるように思う。でも過大なストレスがかかっていたり、やむにやまれぬ事情を抱えていると、それも難しい。もしくは過大な欲求を抱えていると、健全なコミュニケーション、コミュニティでは到底解消できない。

自分はそれらにどうやって向き合ってきたのだろう。自分は金が無いという自意識が強かったため、何をするにもいかに金を使わないで済ますかしか考えてこなかった。要するにケチだった。だから結果的に経済観念が働いて、借金に至らなかっただけかもしれない。

ケチがかっこ悪いというか、みすぼらしいという価値観がある。その上でさらに人から良く見られたい心理が働き、散財するケースがある。またはケチっていることで心も貧しくなり、気が滅入る人も多い。そういう人は、欲しい物を買うことで満たされる、贅沢したり散財することで晴れやかな気持ちになる。僕もどっちもあるっちゃあるし、ないちゃあない。なくても平気でいられる状態を作り、保てれば散財することは減る。

40代だ

気づけば若い頃から聞いていたトム・ヨークもチバユウスケも、ぱっと見爺さんになった。歳も取るわけです。

加齢について、今までも何度か触れてきた。つい最近にも触れた。

だいたい似たような、ちょっと違うことを書く。歳を取ることの特徴のひとつとして、同じことを何度も繰り返してしまうのがある。それは前にやったことを忘れているから。加齢による健忘と言うのか。

今日が誕生日というわけではない。気づけば40を越えていた。あれ、自分今いくつだっけ?と思うことも増え、自分の年齢も覚えていられなくなった。ずっと最近まで、まだ39歳だと思っていたが、40を迎えたときにはちゃんとそれを自覚していた。単にその時のことを忘れていただけだった。二重三重構造で記憶の思い違い、年齢の勘違いがある。これも全て加齢による衰えだと雑にまとめてしまっていいものだろうか。

そうやって最近改めて自分が40を越えていたことを自覚したわけで、年齢なんかただの記号だと日頃のたまいつつも、それなりに思うことがある。まず一つ、去年に父が亡くなった。71歳だった。父の年齢を基準に考えれば、人生の折り返し点なるものは、とおに過ぎている。ましてやこれから先、変化のない日常を過ごしていくことになると、体感時間は加速度的に過ぎていく。気づいたら僕も70歳かもしれない。

父が亡くなるまでは、祖父が亡くなった年齢を一つの目安にしていた。父方の祖父が89歳、母方の祖父は93歳で亡くなった。しかし実の父がそれから20年も早く亡くなり、あてにならなくなった。もともとあてになるもんでもない。事故や天災にでも巻き込まれたら明日にでも死ぬ。ただまあ目安と考えるなら、残された時間は30年となる。この30年はそれなりに短い。

これからはただ衰えるに任すだけで、特に向上するわけでもない肉体と精神を背負っての30年となる。その時間を過ごす心持ちが、あまり期待できない。楽しかった時間は、もう過ぎたのではないか。あるいは生きる喜び、みたいなことはこれからも見いだせるのだろうか。そういうことを考える。

同時に、これまで本当にそんな楽しかっただろうか。若さがあった頃は、体力、勢いに乗って、今ならもうできないことをやっていた。例えば先日日記に書いたバックパッカーなんかは典型だと言える。今からでもできなくはないが、若い頃やっていたのとは質が違うものとなる。

若さゆえの苦しみもあった。自分は意外と、年をとってからの方が楽になったと思うこともある。結局どちらとも言えない。加齢への不安だったり、気持ちの落ち込みは20代にも30代にもあり、同じ不安を巡り巡っているだけで、本質的にはあまり意味がないと言える。若い頃が人生のピークだったと思う人も、それから解放されれば、これからの時間も意外と有意義に過ごせるかもしれない。

身体の不調は顕著になった。女性は30代から、男性は40代からと言うらしい。目に見えて体調が悪いというわけではないけれど、健康診断の数値などが改善しなくなった。ここ数年はコロナだったおかげで運動量が減り、体力も落ちた。意識的に維持管理をしないと、簡単に身体に響くような気がする。

これは長生きしたいとか、早く死んでもいいとかそういうこととは少し別の話だと思う。生き死には別として、日々を快適に過ごしたければ、少しでも体調は整っていたほうがいい。体調の良し悪しは、寿命うんぬんよりも毎日の気分に影響する。気分が悪いと、性格も悪くなる。すると余計に物事がうまくいかなくなる。健康で体力があれば、なんとかなるような気がする。若い頃は放っておいてもその状態だった人が、加齢による衰えで人格が変わってしまったとしたら、体調を維持管理することでまたある程度元に戻れるかもしれない。

僕はどちらかというと、若い頃のほうが不安定だった。体力や機能が衰えたとしても、今のほうが安定はしている。

残された時間を生きるにあたっての、ささやかな娯楽は何だろうかと思い浮かべてみた。一つはテクノロジーの発展で、今までになかった技術が開発され、世の中が変わっていく様子を見るのはおもしろい。今までだと、自分の生きている間ではインターネットやスマートフォンが大きく世の中を変えた。些細なことも、配車アプリなんかは日本でも海外でもめちゃくちゃ便利で、昔では考えられなかった。今だとChatGPTやMidjourneyのようなAI技術、仮想通貨といったもの、もしくはまだ知らない何かが未来をどのように変えていくのか。今の段階で想像もできない未来を体験するのは、これから先を生きる楽しみの一つである。

技術だけでなく、それに伴う文化の移り変わりも見たい。人々の意識だったり、それに影響を与えた、もしくはそれらを反映した芸術を見るのも心躍る。過去からの変化を系譜を追ってたどり、変化のきっかけや要因となったことを探りたい。時代の転換は、こまごまとしたことなら短いスパンで起こっている。僕が高校生ぐらいまでは、テレビの時代だった。インターネット以降にそうでなくなり、動画配信、YouTube、ニコニコ動画が起こっては消え、TikTokも映像文化に位置づけられる。新しいものを見る喜びは、生物の進化の源泉であるように思う。自分はいつまでフォローできるだろう。昔は良かったなどと、言うつもりはない。

初心者向けの投資について、調べ尽くした

知人が知識ゼロから投資を始めたいと言っていたり、NISAが新しくなるとかなんやかんやで、最近の投資事情について情報収集していた。で、これ以上はもういいかなと思えてきた。

初心者向けの投資は、ある程度調べるとそれ以上はいらなくなってくる。それどころか、むしろ一定以上の情報は邪魔になってくる。基本的なことだけわかっていればいい。それ以上の情報を得ても、本当に有益なのか判断できず混乱する。さらに、よくわからない商品に手を出して失敗して損することもある。山崎元さんの言う「買い物が楽しい状態」は避けたい。

このあたりでもう十分かなと思ったので、自分が調べた範囲のことを記録しておく。僕的には2023年3月段階で有効な情報です。

  • どの証券会社がいいのか
  • 新しいNISA
  • 何に投資すればいいのか
    • 新NISAつみたて枠
    • 新NISAつみたて枠以外
  • これ以上知っておくべきことある?
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いいなと思うもの

  • 絵的にいいなと思ったとき
  • その時たまたまカメラを持っていて撮ったとき
  • 撮ったものが絵的よかったとき
  • 先が気になるけど疲れたからそっ閉じ
  • くやしいけどベタに感動
  • あまりピンとこなかったのが何度も繰り返し聴いているうちに良いと思ってきた
  • オレの考えた最強の文章
  • 来ないかもしれないと心配していた予定の日を迎えた当日
  • 映画館
  • 詳しくないから思ったことを率直に言う会話
  • 作品の中の主題ではない店
  • 九龍城的なモチーフ
  • ただ笑うだけ
  • 熱狂している人
  • 夏の夜の外
  • 知らない道を歩く
  • 勝手知ったる河川敷を歩く
  • わからない言語の会話
  • 他人の日記
  • ヒッピーカルチャー
  • 軽いビール
  • 何話したか覚えていない会話

ヒトコトへの回答㊶:子供

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90通目:子供

子供を欲しいと思ったことはありますか?

子供を欲しいと思ったことはないです。子供を欲しいと思う人は、どういう理由で思うのだろう?僕はその理由だったりきっかけが無いというだけで。欲しいとか欲しくないというより、興味がないと言ったほうが的確かな。どうでもいい。「子供が好きか?」と聞かれても同じ答えになる。自分の体感だと、男性の5割近くは僕と同じ意見なんじゃないかな。

これまでのヒトコト、回答をまとめました。

ガンニバルを見た

最近はディズニー+でガンニバルを見ていた。今のところシーズン1が7話だったかな、漫画原作のドラマで、主演が柳楽優弥、吉岡里帆、他の人はあまり知らないけれど、役者の演技はどの人もよかった。ジャンルは田舎移住モノ、ヴィレッジスリラーなんて言葉があるようで、田舎暮らしを夢見ている人は楽しめるんじゃないか。去年見た台湾ホラー映画の呪詛なんかは似たジャンルかもしれないけど、それよりなんぼかよかった。

原作が完結しているみたいで、ドラマの続編を待つ前にそっちが気になる。ドラマはドラマで、柳楽優弥がデストラクションベイビーズ並のキレっぷり。人を殴る殴る。他の人たちも配役すごくいい。恵介の子供時代の子役までよかった。若干CGと特殊メイクが安っぽいから、予算がもっとあれば尚良かっただろう。

ヒトコトへの回答㊵:宇宙

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89通目:宇宙

宇宙に行きたいですか?

宇宙に行きたいとは思わないなー。宇宙に行きたいと思うだけの何かが、僕には何もないから。行った先に興味が湧くものでもあれば行きたいと思うけど、宇宙にはそれがない。

宇宙に行っても宇宙空間があるだけで、あとはせいぜい星とか地球が見えるぐらい。天体とかそういうのが好きな人は、行ってもおもしろいんじゃないか。もしくは専門家が研究のためとか。僕はそのどちらでもない。

もともとなんとなく旅行したり、行く宛や目的がなく行動するのが苦手で、旅行するときはだいたい目的地とやることを決めてから行く。それが見つからないところは、旅行先の候補に入らない。観光にしても、自然の景色とかよりどちらかと言えば文化的なことが好きで、宇宙にはそれがないから候補に挙がらないかなー。

これまでのヒトコト、回答をまとめました。

最近読んだネット記事

「Winnyや2ちゃんねるは、脱法行為バリバリの場所だった」 ひろゆき氏が考える「Web3は胡散臭い」と言われる理由 - ログミーTech

これは今年の1月にあったGMOのイベントを文字起こししたもの。Web3がなんなのかよくわかっておらず、読めばわかるかなと思ったけどあまりわからなかった。この記事は7回に分かれており、前半は空飛ぶクルマの話で後半がWeb3の話。けっこうみんな、なんかよくわからないけど先行者利益を得るために投資していたのが、暗号資産とかNFTだったように思う。そういうところはインターネットらしい。あとSTEPNのようにお金を稼げるとわかった途端に流行りだすとか。

独身男性 新築を買う | 犬アイコンのみっきー

税金の話や、相場を調べる話などが見やすくまとまっている。この手の家を買う系まとめが流行っているのか、エンジニアの間では家を建てるのが流行っているのか、これも巣ごもり需要なのか、去年からよく見かける。類似エントリーは以下

はてなブックマークの(ネガティブコメントとの戦いの)歴史

ヨッピーの男女おごりおごられ論から派生して、はてなブックマークコメントに返信機能をつけろという発言から、ブクマが改善されてきた歴史が振り返られるに至った。こんなによくまとまっているなんて!はてなユーザーとして歩んだ日々が、項目ごとにまざまざと蘇る。古参はてなーによる以下のエントリーも見逃せない。

歯医者に行った

けっこうなぶりに歯医者に行った。案の定虫歯が見つかった。定期的に歯医者に行かないと人間はダメになると思っているのに、コロナに入ってからめっきり行かなくなった。特に歯が痛いとか、困ったことはないから、一年は行ってなかったと思う。身体の健康と同じで、病気になったら病院に行くのではなく、定期検診によって状態を把握しながら健康を維持する予防医学が大事、みたいなことをいつかどこかで聞いた。歯も同じで、傷めてから治すより、定期的に診て健康を維持するほうが負担が少ないとか。

全く同じような話を、先日ラジオで聞いた。それは東京国立博物館の人による、収蔵品の維持管理の話で、昔は損傷したら修復すればいいという発想だったのが、修復しなくていいように維持してなるべく元の状態を保つ方針に変わっているという話だった。修復という作業には、手を加えて元の状態を変化させる過程があり、それよりかは維持管理によって修復が必要にならないようにすることで、なるべくオリジナルの状態を保ったほうが文化財保護の観点からも優れているということだった。

虫歯を治療する過程で、オリジナルの歯は必ず損なわれる。それよりきれいな状態を保つことで、虫歯にならないように心がけたほうがオリジナルの歯は保たれる。予防歯科と国宝の管理は似ている。

ヒトコトへの回答㊴:㊳の感想

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88通目:㊳の感想

mm(id:mirumiru200)です。ヒトコトへの回答38を読みました。自分が少しモヤモヤしていた部分を言語化してくださっていて、かなりスッキリしました。言語化や意思疎通を元にした話し合いって面倒で大変ですよね。話し合いはもちろん大切だけど、それを言ってくれる人って少なかったと思います。 書いてある内容がいつも面白く、また自分のブログで引用させていただくことがあるかと思いますがご容赦いただけたらと思います。 機会があれば対談などできたら楽しそうだなと思うのですが、何を話すのか……という感じになると思うので、何か具体的にお話したいことがあればまたご連絡させていただきます。

僕自身は前回の内容にあまり納得いってなくて、もっと芯を打つ言葉があるだろうと思いながら、なかなかそれが思いつかない。僕自身も決して話すのが得意、コミュニケーションが得意というわけではなく、まだ書くほうがまし、それでも的確なことが書けなくて、言葉を探している状態です。

前回の話を延長すれば、僕はどちらかというと具体的な話しかできず、抽象的な話は苦手。抽象的なことを言われても全然わからない。だから「具体的にどういうこと?」とすぐ聞いてしまう。でも抽象的な話が得意な人からすれば、それは具体的な話のフィールドに引き込まれているわけで、不利・不得意な状況に陥る。これは自分が理解するためとは言え、相手には優しくない。だから、なるべく相手のフィールドで話を聞いたり合わせようとしたり汲み取ろうとするのが、人としての愛情なのではないかと最近は考えている。抽象、具体を論理、感情に置き換えても同じことが言える。「わからない」ことはわからないんだけど、わかろうとする、するだけ。「わからない」というあきらめの姿勢から脱却するように心がけている。

それは相手も同じで、なんとか僕に具体的に、論理的に、苦手なフィールドで相手しようと努力してくれているのが伝わってくる。だから僕は、なるべく問い詰めないような努力がいる。具体的、論理的というのはプロセスの話だから、どこまでも突き詰めていける。逆に抽象的、感情的な表現に対して僕はどういう理解を示していけばいいのか、まだ検討がついていない。倣うことなのかな、とぼんやり考えている。おそらくそこに理解なんて概念はないんだろうな、と。倣うだけ。

意思疎通は、僕は希望だと思っていたんだけど、完全な意思疎通は無理だし、お互いの特性に合わしていく方がいいんだなと思うようになりました。僕らは同じ日本語を話しておらず、互いに言葉が通じていないことを忘れないようにしたい。話し合いが面倒で疲れるのはそこでしょうね。何かあれば、またどうぞお気軽に。

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ヒトコトへの回答㊳:どうすればいいか

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87通目:どうすればいいか

話し合うことが解決に繋がらないのだとしたら、どうすればよいのでしょうか?

この質問は、僕がこのツイートを見て

以下の内容でツイートしていたものに対する質問のようだ。

まあ、話し合いで意思疎通できれば理想だなー。世の中には言語化だったり、意思疎通が得意というわけではない人が、けっこうな数いる。だからコミュニケーションによる意思疎通を根拠にやりとりすると、不公平が起こりやすい。言ったよね、言ってない、そんな意味じゃない、うまく言えない、そういう会話に陥りがち。

話し合うことで解決できなければ、どうすればいいのか。それを解決と呼べるのかどうかわからないけれど、僕個人が試みている方法としては、徹底的に相手に歩み寄る。相手が言葉で言い現せないことは、こちらからなんとか汲み取ろうとする。それは相手のことを知らないとできない上に、その気がないとやらない。

前提として、相手との友好関係を維持したい、もしくはさらに向上させたいという気持ちがお互いにないと成り立たない。さらに、相手も自分の苦手なフィールドでは、僕のことを汲み取ろうとしたり歩み寄ろうと努力してないと成り立たない。どちらか一方のわがまま、不公平な関係性であれば、いずれ成り立たなくなる。相手を大切に思えるからこそ、相手の意見を聞き、相手が言わんとしていることに目を向け、なんとか相手の言わんとしていること、気持ちを理解しようと思う。

話し合いが万能でないなら、それぞれがお互い得意なフィールドで補完し合うしかないんじゃないだろうか。そのためには、お互いの特性を理解し合うことが重要になってくる。得意じゃないことを相手に求めるのは、もはや愛がない。

これまでのヒトコト、回答をまとめました。

たまにミクシーが盛り上がると聞いて

イーロン・マスク以降のTwitter騒動の末の行き先として、マストドンとかディスコードとか言われていたが、mixiを挙げる人の声が一定数あったと奥さんから聞いた。Twitterのタイムラインか何かで見かけたらしいが、僕はそんなもの一切見ていない。Twitterだけでなくはてなでも見てない。どこでも見てない。mixiの名前さえほぼ見かけない。ミクシーで変換しようとしても出てこない。モンストをちょっと遊んだぐらいで、それさえ削除している。

「日本人はやっぱりmixiが一番落ち着く」なんて言ってるのは、奥さんのタイムラインにいる一人だけなんじゃないか。そして今もmixiを使い続けているのはその一人ではないか。本当にmixiを使い続けている人はいるのか。

僕が大学生のときにmixiは流行って、新卒のときにやめた。確かSMS認証が導入され、僕はその当時シャープの日本製スマートフォンW-ZERO3【es】を使っていたからSMS認証ができず、サービスの利用が継続できなかった。SMS認証を用いるあらゆるサービスから弾かれ、日本のケータイ文化滅びろと思ったが、iPhoneの登場で本当に滅んだ。その後SMS認証はあらゆるサービスの二段階認証に使われるようになった。いまだにSMSが利用できないと登録できないサービスは多い。

そんなわけで僕はmixiが廃れる前から強制離脱させられた身だけど、そこから20年近く経ち、現存することさえ疑わしい。iPhone以前のサービスだけど、アプリとかあるんだろうか?

Facebookも使われなくなって久しい。かろうじて年配の人が利用しているのを見かける。海外にいる間は使っていた。Facebookメッセンジャーもそこでしか繋がっていない特定の間で使い続けている。

ポケモンゴーは格安simにして早々やめたが、今も遊んでいる人は多いらしい。STEPNは仮想通貨下がりまくった上にアップデートで全然稼げなくなったけど、いまだにやっている。solanaは毎日下がり続けている。

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