「愛がなんだ」ネタバレ・感想・評価

「愛がなんだ」を見てきた。ものすごく混んでいるというネットの記事を見て、見に行った人にTwitter上で「混んでましたか?」と聞いたら「15人ぐらいしかいなかった」と言われた。どっちだろうと思いながら、日曜の夕方、四条烏丸の京都シネマに足を運んだ。満席でした(Twitterの人は別の映画館で見た)。さいわい一緒に行った人が朝にチケットを買ってくれていたおかげで、3番目ぐらいに入場でき良い席を確保できた。

  • 映画館の様子
  • あらすじ
  • ストーカー同盟の二人
  • 「好きになった人がタイプ」とは
  • 田中守問題
  • 僕が一番好きなのは…
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平成レトロとダウンタウン

毎週聞いているPodcast「底辺文化系ラジオ二九歳までの地図」にて、平成の懐かしコンテンツを語る平成レトロ回という特集が、去年からずっと組まれていた。そこでは平成を代表する音楽やホビー、テレビ番組、アニメなどについて語られていた。興味があれば聞いてもらいたい。

平成レトロ: 底辺文化系トークラジオ「二九歳までの地図」

そこでは語られなかった内容のうち、僕が平成を思い返す中で触れておきたいことがいくつかある。ひとつはダウンタウンである。お笑い界において、平成とは=ダウンタウンの時代ではなかっただろうか。僕が小学生の頃、日曜8時からフジテレビで「ダウンタウンのごっつええ感じ」が始まり、小学生のうちに幕を閉じた。放送されたのは1991年(平成3年)12月8日から1997(平成9年)年11月2日まで。それ以降もダウンタウンの勢いはとどまることを知らず、「ガキの使い」「ダウンタウンDX」は今でも放送されている。終了した代表的な番組としては、「ヘイヘイヘイ」や「リンカーン」などがあった。

  • ダウンタウンはおもしろくなくなった話
  • すべらない話の松本人志
  • もう笑えないダウンタウン
  • ネタをやってほしい
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革靴がいるんです

先日スニーカーであるオニツカタイガーのアリーがほしいって書いていた。僕はスニーカーのことをいまだに「運動靴」って言いがちで、「運動靴」と言うたびに「運動靴!?」みたいな顔されて、スニーカーと言い直している。運動靴っちゅうのはつまり、小学校の体育で使える靴みたいなそういう意味合いだった。スニーカー自体はもともと「ゴム底の靴」ぐらいの意味しかなかったように思う。革底の靴と違って歩くときに音がしない、Sneakする(こっそり歩く)靴だからスニーカーだったような。運動するための靴って意味ではなく、スニーカーも本来は革靴なのだ。と言うか靴といえばだいたい革製だった。

それはさておき、革靴である。スーツを着る機会はもうないだろうと思っていたが、冠婚葬祭が一生つきまとうことを忘れていた。そのためフォーマルの革靴を買うことにした。サラリーマンのときには5足ぐらいあった革靴、ボロボロになってしまい今は一足しか残っていない。その一足ももう底に穴が空いている。ソールを交換すれば使えるかもしれないが、そんな大事に丁寧に履いてきたわけではなく、めちゃくちゃいい代物でもないため、新調しようということになった。

どこで買おうか。ピンきりの革靴、サラリーマンだったときに履いていたのは4万〜5万でおさまる中堅どころだった。スコッチグレイン、コールハーン、ジャランスリワヤあたりである。新卒のときはABCマートで買った1万7千円のホーキンスとか履いてたが、なんというか、なんというかだった。今回買うにあたっても、中堅どころでおさめておこうと思う(中堅どころっていうのは僕個人的な印象でしかなく、革靴の相場はだいたい1万〜20万ぐらいで、そのうち靴一足に費やせるのはせいぜい10万以下だろうという意味で、4〜5万を中堅どころと言っている)。

僕はスニーカーファンであっても革靴には興味がない。仕事以外では全くと言っていいほど履かなかった。だから革靴のことは全然知らない。買うにあたっては、比較しているようなサイトを調べた。

このくくりだと4万以下ぐらいで買える。理想的ではないか。比較ページをいくつか見た中では、このページが良かった。特にリーガルが入っていないところがいい。普通にTrading Postで買ってしまいます。

同じことばかり

Web日記に同じことばかり堂々巡りに書いているのは、自分がいかに同じことを考えては忘れ、を繰り返しているかを表している。

多様性、自分たちと違う考え方、価値観を認めようみたいな話の限界は、ストレスにある。自分たちと違う存在を認めるのは平気だ。自分たちと異なる信条を持つ集団同士だって、共存できる。しかし結局人間集団は、思想や価値観を同じ者同士が群れかたまる。互いに認めったり、共存はできたとしても、混ざりあうことは難しい。なぜかというと、一方にとっての正義がもう一方の悪であり、悪が正義だから。

例えば礼儀作法が違う。この国では失礼なことが、他の国では礼儀作法として奨励される。自分の文化圏で失礼なことでも、他国では積極的に行っていかなければならない。たとえ相手が喜ぶことであっても、自分がやられて嫌なことを相手に行うのはストレスが生じる。それが蕎麦をすするとか慣れ程度で済まさせるものならいいが、決定的に相容れないこと、それは信条や習慣に限ったことではなく、食べ物の好き嫌いなんかでもそうだが、人間同士の間で決定的に相容れないことがあれば溝ができ、お互い干渉しないではいさようならとなったら平和な方だ。

結局人間関係は、ある程度の同質性の中でしか成立しない、同質性を強く求めるたぐいのものなんだろう。わからない者同士の関係は、ある程度以上になってくると破綻をきたす恐れがある。

初夏だというのに頭が痛い。何でもかんでも太郎をつけて呼んでしまうクセがあり、猫を猫太郎と読んでいたら「なんで?」と聞かれ、かつて一世を風靡したピコ太郎と語感が似ているからと答えた。今頃何やってるのだろう。麻生太郎はずっと麻 生太郎と呼ばれていたからその界隈では常識だと思っていたことが、おもてでは通じない。生太郎はテレビでいつも怒ってるなー。安部嫌いの人のヒステリーは本当になんなのだろう。殴られたとか直接実害を受けたならわからんでもない。

最近外ばかり歩く日が続いており、久しぶりに自転車に乗ったら息切れして酸欠になり吐きそうになった。頭も痛いから尚更だ。ベストシーズン5月説、北半球だと割とどこでもそうなんじゃないか、そんなことないよな。暖かくなってきました。外に出るのは今のうちに。花見とか寒くてたまらないし、基本的には表に出ない4月を乗り越えた。6月には雨が降り、7月は灼熱の大地が。

テレビの話ばかり。しかし頭の中はすっきりしない。初夏だというのに。布団の中でのたうちまわぅねいる。不穏です不確かなアタマを抱えている。乾いている。鼻腔も乾いている。

平凡に満喫する自宅コーヒー

お祝いで頂いたコーヒーセットを駆使して、自宅のコーヒーライフを充実させている。朝は電動ミルで挽いてマキネッタで淹れ、夜はデカフェのインスタントを飲む生活。生豆はまだ煎っていない。ネットで煎り方を調べていたら、殻がけっこう飛び散りそうだ。あとテフロン加工のフライパンは使えないとか。専用の調理器具を買おうと思いつつ、まだ手を出していない。

本はちびちび目を通したり読んだりしている。東京には喫茶店がないと聞いていたけれど、「COFFEE SHOPをつくる」を読んでいるとめちゃくちゃあるじゃないか。「スペシャルティコーヒー大事典」には豆の種類や産地がたくさん載っており、一体どれを買ったらいいのか。味の違いなんてもっとわからん。好みとか出てくるんだろうか。飲み比べでもしないとなんとも言えない。そもそもスペシャルティってなんだ。調べたら、一定の品質保証をクリアしているみたいな意味だった。

なんでみんなカルディへ行くのだろうと思ってたけど、その理由がやっとわかった。豆が安いからなんだな。なんとなく良さそうな豆が安く買えて人気だとしたらわかりやすい。レギュラーで飲むコーヒー豆は安いのに限る。味が安定していて安ければそっちに流れるよな。変なこだわりとか難しいから。

そう思ってネットで豆を調べていたら、2キロとかの単位で買うなら評判良く安い豆も買えそうだった。そんなに大量に飲むだろうか。お試しで少し買ってみてもいいかもしれない。今のペースだと1ヶ月で1キロぐらいは消費していることになるのかな。そう考えるとやっぱり2キロは多い。おすすめの安くて美味しい豆があったら教えてください。

結婚報告を書いたらお祝い頂きました

前回結婚エントリーを書き、こんな機会一度しかないから「お祝いください!」って言ってみたら、予想外にいっぱいもらった。とても喜んでいます。ありがとうございます。

頂いたもの一覧

  • 電動ミル
  • マキネッタ
  • 生豆
  • デカフェのインスタントコーヒー
  • エレンディラーガルシア・マルケス
  • 麻薬書簡ーウィリアム・バロウズ
  • 高い城の男ーフィリップ・K・ディック
  • 図説 写真小史ーヴォルター・ベンジャミン(4/17追加)
  • スペシャルティコーヒー大事典(4/17追加)
  • COFFEE SHOPをつくる(4/22追加)
  • まだまだお祝い受け付けてます
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結婚した話

Twitter上では既に述べていたけれど、最近外国から戻ってきて流れるように入籍した。当初長く日本を離れる予定だったのが、事情があって帰国し、そのまま結婚して日本で暮らすことになったわけです。僕は今までさんざん「結婚どうでもいい」と言ってきた。今でもその気持は変わっておらず、相手もそのことは知っているから、結婚にまつわるもろもろはほぼ全て相手に任せっきりになっている。式とか、指輪とか、新婚旅行とか、生活全般のこととか。もちろん僕は相手の意見を聞くし、予定を決めたり話には加わっているが、自分の意向は無いに等しい。せいぜい「披露宴とかやらないでほしい」と言ったぐらいで、あとは向こうで決めてもらっている。

で、籍を入れたり指輪をしたり同居したりしているわけですが、あまり実感は湧かない。もともと結婚がどういうものかいまいちわかっておらず、理想や願望もなかったから仕方がない。何もかもが今までどおりというわけではないが、相変わらずのメンタルで生活している。それは多分、僕にとって良いことなのだろう。元来結婚そのものを希望していなかった自分が、結婚することで何かが変わってしまうよりは、変わらないままでいられることこそが理想であるように思う。

そんな事を言うと「無責任だ」とか「相手の人がかわいそう」なんて思われるかもしれない。しかし、相手の人はそういう自分を理解した上で、僕に変化を求めず今回の話を受け入れてくれたのだと思う。僕にとって、今のような形で変わらないメンタルのまま生活できていることが当然であり、同時に奇跡的でもある。そんなことはある意味で些細なことで、今後どうなるかもわからない。今のところはなにもかも滞りなく過ごしている。相手には感謝の気持ちでいっぱいです。

先日書いていた猫の話は、パートナーが元から飼っていた猫です。

お祝いください!

と思って新婚生活に必要なものとか検索してみたが、既に同居しておりこれからどんなものが必要か思い浮かばず、ほしいものリストに追加するモノがなかった。あれば嬉しい物とかなんだろ。とりあえずギフト券とか入れた。もともと登録しておいた僕がほしいだけの本とか全然結婚祝いじゃないけどもらえたら嬉しいです。左京区の下の方でお店をやれる場所を探しているんで、物件情報でもありがたいです。お祝いください!

川添のほしい物リスト / Amazon.co.jp

めっちゃ頂きました。ありがとうございます!

相手の人との関わり方などについては、これまで散々書いてきた。

なんだろ、他に書くことあるかな。

猫と暮らす

これまでペットと暮らしたことがなかった。親が極度のペット嫌いであり、アレルギー持ちだった。自分も猫アレルギーがあり、子供の頃は犬が恐怖の対象だったため、ペットを飼うという発想もなかった。友達の家や親戚の家では犬を飼っていたが、吠えられては恐怖を覚え、まともに近づくこともなかった。先端恐怖症なのだろう。牙が怖い。

だから、動物と触れ合った経験もない。ずっと興味もなかった。どちらかといえば嫌っていた。なぜなら基本動物は不衛生だからだ。雑菌の温床であり、普段清潔さを過剰に意識している人たちが、なぜ動物に対しては甘いのか全く理解できない。ペットは毎日風呂に入ったりしないのに、人間が1日風呂に入っていないだけで不潔扱いされるなんておかしいじゃないか。どう考えても動物のほうが汚いのに、平気で触っていたりするから謎でしかない。僕が動物を「汚い」と言えば「汚くない」と言われる。本当か?おそらく、所詮は感情的なものなのだろう。動物好きの人は精神的な浄不浄の感覚において、動物が穢らわしくないらしい。

ただまあ自分はアレルギー体質だったり肌が弱かったり菌に弱いため、動物と触れ合うからには人間以上に気を遣う。当たり前だ。同時に、動物も人間以上にストレス耐性がなかったり、食べ物の制限があったりするため気を遣う。何が正解で何が間違いなのかわからない。

猫と暮らすことになった

そして本題。猫と暮らすことになった。自分が猫を飼いたくなったとかではなく、同居人が猫を飼っているため必然的にそうなった。彼らは元野良であり、今は室内で飼われている。猫と向き合うことは全くの初めてであり、どう接していいのかわからない。彼らの意思表示がまったく読み取れない。何を考えているのか、どういうつもりなのか、嬉しいのか、楽しいのか、怒っているのか、つらいのか、その鳴き声は何を意味するのか、その攻撃は敵意を表しているのか、それとも戯れているのか。遊びなのか、ストレスなのか、人間よりも繊細なのか、鈍感なのか。

例えば、走り回って僕を追いかけてくる。足元で転がり、手を差し伸べると噛み付いてきたり引っ掻いてくる。すぐに手を引っ込めるため、今のところさいわい怪我はない。しかしこれは果たして好意的にとらえてもいいのだろうか。日々ニャーニャー鳴いているのはなんらかの意思表示なのだろうか。返事をしたほうがいいのだろうか。食事に対して必死過ぎて、このあたりはいかにも本能に従順な獣らしい。僕がベッドで寝ていると上に乗っかってくる。下手に動くと蹴っ飛ばしたり落っことしそうで気を遣う。

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近い

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2019春、本・アプリ・Netflix

明日で平成が終わるそうだ。最近は情報源がほぼアトロクになっている。金曜日のフューチャーアンドアパストを聞いたあとに各曜日を聞くのがおすすめです。元トモとかメール送りそうになった。

  • グレッグ・イーガンの短編集
  • 間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに
  • またまたノートアプリを変えた「Simplenote」
  • 最近のNetflix
    • 映画
    • ドラマ
    • アニメ
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「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」ネタバレ・感想・評価

「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」を見た。なんちゅうタイトルだ。原題は「Rebel in the Rye」でそのままライ麦畑の反抗者とかそんな意味。この映画で反逆児とか反抗者って言われてもいまいちピンとこないが、それ以上に邦題の「ひとりぼっちのサリンジャー」なんて部分はいらないし、この映画におけるサリンジャーは全然ひとりぼっちではない。ひとりぼっちになっていく物語とでも言えばいいか。サリンジャーという人やその作品に孤独性みたいなものがあるとしても、この映画でそういうところは描かれていない。むしろ親姉妹と仲良くやってるじゃん、友達いるじゃん、師匠に恵まれてるじゃん、編集者とも会社ともうまくやってるじゃんという場面ばかりが映画のシーンとして登場し、意外に思える。あれ、これ誰の物語なんだっけ、と。これの一体どこが孤独なんだよ。

映画『ライ麦畑の反逆児/ひとりぼっちのサリンジャー』公式サイト-2019年1月18日公開-

  • コメディ映画でしょコレ
  • ニコラス・ホルトは適役か?
  • 読んだことのない観客
  • 映画全体として
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人の話に興味がないのは僕だけではない

世の中みんなそうだったんだ!知らなかった!人の話に興味がないのは僕だけかと思っていた!だってみんな人の話には耳を傾けるのに、僕の話には耳を傾けないから、みんな僕の話に興味がないだけで、人の話には興味あるもんだとばかり思っていたら違ったんだ!本当はみんな誰の話にも興味なかったんだ!興味ある風を装っていただけなんだ!知らなかった!

しかもそういうのって、全部織り込み済みだったんだ!みんな人が興味ないことを前提に話していたんだ!「興味ないと思いますけど…」なんて枕詞は野暮だったんだ!相手が自分の話に興味ないことを当然のこととしてみんな話してたんだ!聞いている方も興味ないけれど興味ある風を装うのがマナーだったんだ!話している方はそれをわかった上で話していたんだ!知らなかった!

じゃあなんで僕の話はみんなから興味ある風を装ってもらえない?誰からも聞いてもらえないのかって?答えは簡単さ!僕は気づいてなかったからだよ!そういう前提にさ!僕に向かってうっかり興味ある風を装ってしまうと、てっきり興味あるもんだって勘違いするだろ?僕がさ!興味ないのに興味あるって勘違いされるっていうのは、興味ないのに興味ある風を装うマナーの前提が共有されていなかったんだよ!

僕の話に興味ないのに、興味あると勘違いさせたらめんどくさいだろ?だって僕には興味ないのに興味ある風を装うマナー前提が共有されていなかったからさ!そういう態度を取ると勘違いさせてしまうんだよ。でも僕はもう知ったよ!これからはみんなの話をふんふん興味あるふりして聞くよ!興味ないけどさ!だからって僕の話は聞かなくていいよ!だって興味ないんでしょ!

カメラが帰ってきた

カメラは壊れていなかったが、充電器が先月壊れて以来カメラを使えない状態が続いていた。充電器を買い、復活した電池が戻ってきた。

しかしこのカメラ、2006年頃のものだからもう10年以上になる。デジカメの寿命は10年と聞いていたから、そろそろ限界ではなかろうか。充電器もあまり在庫がなく、取り寄せた。最近はよく、電源を入れても「SDカードが満タンです」という表示が出る。SDカードに空きはあるが、認識してくれないから、SDカードを抜いたり挿したりしている。

その昔、SDカードを出し入れしなくてもWi-Fiを通じてデータの読み込みができる、Eye-Fiというものを買った。前使っていたカメラでは使用したがこのカメラには対応しておらず、ほとんど使わずじまいだった。Eye-Fiは最近聞かないが、今のカメラは本体がWi-Fi接続できるようで、直接iPadにデータを送りRAW現像を行うらしい。カードを抜き差しするのはもう古いカメラを使っている人だけのようだ。ましてやパソコンでRAW現像するとか。パソコンを使っている人だってなかなか減ってきており、タブレットが主流になったように見受けられる。少し前にやっていたiPad ProのCM「What's a computer?」は、今の人には当たり前のように思えるのだろう。デスクトップなんてもはや業務用。

Appleの新CMは、iPadがパソコンに取って代わるところを見せる | TechCrunch Japan

そんなテクノロジーに取り残されたカメラだが、フィルムではなくアンティークでもない。ただ不便なだけ。センサーは劣化が進んでいき、近い内にいずれ使えなくなる。壊れる前に売っぱらってしまおうかと考えたこともあったが、最終的にどうしても他のカメラに乗り換える気になれなかった。売ってしまえば今後このカメラを使えることはないだろうし、結局壊れるまで使い続けることにした。

気に入ってるとか愛着とかではない。こだわりとも違う。写りがどうとかはよくわかっていない。SDカードは認識しないし、Wi-Fiなんてあるわけがない。SDカードリーダーを用いてわざわざデータを読み込まないといけない。不便だ。充電器は2万円以上もして、替えの充電池だって1万以上する。レンズは高くてとても買い足す気になれない。不経済だ。画素数は1030万画素しかなく、センサーはAPS-Hという中途半端なサイズ。マニュアルフォーカスしかできない。めちゃくちゃ使いにくい。ソニーのα7Ⅲは2420万画素もあってフルサイズ、電気屋で試し撮りしてみたがオートフォーカスはめちゃくちゃ速かった。

このカメラを使い続けるという選択はもはやマゾなのか。ただ自分は必要があって写真を撮るわけではなく、何かと競っているわけでもない。買い換える理由がないと言えばそれまでになる。先日読んだ佐藤健寿のインタビュー、「カメラも引き算の時代が求められる」という記事はよかった。僕のはもう引かれすぎているけれど。