5.17

ネットニュースでもTwitterでもテレビでも、憂鬱なことしか言っていない。ワクチンがどうとか、会食がどうとか、オリンピックがどうとか、満員電車、IT担当大臣、接触確認アプリ、うんざりする。特に国内のニュースは見てられない。かつてそう思ったように、国外逃亡したいという気持ちが募る。ただ実際は日本国外のほうが大変なことも多く、現実から目をそらさないでいたい。それにしても、報道があまりにも扇情的というか。唯一の和みは小泉進次郎関連のニュースぐらい。

どうせ今できることはないんだから、大人しくしているしかない。世の中がどうなっているとか、人がどうしているかは、とりあえず無視しておこう。惑わされないように。重要ではない情報は制限しておいたほうが、心を健やかに保てる。さいわいにも、人と会いたいとか外食したいとか会食したいとか、元来そういう欲求が乏しい。このまま今まで通り、なるべく外へ出ないように過ごすのが一番なのだろう。もはや #StayHome とも言われなくなったな。ソーシャルディスタンスさえ。マスクと手洗い消毒がかろうじて残っている。

最近の感染者数は、年明けのピークに迫っているようだ。重症者はそれより多い。直接の知り合いに感染者が出たとき、近くにいた人で間違いなくかかっているからといってPCR検査はなし、症状が軽いため自宅待機、という人が何人もいた。彼らは感染者数にカウントされたのだろうか。潜在的な感染者はどれぐらいの数になるだろう。未知数だ。周りで人が集まっていようと、旅行していようと外食していようと、それで今まで感染していなかったとしても、自分はリスクを避ける行動をとっていたほうが安心する。

家でやる娯楽はたくさんある。最近は、以前に比べてめちゃくちゃ本を買っており、少しずつ読んでいる。気分に合わせて読む本をころころ変えているから、なかなか読み終わることがない。最近読んだのは「ソロー『森の生活』を漫画で読む」。映画は全然見られていないけれど、ときどき見ている。見たいのはたくさんある。最近見たのは、去年アトロクでも話題になっていた「メイキング・オブ・モータウン」。見たいのだと、これも去年話題になっていた「透明人間」とか、映画館でやっているのだと「ブックセラーズ」。ドラマは「This is us シーズン3」をようやく見終わった。それぐらい。

付加価値の生産みたいなことはやっていない。財を消費するばかり。日記の更新頻度を上げたり意味のない活動はしている。

今週のお題「やる気が出ない」

5.15

ショックなこと。おとついわかったことだけど、普段使いしているボールペンの替芯が潰れていた。まだ未開封なのに。ずっと前に買って、いつ交換する日が来てもいいようにずっとノートのポケットに挟んでいた。交換の日が来る前に潰れてしまった。これは使えるのだろうか。一応インクは漏れていない。

今使用中の芯も同じものなんだけど、前回交換したときも不幸な形だった。ボールペンを落とした弾みで先が潰れ、インクが出なくなって交換せざるをえなくなった。そうやって使い切る前に交換する事故が続いている。今回まだ交換してもいない新品の替芯がこんな形で潰れたのは、上に重いものを載せたからだろうか。それにしてもこんな潰れ方をするなんて、よっぽどだと思う。

このPARKERのペンはいったい誰にもらったものだったっけ。自分で買ったわけはない。会社員の頃から使用しているからもう10年以上になるんだけど、誰にもらったペンだったか全然覚えていない。

「本の読める場所を求めて」を読んだ

読みやすく、おもしろい本だった。内容を一言で言えば「本を読むのに適した場所がない!」と嘆く著者が、自ら試行錯誤を重ねて理想の店を作った話。理想の店とはどんな店か。渋谷と下北沢にある「本の読める店」だそうだ。

前半は、本を読むのに適した場所がなくて困り果てる著者が、ここでもないあそこでもないと街をさまよう姿を延々と描いている。自宅、ブックカフェ、図書館、喫茶店、一見読書しやすそうなところはいくらでもあるのに、どれもこれも全部、何かが違う。場所を変え変え行けども行けども、それらがいかに本を読むことに適していないか、そしていかに読書をする人が世間で冷遇されているか、体験談を踏まえて語っている。その体験の恨みつらみは、声高な煽り芸で主張されている。

その内容は「言われてみれば」と思うこともあれば、「神経質すぎるだろ」と思うこともある。同意できる点、できない点は人によって違うと思う。この内容をおもしろく読める人もいれば、このスタイルに苦手意識を感じる人もいるだろう。僕は単純に読みやすいと思った。ブログ的な文章だなと。

後半は、著者が「本の読める店を作りました!」という内容。この本を書かれた阿久津隆さんは、fuzkue(文机のことかな)という「本の読める店」を渋谷と下北沢で経営されている。2014年から始められて、今年2021年には3店舗目ができる予定みたいだ。うまく行ってるようですね。では「本の読める店」とは一体どういう店なのか?どうすることで「本の読める店」を実現することができたのか?その採算性も含め、コンセプトからルール作り、店を始めてからの具体的なエピソードと、方針の調整に基づく成功体験が記されている。

  • 前半:本を読むのに適した場所が全然ない!
  • 後半:本の読める店を作りました!
  • 「本の読める店」に行きたいか?
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ヒトコトへの回答㉒:遺伝、ブログを見た人と話す

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  • 67通目:遺伝、ブログを見た人と話す
    • 親と自分の共通項とか性格の遺伝について
    • 自分の内面を見られた上で人と接することについて
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お題「#新生活が捗る逸品」

お題「#新生活が捗る逸品」

最近買った、本とレコード以外の物といえばスニーカーだった。新生活がはかどる?新生活ってなんだ?4月から新年度でってことなのか?自分にとっては何も変わらない日常が続くだけなんだけど、逸品は逸品だった。

みんな知ってるニューバランスです。574と996で迷ったが、996にした。1300とかも考えたがUS・UKモデルしかなく3万円代だから、さすがにいいやと思って。久しぶりにニューバランスを履いてみて、それもサイズがしっくりくるものを履いて思ったのは、ふかふかだな。

靴のサイズを合わせるのが苦手で、去年買ったレザーのジャック・パーセルは履いているうちにだんだん大きいことがわかった。かといってハーフサイズ小さいのも合わせたけど幅がきつすぎた。ジャック・パーセルのレザーは足に合わなかったということかな。

今まで履き心地がいいと思ったのは、VANSのオールドスクールだった。でも1年ほど履いただけで擦り切れてボロボロになったから、その後あまり買っていない。今回買った996もけっこう良い。つい走り出したくなるやつ。そういう履いて外に出たくなるような靴は良い。脱ぎ履きもしやすい。欠点というか難点は、布地だから軽い雨が降っただけで染み込みやすいこと。それぐらいはしょうがない。

574ではなく996にした理由は、なんとなくの見た目です。L字がない方。あと574のほうがよく履かれているかなと思って。次買うときはホカオネオネを試してみたいです。

ヒトコトへの回答㉑:寂しさとか、

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66通目:寂しさとか、

寂しさとか、外に対して自分を発信していくことについて質問です。
いつも更新楽しみにブログ読ませてもらっています。 生きてきて寂しさを感じる事はありましたか?また寂しさについてどう思うか聞きたいです。 よくブログを拝見すると外に写真を撮りに行ったり、旅行を一人でしています。 自分はインドア派で一人で外出てもつまらないしなとか感じて、基本一人で外出してもうまく時間を潰せません。隣に誰かいたり複数人だったら感想を共有できたり、話相手がいればどんどん外で遊んでも大丈夫です。 でもその反動で一人で外に出ると寂しさとか何も無さを感じてしまいます。奇麗な景色や風景を見つけてもすぐに伝えられないし、分かち合えません。
でも逆にだからこそ一人で外に飛び出し知らない所、人と交わるのかなとも考えたりします。そんな風なこと考えたことありますか?
また上に続くのですが一人だからこそ外に情報を伝えるためにブログとか書いたりできるのでしょうか? 実は自分は何度かブログを始めたりしているのですが長く続いた試しがありません。始めると公開されているものだから定期的に更新しなきゃとか、観念に囚われて最初の気持ちが冷めてしまいます。
もう長い期間ブログをやっているのでライフワークのひとつだと思うのですが何か意見や考えがあれば書いて欲しいです。これからも更新楽しみにしています。

まず、僕の「寂しさ」について2015年に書いているから貼っておきます。

今これを読むと、どうなんだろう。とりあえず置いときます。

一人で行動することについて。例えば旅行は、僕は一人で行くことも数人で行くこともあり、それぞれ楽しみ方が異なる。インドア派と書かれているけれど、もし家で一人で過ごす楽しさを知っているのだとしたら、それを外に持っていくのが一人旅行だったり、一人の外出。それだけ。家と外の違いは、やることが違うだけで、楽しみ方は変わらない。一人で行動するときは、共有したり分かち合うのが目的ではないから。

ブログに書いたりしているのは、記録ですね。書き残しておきたいという気持ち。また自分の感想や思いをどこかで消化したいという気持ちもある。だからブログに書く。手帖でも日記帳でもいいんだけど、オープンな場所でないとちゃんとした言葉で書かないからブログに書く。一人とか数人とかは関係ない。例えば、人と行った旅行の話も書いている。

結婚してからは奥さんに話すことによって、消化して満足することが多くなった。書き残すまでもないや、と思って書かなくなったことも多い。これは僕が体験や考え方を一方的に話すだけで、人との共有や分かち合うこととは違う。一方的な消化。相手は体験も同意もしておらず、興味なかったり聞き流してくれる。それで構わない。壁打ちというよりも、灯籠を川に流すような感じに近い。

ブログが続かないのは単純に、書きたいことがないからじゃないのかな?もしくは書くことが大変で、そのハードルを超えてまで書くに至らないとか。

ここまで書いて、冒頭の寂しさの話に戻ります。寂しさを感じる事はあるか、という質問について。子供の頃は結構あったと思う。それ以降はあまりないんじゃないかなー。退屈とか暇な状態を「寂しい」と言うんだったら当てはまるかもしれないけれど、それはどうやら違うらしい。

僕が思うに、「寂しい」というのは感情や状態ではなく、人なんですよね。寂しい人。寂しい人だから、寂しいと感じる。寂しい人だから、一人でいる他人を見ても、寂しいと感じる。僕は寂しい人じゃないから、一人でいても寂しいと感じないんだと思う。「寂しい」は状態ではなく「人」に付属する要素。

「寂しい人」は一人であろうと、誰かと一緒に居ようと、本質的に寂しいんですよ。ただ人と居るとその瞬間は寂しさが紛れるというだけで、本質的に「寂しい人間」であることには変わりない。

じゃあその「寂しい人」「寂しい人間」ってなんなんだろうって話ですよね。「寂しい人」は、外から見ると要するに「一人じゃ不安な人」「常に誰かと居たい人」ということになる。なぜ「一人じゃ不安」なのか。わかんねー自信がないとかそういうの?寄る辺ないとか。でも僕だって、無人島で半年暮せば寂しいです。退屈で、人恋しくなるだろうな。だから結局僕もそのときは寂しい人。でも一週間も人と居れば、あと半年は一人で平気となるかもしれない。所詮程度の問題じゃないですか?

これまでのヒトコト、回答をまとめました。

「本についての、僕の本」を読んだ

こういうタイトルだけど、ここで紹介されている本はアメリカの写真集が多い。この「本についての、僕の本」を知ったのはInstagram上だった。写真の説明文としてこの本の文章が引用されており、原文を読みたいと思った。1988年のやや古い本で、雑誌ポパイで連載されていたコラムをまとめたものだそうだ。本屋などではおそらく見かけることがない。僕はまず、図書館で借りた。そして全部読み終える前に古本を購入した。

著者は片岡義男という作家。僕は全然知らなかった。作品も読んだことがない。Wikipediaによると父親が日系二世のハワイアンだそうで、アメリカ文化に精通しているのかもしれない。この「本についての、僕の本」で紹介されている本は、アメリカの文化を切り取った本ばかり。テディベアの本とかミッキーマウスグッズの本とかボーリングの本とかホットドッグの本とか、そのどれもがあまり興味の湧かない本。しかし、著者の紹介文が読ませる。一冊の本に対してわずか2ページから4ページの紹介なんだけど、実に上手くその魅力を語る。

そのバトン・ガールは、若い。躍動している。はちきれそうである。きっと美人だろう。太腿やふくらはぎが、素晴らしい。とは言え、彼女は決して特別の存在ではない。一九四〇年のアメリカのなかで、彼女のような女性をさがしたなら、困ってしまうほどにたくさんいたにちがいない。彼女は、ごく普通の人だ。しかし、まさにその普通の人として、彼女は、この写真の中で、ロススタインの写真的な力量によって、具現のようになりえている。
なにの具現かというと、アメリカの力の具現であり、ではその力とはどのようなものかというと、常に新しく自分を作り出していくことのできる力だ。そのような力に対する、信仰にも似た信念を、彼女はパレードの先端で具現している。具現することによって、彼女は、アメリカのなかで普通の人が持ちうる、あるいは持たなくてはいけない、尊厳のようなものを、端的に表現している。 P156

これはアーサー・ロススタインという人の「America in Photographs 1930-1980」という写真集の紹介文で、表紙になったパレードの写真について解説している。この紹介がなければ、この写真集のことは知らなかった。たとえ本屋で見かけたとしても手に取らなかっただろう。それが今僕はネットで注文してしまっている。見事にしてやられている。僕だけでなく、この文章を読んだ多くの読者が、全く興味もなかったはずの写真集を手にとって購入したんじゃないだろうか。この「アメリカの心がうたう歌が聞こえる」と題されたコラムは、公式サイトでも全文公開されているので、興味が湧いたらどうぞ。

この本の中では、36冊の本が紹介されている。そのうちさすがに全部とは言わないが、5冊は欲しい本が見つかった。手に入りそうにない本もある。ジョエル・マイヤーウィッツの「A Summer's Day」なんかは古本でいくつか見つかった。ルー・ストーメンの「Times Square」も、あるにはある。ただタイミングを逃せば見つからないだろう。もしくは海外からの輸入になる。ネットで海外通販なんて今どき珍しくないから、頑張れば手に入るか。送料と期間がどれぐらいかかるかはわからない。ゲイル・レヴィンの「Hopper's Places」もほしいけれど、そんなに安くは売っていない。

こういった、本が欲しくなる本は実に読んでいて楽しい。それが、聞いたこともないような本だったり、もともと全然興味が湧かなかったような本だったら、この本を読むという体験そのものが全て新しい発見になる。そして、この本を読んで欲しくなった本を買い、ページをめくるときも手元に置いておきたい。改めてコラムを読み、内容を照らし合わせて確認したい。それぐらい、「本についての、僕の本」は何度も楽しめる。

本についての、僕の本

本についての、僕の本

今週のお題「おうち時間2021」

「ニッポンの海外旅行」を読んだ

この本は「日本の若者はなぜ海外旅行をしなくなったのか?」という疑問に端を発し、1960年代から2010年までの50年間における、日本の若者の海外旅行傾向の推移をまとめた本だった。僕みたいに旅行が生き甲斐だった時期のある人間からすれば、非常に興味深いテーマを扱っている。それぞれの時代で若者の旅行に影響を与えた「何でも見てやろう」(60年代)、「地球の歩き方」(70年代)、「深夜特急」(80年代)、「旅行人」と「アジアンジャパニーズ」(90年代)「猿岩石日記」(それ以降)などが全て出てくる。地球の歩き方は読み物ではなくガイドブックだけど、全部読んできた本ばかりだ。

この本では序盤に「日本の若者の海外旅行が著しく減っている」「とりわけバックパッカーは昔に比べると見る影もない」といったような書かれ方をしている。実際に海外渡航数のデータを引用して、少子化を考慮したとしても著しく減少していることを示している。ただ、自分としてはあまり実感がない。昔は本当にそんなたくさん旅行者がいたのか?

身の回りでは、自分より上の世代から海外旅行をしていた、それも個人旅行を楽しんでいたなんて話を聞いたことがない。むしろ海外に行ったことがない、飛行機が嫌いというような声の方がよく聞く。身の回りの事例は実数が少なく、当てにならないかもしれない。でも自分の印象としては、自分たち世代周辺のほうが、よりカジュアルに海外旅行をしている。

だからバックパッカーが多かった時代なんて、超局所的な現象なんじゃないだろうか?と疑ってしまう。例えば東京の一流大学の学生の間でだけ流行ったとか。旅行どころか旅行本を読んでいたという人の話さえ、ほとんど聞いたことがない。でも7・80年代に若者だった人は今50代だから、単にその世代とずっと接点がなかっただけかもしれない。

この本からわかることは、日本において海外旅行がいかに「商品」であったかということ。今も昔も多くの日本人は、通過儀礼として海外旅行を行っていたわけではなく、知的好奇心・探究心を満たすために海外へ飛び立ったわけでもない。ただ単に「海外旅行」という商品が、メディアによって時代に合った形で魅力的に紹介され、若者はそれに乗っかっていたに過ぎなかった。時代を経るに連れ、その宣伝媒体が「地球の歩き方」+格安航空券から「るるぶ」+HISへと移り変わった。旅行のスタイルも、時代が変わると共に変化していった。海外旅行もバックパッカーも、大人に仕掛けられたブームという点では同じであり、当事者である若者には主体性なんてなかったんだなと実感する。

この本が出たのは2010年で、僕が旅行を始めたのもちょうど2010年頃だった。この本に書かれていない、2010年以降の話をする。当時は既に情報社会だった。海外の情報なんてそこら中に溢れかえっており、わざわざ時間とお金を費やして現地に出向く海外旅行は、その魅力を提示するのがより困難になっていただろう。海外旅行の魅力なんて、実体験がなければ共感も得にくい。にもかかわらず、体験するためのハードルが高い。海外旅行はいわゆるコスパの悪い、非効率な娯楽、ないしは趣味だった。一部の物好きしか行わない。

このあたりは現代における趣味の多様化とも関連しているかもしれない。好きな人はとことん好きだし、やる人はとことんやる。けれどそれ以外の人からは全く縁遠い。こういった現象は、現代どの趣味においても共通した現象ではないだろうか。それぞれの分野を占める人口は、多様化に伴い減っている気がする。

この本に書かれている著者の結論については、どうなんだろう?というかよくわからない部分があるけれど、バックパッカーの文化史として非常におもしろく読めた。あまり残らないタイプの参考文献をめちゃくちゃよく調べ上げ、この本ができるまでさぞ大変だったんじゃないかと思う。日本のバックパッカーに興味がある人、その文化史に思いを馳せたい人は必読です。それは例えば、「何でも見てやろう」「深夜特急」なんかをおもしろく読んでいた人のことを指す。

Dispoというアプリと、近藤さんが言っていたこと

こちらのPodcastでDsipoを知った。Dsipoとはdisposable(使い捨て)から来ており、写ルンです感覚で撮るカメラアプリのこと。ファインダー(のぞき窓)が小さく、自由な加工ができず、なおかつ撮った写真は翌日にならないと確認できない。撮った写真はロールというフイルム単位で、他の人と共有することができる。

Dispo - Live in the Moment

Dispo - Live in the Moment

  • Dispo, Inc
  • 写真/ビデオ
  • 無料

感覚としては、パーティーやイベント、ディズニーランドに使い捨てカメラを持ち込み、その場で写真を撮って、後で出来上がったものを仲間たちと共有する。まさに写ルンですをアプリで再現している。

なんでわざわざそんなものを作ったのか。昨今のInstagram上では、みんな「いかに映える写真を撮るか」に夢中になってしまっている。注目される写真を撮るために、人工的に絵面を作り、何度も撮り直し、加工することに躍起になり、肝心の現場が蔑ろにされている。みんなアプリ上でバズることだけを目的として、その場を全然楽しんでないんじゃないか?というような思いが創業者のデビッド・ドブリック氏にあったそうだ。

そしてパーティーで実際の使い捨てカメラの使われ方に注目し、もっと今を楽しむアプリが作れないかと思い、このDispoというアプリができあがった。Dispoは写真そのものを注目させるためのアプリではなく、メインはあくまでリアルの現場。アプリはみんなをカメラの前に寄せ合ったり、楽しい思い出を再共有するといった、メインである現場(リアル)を盛り上げるための補助ツールに過ぎない。

この、SNS上やオンライン上よりも、今この瞬間の現場を大切にする、リアル回帰みたいな発想って、まさに近藤さんがはてなを辞めてONDを立ち上げ、物件ファンなりUNKNOWNへ移行した流れにそのまま当てはまるんじゃないかと思った。WEBサービスをずっと作ってきたから、次は人の生活の場である不動産だったり、人が直接関わり合うコワーキングスペースだったり宿をやりたいみたいなことを、近藤さんは言ってたような気がする。

近藤さんがONDを始めたのは、2017年だから3年以上前。上に貼ったPodcastによると、2,3年前から若い人の間で、実際の使い捨てカメラが再び使われ始めていたそうだ。偶然にも同時期に、イノベーターと若い人が同じ発想で動いている。ネット、スマートフォン、SNSに疲れ、今あるこの瞬間、この現実を大事にしていこうという流れは、実はその頃から既に始まっていたのかもしれない。Dispoは立ち上がったばかりだけど、Instagramに取って代わるだろうか?どのような使われ方をするだろう?SNS上よりもリアル回帰という、時代を象徴するような同じコンセプトの、新たなサービスは現れるのだろうか?

最近何をしてるか

仕事とかそういうのではなく、私的なやつ。映画とか本とか音楽に時間とお金を消費するのは、もはやマイノリティなのだそうだ。マジョリティはYouTubeやソシャゲに課金?いやそれも既に10年前からあって、いま大多数の人が何に時間とお金を消費しているのかは知らない。僕がYouTubeで定期的に見ているのは、ゾゾゾと10万ボルトTVだけ。あとは音楽のビデオぐらい。ソシャゲはロマサガRSとマリオカートを惰性で続けている。ウマ娘は入れてみたけど複雑すぎて面倒でやらなかった。

  • ネットでは何を見ているか
  • 映画
  • 音楽
  • ラジオ
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ヒトコトへの回答⑳:承認欲求

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65通目:承認欲求は何故生まれた

なぜ人は承認を求めるのか、という2016年の記事を読み、感心しました。自分は、「承認欲求は何故生まれた」を調べていたのですが、その答えと更なる知識をあなたの記事から得ました。感謝します。Osaka 30歳女性

2016年の記事とはこちら。

「何故生まれた」というのはそういう欲求がどこから発生するのかということだろう。答えかどうかわからないけれど、僕はそうじゃないかという説を調べただけ。それにしても、5年前か。さすがに内容が古い。当時流行していた「嫌われる勇気」とアドラー心理学どうこうに釣られてこういう話題が盛り上がっていた。「嫌われる勇気」は結局読んでいない。承認欲求の話とは、実はあまり関係ないかもしれない。

この話とは直接関係ないけれど、最近「性と愛の脳科学」についての話を読んで、人が暮らす上ではつくづくホルモンとの付き合い方が大事だなーと思った。

ホルモン、なんていうの?脳内物質?神経伝達物質だって。この話は、欲とか愛とかってのはだいたい神経伝達物質の作用ですというやつ。人間の本能とか、愛情とか、感情と呼べるものは、化学物質によってもたらされる脳の信号に過ぎない。

だから、人が快適な生活を送るためには、自らの理性でもって、いかにホルモンの作用を導くか、コントロールするかにかかっている。分泌のおもむくままに行動する人は、それはそれでいいのかもしれない。けれど、悩んだり苦しんだりするんだったら、そういう道がある。仏教とかがずっとやってきたのがそれじゃないのかな。

こういうことは割と、子供の頃から意識していたほうが楽に生きられるかもしれない。例えば欲求だったり不安だったりがあれば、その原因を探る。自分はどういうときに、どういうホルモンが分泌されて、何を望んでいるのか。何が足りないのか。抑制するためには、どこにどう流していけばいいのか、満たすためには何が必要なのか。自らと向き合っていくことで、平穏な日常が保たれる、そんな気がする。

これまでのヒトコト、回答をまとめました。

特に言いたいことはなくて

流れてくるニュースを見ていると、大変だなーと思う。僕らの元にワクチンが届くのは、単純計算で3年後らしい。日本国内では供給も接種もものすごくスローなのだそうだ。3年後にはさすがに流行が終わっている気がする。それでも、どうやら今年中にオリンピックをやるそうだ。不参加確定なのは、今のところ北朝鮮だけなのかな。国外からの観客は来れないことになった。そのあたり自分はどこまでいっても傍観者であり、ただ大変だなーと思う。接触確認アプリはどうなったのだろう?

この一年について、インターネットがあってよかったと思う。スペインかぜの頃にはインターネットなんてなかった。あとはこの時期、パートナーがいてかなり救われた。日々一日たりとも孤独を感じることはなかった。いまだに友人とはほとんど顔を合わせない。仲が良かった人も今は月に一度会うか会わないかで、遠い人や普段会っていなかった人とは本当に会わなくなった。それっきりになり、この一年で望まずとも切れてしまった人との縁は少なくない。この一年の間の人間関係は、前のめりにならなければ続かなかった。お店なども、一度行ったきりになっているところが多い。

そうでもない、という人もいる。この時期も積極的に出歩き、人と会い、店に通い、コミュニケーションを交わして関係を続けている人だっているだろう。ただ僕にとっては、抜け落ちてしまったような一年だった。今後、以前のような状態に戻ったとして、でも以前のようには戻れない。その間にいくつかはなくしてしまった。いくつかはもう繋がることもかなわない。

以前よりも消費が増えた。家にいる時間が増えたからかもしれない。物も増えた。日常の雑用で日々忙しい。時間があるようでないようで。時間の使い方が下手になっている。やり残した些細なことが常にいっぱいあるような感覚。事実、ToDoリストが消化されないまま、忘れ去られて流れていく。あれもやろうとしていた、これもやろうとしていた、じゃあ自分は一体何をしているのか、何もしてないんじゃないか、ずっとそんなことばかり思っている。

今週のお題「下書き供養」

例えば村上春樹の生原稿はいくらの価値があるのか?「グレート・ギャツビーを追え」を読んだ

「グレート・ギャツビーを追え」という小説が昨年邦訳されて話題になった。著者は「評決のとき」「ペリカン文書」などのジョン・グリシャム。推理小説なのか、ミステリ作家なのか、そのあたりという程度の認識。著者の名前はさすがに知っているけれど、読んだことないし普段読まないタイプの本。

  • 「グレート・ギャツビーを追え」に惹かれた部分
  • 絵画のように売り買いされる生原稿
  • 希覯本(きこうぼん)というコレクションの世界
  • 感想
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自宅でコーヒー豆を煎る話

先日増田でも見かけた、コーヒー豆の焙煎。自分でも記録しておこうと思った。

2年前にこのブログ経由で結婚祝いに生豆をもらって以来、何度か焙煎を試みている。

  • 手網で失敗した
  • フタ付き鍋がよかった
  • ガスコンロでやっている
  • 生豆が買えるところ
  • 自宅で焙煎してみて
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