ダイアン・アーバス作品集:アウトサイダーとは誰のことか

これまでにも写真集は買ったことあるけれど、たまたま見かけて買ったものばかりだった。「写真集を買おう」と思って買う最初の一冊は、ダイアン・アーバスしかない。理由はまず、テーマがわかりやすかった。写真のことがわからない自分にも、とっつきやすいのではないか。次にそのテーマが自分にとって、親和性が高いと思ったから。

ダイアン・アーバスはヌーディストや障害のある人、双子などを撮った写真が有名で、亡くなってから回顧展が開かれ、写真集が出た。亡くなってから有名になった人っぽい。どこかで「アウトサイダーを美しく撮る人」みたいに書かれていた。被写体と親しくなり、その魅力を引き出して本人に喜ばれる写真を撮ったとか。

アウトサイダー・アートという言葉を一時期よく見かけた。それはアウトサイダーが作るアート作品、みたいな意味だったと思う。今調べてみると、その言葉はどうやら日本とそれ以外で使われ方が違うらしい。ダイアン・アーバスの写真もそういう文脈で語られているのを見かけたが、今ここではアウトサイダー・アートのことはひとまず置いておく。

ダイアン・アーバスは被写体にアウトサイダーとしての自分を見ていたのではないか、みたいなこともどっかに書かれていた。撮影者の目を通して撮られた人たちが、撮影者そのものを表しているなら、それを見る自分は一体誰なのか。

アウトサイダーを撮るダイアン・アーバス、の写真を見る自分。写真を通して、自分のことがわかるのではないか。「アウトサイダーとは、自分のことではないか?」という気持ちが、撮影者と同様自分にもあるから、きっとこの本を選んだのだろう。世界的に広く読まれている写真集だけど、見る人がみんなそういう気持ちなのだろうか。アウトサイダーとしての自分を見つめるための本として、手に取っているのだろうか。

2024.3.3

FF7リメイクの続編が出た。FF7は中学生の頃に学校を休んで買ってプレイした思い出がある。それが現代の技術で甦ったFF7リメイク、リバース共に、いつかやりたいと思っているけれど、ハードを持っていない。シェンムー3もやりたいけどハードを持っていない。こういう作品って当時のプレイヤーとしては有り難いんだけど、今買ってプレイするのもやはり当時のプレイヤーなのだろうか。リメイクから入る人もいるのか?僕としてはやはり、懐古的な楽しみが強い。それだけに、原作というか当時のゲームに忠実という評判を聞くと、なおさら手を伸ばしたくなる。しかしゲームハードがない。ゲーミングPCもない。このためにPS5を買う人だっているのか、それはさすがにもったいないというか、持ち腐れになる。

写真は2016年、ニンビンです。

4年前

閏年で4年前と4年間を振り返るようなことを書かれているのを見かけたので、4年前のカレンダーを見てみた。2020年の2月は、奥さんが母親の看病と付き添いのために頻繁に実家に帰っていた。時期を見計らい、奥さんの父母と一緒に桂離宮にも行った。

4年前はまだ奥さんの母親も、僕の父親も、茶トラの猫も生きていた。この4年間は死に別れの4年間だった。生きるということは死に別れることと同義で、この先もますます機会が増えてくるだろう。叔母は去年とおととしに身近な人を3人亡くしており、いいことでもないとやっていけないよなーと思う。みんなどうやって精神を保っているんだろう。保ってないのかな。わからん。

写真は2024年、鴨川。

2024.2.28

今週のお題「習慣にしたいこと・していること」

習慣は苦手なので、基本的にはやらない。でも短い期間だけ続けていることがある。最近はだいたい毎日腕立て伏せとV字腹筋を朝にやっている。腕立て20回、腹筋30回が基本で、多いときで腕立て30回、腹筋40回、今のところこれ以上はできない。いつからだろ、去年の10月頃から続けているのかな。リマインダーに登録しているから確認できる。どうやら7月にはもうやっていたみたいだ。そんなに長く続けてたっけ、記憶にない。半年も続いているのか。最初はスクワットもやっていたけど、いつからかやめている。

年末頃からジョギングを始めた。それも週に一回だけ。雨だったり忙しかったりインフルエンザに罹ったりで、できないこともあった。これも一応記録を取っていて、12月から2月までに9回走っている。一回につきだいたい1時間から1時間半、6〜10km。走るのは少し慣れてきた。続けられるかどうかはともかく。

週に一回もしくは二回以上、休肝日を設けるようにしている。これもGoogleカレンダーに記録を残していて、2022年の9月から続けていた。お酒を毎日飲む習慣がない人は関係ないと思うけど、肝臓の数値が悪くなってから休肝日を意識し始め、記録を録ってからは少なくとも週一回は飲まないようにしている。

Duolingoでフランス語の学習を始めた。面白くない遊びみたいなもんだけど、今のところ38日続いている。

写真は2016年、ハバナ。写真も日記もなかなか習慣的には続けられない。何か撮るものだったり、書くことがないことには。

2023.2.23

一つのことが長く続けられない。めんどくさくなって考えるのも嫌になってくる。何かこう、一つのことに没頭できればその路線で上達もするんだろうけど、その前に飽きがくるのか、なんなのか、のめり込めないのか、なんなのか。

少し前は、レコードについていろいろ調べたり、買い漁って実際に聴いたり、本を読んだりしていた。まだそういう本は残っていて、けっこう積みっぱなしで、最近は新しく手を付けていない。ネットやツイッターの情報収集もほどほど。3年ぐらい前は片っ端から漁っていたけれど、今はそれほどでもなくなった。

でも全く興味を失ったとかではなく、レコードは手元にたくさんあり、今も毎日何かしらかけたりしている。きっかけがあれば、残った本も読むだろうし、また意欲的にいろいろ調べたり聴いたりするかもしれない。ただ、今はちょっと落ち着いている。何か新しい動きでもあれば。

最近は写真集について調べまくっていたけど、早くも落ち着いてきている。なかなか実物を手にしたり、その先に進めず停滞して、そのままになっているのか。だから気になっている本があっても、それが決して手を出しにくい本でなくても、二の足を踏んでいる。一つには、レコードも写真もそうだけど、全然わからないというのがある。わからないから先に進めない。もがいているうちに、冷めてしまう。今まで何事もそうだったかもしれない。立ち止まって、引き返してしまう。

写真は2014年、トロント。トロントの街中にはこういった公共のスケボー公園、バスケットゴールがところどころあった。冬は雪が積もって使えない。

今週のお題「習慣にしたいこと・していること」

2024.2.22

今日は久々に一歩も外に出なかった。朝から何してたっけ。昼は1時間ぐらい用事、それから眠かったり、事務作業したり、何もしてない。今日は昨日みたいに雨も降っていなかったのに、一日怠惰に過ごした。

写真は2014年、トロント。これは夏の写真だけど、今はまだ冬に凍えている頃だろう。

2024.2.21

まんだらけにウィリアム・クラインの東京が置いてあった。こんなに安いの?と思ってレジへ持っていったら、桁を一つ間違えていた。7万7000円。いやそんな高いのかむしろ。写真集8万近いのか。僕の認識では4万ぐらいで探せばあると思っていた。それはオリジナルではなく新版だった。3万3000円。これがもはや高いのか、わからない。とにかく写真集になかなか手が出ない。

写真は2016年、エルサレム。夏だったから、きっと暑かったと思う。あまり覚えていない。気候的にそんな恵まれた場所ではない。

ゴールデンバットがなくなっていることを今日知った

タバコの銘柄です。ゴールデンバット、僕が買ってたときは140円だったかな、190円だったかな、忘れた。20年近く前。ゴールデンバットを含む三級タバコは、たばこ税の値上がりに耐えきれず、採算が合わないということで数年前になくなってたようです。僕が禁煙を始めて5年経つけど、その後になくなった。

ゴールデンバットは太宰治が吸っていたから知った。他にも敷島とか、昭和の文豪小説にはタバコの銘柄が登場する。銘柄にはあまりこだわりがなかったけど、結局アメリカンスピリットのメンソールに落ち着いて、ずっとそれを買っていたなー。よく5年も禁煙が続いているもんだ。で、禁煙のお陰で最近のタバコ事情を何も知らなかった。もう値段も知らないし、どこで吸っていいのかも知らない。

それにしても、タバコをやめた人は本当に増えた。今は酒をやめている人までいるけど、僕はまだ全然飲んでいる。みんなそんなにいろいろやめて何してるんだろう。サウナ?筋トレ?でもそのへんは前からあったし、元喫煙者、元飲酒組は一体どこへ流れたのか。どうやってその分を解消しているのか。

写真は2024年、京都。それっぽい風景の写真。これは高野川です。

2024.2.19

写真は2024年、京都。写っているこれが何か、知っている人はいるのか。目の虹彩をスキャンする装置です。ワールドコインの発行に使います。ワールドコインは暗号資産の一種だけど、ChatGPTのサム・アルトマンが作ったベーシック・インカムと言われてます。なにがなんやら。目の個人データを登録することで、月に2,3回ワールドコインが発行されます。気になる人はどうぞ。僕は今月登録して、今2万円ぐらいもらったのかな。ただ円に両替するのが面倒なので、そのまま放置している。

World Appに招待しています。76 WLD(現時点で¥87,673相当)をゲットするには、来週の日曜日までにAppをダウンロードし、Orbを使用してアカウントの認証を受けてください。

設定 D8M4JWK でコードを入力する https://worldcoin.org/join/D8M4JWK

2024.2.18

今週のお題「大移動」

大移動、と言われて最初に思い出すのは、一人民族大移動、アンドレ・ザ・ジャイアント。でも別にアンドレのエピソードはない。前田日明との不穏試合が伝説になっていたが、ネット黎明期に動画が出回るようになって、見てみるとそんなに大した内容ではなかった。

そんなことより、大移動。自分にとっての大移動は、一番はなんといっても西アフリカまで行ったことで、飛行機を乗り継いで27時間ぐらいかかった。でもこれは、思っていたより意外とすんなり楽に終わった。もう一度経験したいとは思わないけど、「水曜どうでしょう」のサイコロで出る博多号とかより楽なんじゃないか。

それでもエコノミークラスで長距離移動するときは、中継地点の空港でちゃんと一泊とかするのが賢明です。乗りっぱなしはきつい。当たり前のこと言ってしまった。ベストなのは、もう乗り継ぎではなくいっそのこと2ヶ所観光にしてしまうこと。中継点だからといって、ただ通り過ぎてしまうだけなのはもったいない。日程に余裕があるなら中継点の観光も加えて引き伸ばしてしまおう。そうなったらもう周遊旅行だ。ツアーの周遊旅行は行ったことないけど、ツアーじゃない周遊旅行もいいものですよ。

写真は民族大移動ではないです。今日近くでマラソン大会があった。

2024.2.16

写真は2016年、バイロンベイ。バイロンベイにもう一度行きたいかというと、複雑だ。僕が行ったのは31歳の頃で、もっと若ければと思った。でも実際は20代で行ってても同じだろう。自分向きではないけど、憧れはあるような、そういう土地。マリンスポーツをやる人でもなければ、行っても暇を持て余すかもしれない。物価は高いし、長期滞在には向いてない。でも2、3泊だけというのももったいない。僕は一週間ぐらい滞在して、仕事が見つからなくて出た。

今なんとなく検索したら #バイロンベイ インスタグラマーの楽園 というNetflixの番組が出てきた。端的に言えばそういう土地ですはい。海が綺麗で気候も温暖で、若者が集まる。やっぱり自分はもっと小汚いところのほうがいいな。

2024.2.15

ここ数日は、ひたすら写真集のことばかり調べ倒していて、けっこううんざりしてきた。一つのことばかりやっていると飽きてくるというか、考えるのが嫌になってくるというか。写真とか、見てもあまりよくわかっていない。いいとされる写真があり、その解説も山程あって、それらを見たり読んだりしながら、なるほどとか、まあそんなもんかとか、いいなあと思いながら見ているけど、それが続くとだんだん疲れてくる。まだまだ参照する資料はあるんだけど、考えるのもめんどくさくなってきて、何でこんなことやってるんだろうとか思えてくる。

ただまあそういうことを続けているからこそ、有無も言わさずいいものを見つけたり、点と点が繋がったなあと思うこともある。自分の内面に行き当たったというか、そういうことが出てくるから、全く意味がなかったというわけでもないのだろう。

これは「失われた時を求めて」で言われていたことだけど、芸術というのは自分を映す鏡であり、芸術を通してその先で行き当たった自分の姿に感動する。芸術そのものはそのきっかけを誘発する装置の役割を果たしている。そこに何かあると思わせるもので、実はそれを通して自らの内側にあるものを引き出してくれるのが芸術の効能だとかなんとか。

例えば僕が過去に撮った写真が一枚ある。これはたまたま撮っただけの写真で、この写真がどうだってその物語みたいなものは何もないんだけど、なんとなく気に入っている特別な一枚となっている。僕がこの写真を撮ったのは確か2016年で、その当時の自分の情念みたいなものが込められているような気がする。実際は何気なく撮っただけの写真だけど、この当時の僕はずっと、こういうものを追いかけ続けていた。そのことが今見ても思い出せる。

これは僕が撮った写真だから、僕自身の気持ちが引き出されるのは当たり前のことで、汎用性のあるものではない。でも人が用意したものが、自らの内側に入ってくることも大いにある。心を扉を開くとか、感動とかそういうやつ。それが芸術と呼ばれるようなものの一つの形なんだろう。

ただ僕はそのセンサーが鈍いため、見たり聴いたりしてもあまりよくわからないことが多い。いろいろと時間がかかる。一見一聴ではなく、時間をかけてそこまで引っ張っていってくれる小説という媒体に、結局のところ一番馴染んでいる。

2024.2.12

自分が痛みを掴まえて、手放さないようにしているから、今ここに苦しみがある。痛みと言えど、大切な記憶で、時間が経つにつれ薄れていっている。忘れることに抗おうと、傷をもう一度開いて、記憶を鮮明にとどめようとしている。だから苦しい。痛く、苦しい。でもそのお陰で、都合よく改ざんされた記憶ではなく、より実態に近い形で側にいられる。忘れる恐怖よりも、喪失感が勝る。何も失くなってしまうのを惜しむ。

2024.2.11

写真は2024年、吉田神社。ついこないだです。こういう手すりを滑るの、小学校でやった覚えがある。中学ではさすがにやってなかったか、覚えていない。今はだいたいどこにもストッパーがあって、滑れないようになっている。80年代のハリウッド映画に、よくこういう手すりを滑るようなシーンがあった気がする。バック・トゥ・ザ・フューチャーとか、エディ・マーフィのなんかでやってたような、忘れた。手すりは遊び心。スケートの動画とかでもよく手すりを滑っている。実際危ないと思う。