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日常日記

カラッとしたものへの憧れ

ここ最近見たもので「日本文化はウェッティー(じめじめしている)」というような言説を2回聞いた。一つは写真でもう一つは文学だった。ウェッティーだというのは何も日本文化に限らず日本の夏の気候がそれを象徴しており、むしろそちらが最初でそのじめじめした感じが文化にも出てきていると言った方が正確だろう。そしてじめじめしているのは国民性だと言える。人間関係である。外界との往来もなく、狭いところで暑さ寒さに耐え忍び、隣人との些細な事から意気投合したりわだかまりができたり、そういう狭く息苦しく暑苦しいのが日本文化なのであろう。外界の風を知った人たちはその涼しさ、爽やかさに憧れて取り入れようとする。もしくは同じくじめじめと暑い国であっても陽気さ、闊達な方向へと進んだりする。僕が短期的にも乾いた土地へ滞在し、その乾いた文化というのを経験してそれらはまさに気候そのものだと感じた。カラッとしている。はっきりしている。外界の往来も激しく、いちいちこだわらない。そのさっぱりした様子は同時に厳しくもあり、ウェッティーな日本文化に助けられることもある。助けられてしまうと泥沼のズブズブで曽根崎心中の世界だ。開放されたいという気持ちと同時に、そういったしがらみからも自由になりたいというのがカラッとしたものへの憧れであり、なおかつ共感なのだろう。そして乾燥した現実というのは思いのほか過酷で厳しいものだ。自分を試すという名のもとで、失敗したら死ぬだけ。その過酷な環境の中で本当に良い関係を築けていれば、助けてくれるかもしれないね。高校生の時に読んだ金持ち父さん貧乏父さんのロバート・キヨサキは一度破産して友達の家の物置かどこかに奥さんと二人で住んでいた時期があった。日本でそういう夫婦がチャンスを掴んで億万長者になるなんていう話は聞いたことがない。男一人だったら聞いたことがある。

二つのうち一つはこれ

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今更ながらにMVNOを検討中

今後日本に滞在するということで、MVNOを検討しておこうと思った。カナダではAWSという格安バンド(帯域)の携帯を利用し、オーストラリアでもMVNOを利用してた立場から日本の格安SIMのことを少し調べている。まず、思ったのが手続きいろいろめんどくさすぎ。こういう部分はなんでこんなにも違うんだろう。だいたいどこの国でもsim刺してアクティベートして終わりだった。初回契約手数料みたいなものはカナダにもオーストラリアにもなかったなあ、あっても$2とか。なんでこれが必要なんだろう。sim交換手数料なんかもなくて「simが届かない」ってメール送ったらバンバン送ってきて同じキャリアのsimが3つぐらい届いたこともあった。法律の違いとかもあるのかな。期間限定の変なキャンペーンとかはカナダにもあったけど、電話番号付きだからどうとかそういうのもない。もっとシンプルでわかりやすかった。消費者側の姿勢として、何が何でも得しようとするのは日本人的かもしれない。そういう姿勢は外国にいてそこまで感じなかった気がする。安いから人気というのは、まあ大体どこでもそうだった。でもそれほど流通はしていない。それは高いものがブランドだからとかええかっこしたいとかいうのとは別として、サービスとか節約することにそれほど関心がない人が多い。簡単に言えば大雑把。大雑把だからややこしいことをすると嫌われて客が逃げてしまうのだろうか。外国の携帯との比較はいいとして、日本のMVNOを真面目に検討してみよう。とりあえず最初は2,3GBで後に無制限を検討しようと思ったら、sim変えるとまた初回契約料みたいなのがいるんだよな。後々容量無制限、テザリング利用を考えると、やはりぷららを契約しておくべきなのか。でもぷららはどう見ても2,3GB利用では割にあわない。他にもSMSが月々かかったりかからなかったり、安いけれど遅かったりというのはわからないではないにしても、価格設定とその機能の差が細かすぎてよくわからない。複雑だ。現在検討しているのはNifMo、mineo、freetelあたり、SMS付きのデータ通信プラン、通話はIP電話のアプリで代用するつもり。

ボイスメールという文化

先日も日記に書いたが、同居人(下のベッド)であるドイツ人のニルスはよくボイスメッセージを使っている。媒体は普通のwhatsappというアプリ(lineの世界版みたいなもの)で、テキストを送る代わりに音声でメッセージを送り合っている。その様子を見て最初に思ったのは「普通に通話すればよくね?」ということだったが、その考えには大きな誤りがあった。

これの下の方に書いている

通話するのではなくボイスメッセージでやりとりするのは、電話するのではなくLINEするのと同じ利点があった。すなわち、好きなタイミングで見て(聞いて)好きなタイミングで返答することができる。通話してしまうとお互いのタイミングを計らなければならず、手軽さが損なわれる。ボイスメッセージはLINEと同じテキストをやりとりする利点があるのだ。「だったら声じゃなくて文字で送ればよくね?」と思うだろう。彼らが文字ではなく音声をやりとりするのはなぜだろうか。これも実に簡単な話で、文字を打つより喋ったほうが簡単で楽だからだ。さらに絵文字なんて使わなくても声で笑いや驚きなど情感たっぷりに伝えることができる。ニルスの携帯に返ってきていたドイツ人の女の子の声から笑い声であったり嬉しそうな声が聞こえ、絵文字なんかでは到底表現できない感情が伝わってきていた。リアルタイムで通話できるのにあえてボイスメッセージでやりとりしているというのは一見アナログなように見えるが、返って新しい需要に結びつき効果を発揮している。この文化おもしろい。ただ、日本人にはあまり向かないと思った。その理由も簡単で、周りの目であったり周りもその人のことを気にするからだ。カナダに行って驚いたのは、みんなsiriを普通に、日常的に、実用的に使っていたことだった。Google Mapのナビに行き先を設定するのも電話をかけるのも全部音声にて指示するのが普通だった。「携帯に話しかけて変じゃないか」なんて誰も思わない。ニルスが自分の声を録音するのも、返ってきた音声を垂れ流すのも全く気にしていなかった。ドイツ語でわからないからというわけではなく、ドイツ人の友達が来ていても周りの人に聞かれるとか気にしておらず、同時に周りの人も他人のことを気にしない、冷やかしたりしない。日本のように周りを気にしすぎる、周りから気にされるという村社会の中ではテキストを駆使している方が無難であろう。むしろ、声に出して読めない日本語を送っている人たちだって多いかもしれない。でも面白そうに使っているニルスを見て、ちょっと使ってみたいなあと思う、ボイスメッセージの機能。LINEにも同じ機能が付いているからもしかするとこの形態が今後日本でも流行るかもしれない。僕の知らないところで若い人たちの間などでは既に流行っているのかもしれない。