NYに来るにあたって"ライ麦畑でつかまえて"を再読した感想・書評

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

 

"ライ麦畑でつかまえて"を読むのは4回目か5回目。村上春樹版も読んだけれど、野崎孝訳が好きすぎて、トータル3冊ぐらい買った。2冊は誰かにあげたか失くした。ライ麦畑に限らずサリンジャーの本が好きだ。"フラニーとゾーイー"を大学生の頃に読んだけれど、今でも自分の中でのベスト5冊に入る。

ライ麦畑は、ホールデン・コールフィールドという高校生が高校を退学になり、在学期間を残して寮を飛び出し、実家に帰れずニューヨークの街を3日間ふらふらするという話だ。世にも珍しい文体で、最初から最後までホールデンが読者に対して、高校生の口調で友人に語りかけるように書かれている。

ホールデンは、背が高く痩せており、走ればすぐ息が切れるほど体力がない。そして極度の皮肉屋であり、虚弱で臆病なのにものすごい悪態をつく。自分が思う"正しさ"、"物事の筋"、"真っ当さ"のようなものに対して非常に厳しく、一見それのどこが正しいのか、素晴らしいのかわからないようなことでも鋭敏に察知する。そしていやらしいもの、汚いものを極度に嫌い、クソミソに貶す。
この、過剰に反応してしまうセンサーのようなものが、ホールデンの行動につながり、世の中との折り合いがついていない状況に陥っているように見える。

ライ麦畑を読んで感じるのは、そのホールデンの身近さだ。語り口調は同級生のようで、内容は独白、自分のプライベートなことや、好きなことを何故どんな風だから好きなのか、嫌いないものはこうだから嫌いなのだという風に、洗いざらい打ち明けられている気分になる。それでいて、寮を飛び出しニューヨークをふらついても、何一つとしていいことがなく、また、ホールデン自身も何一つ乗り気になれない様子にとても親近感を感じる。しかもホールデンはかっこいいのだ。背が高く、社交的で、頭が良く、女の子にもモテる。それなのにあまりにも繊細で気分屋だから、全てが台無しになる。

彼の過ごす3日間はとても孤独で、誰も理解者がおらず、それは彼自身の人生を象徴している。共感し合えたのは死んだ弟のアリーと、10歳の妹フィービー、作家の兄DBだけ。しかし彼は、そんな世の中に対して決して反発しているわけでない。折り合いをつけようともがいている。仲間に入ろうとあらゆる方面からもがいている。それがうまくいかない。どうしても受け入れてもらえず、また、同時に受け入れることができない。そのジレンマがすごく伝わってくる。

その泥沼には作者自身が浸かっていたみたいだ。サリンジャーは長い隠遁生活を送り、2010年に亡くなった。サリンジャーの娘が書いた本に、その隠遁生活について一部触れられているそうだ。その辺りを翻訳した村上春樹等が解説している本も出ており、興味深いものの、全貌については、まだ亡くなったばかりということもあって明らかになっていない。そっとしておいてあげていいと思う。

デニム中毒者のたわごと:サリンジャーとイノセンス 1

個人的には、これは僕に限ったことではないが、自分というものはいくら努力しても、いくら表現したところで、正確には誰にも理解されないし、誰にも認めてもらえない。誰と価値観を共有することもできなければ、誰とも相容れることはない。
世の中との折り合いというのは、言い換えれば孤独との折り合いではないかと思う。世の中に溶け込もうと、馴染めないものに馴染もうと努力するのではなく、一人でも生きていける、自分が自分のままであっても、周りに誰もいなくても寂しさに囚われずに生きていけるような、そういう孤独との折り合いが大切なのではないか。受け入れられないという事実を受け入れる。いつ頃からかそう思うようになっていた。