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自分には何もないなあって話

ネット

自分には人に誇れる才能や専門的な知識、技術など何もない。色々なブログを読んでいてさえ「この人はよくこんなこと知っているなあ」とか「こんなことできてすごいなあ」なんていう子供のような感想が出てくると同時に、自分には何もないなあという劣等感も生じる。別に人に誇れなくてもいいんだが、それにしても僕には何もない。人の役に立ちたいとは思わないが、人の役に立つような事も何も知らず、何も答えられない。

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僕は今トロントに住んでおりブログもトロントの話が多いけれど、これは日本人で少しお金を貯めれば誰でもできることだ。才能も知識も技術も経験も必要ない。実際にたくさんの日本人がいる。すごい人もいれば、だめな人もいる。何も特別なことではない。僕が書くカナダについての情報なんてのはメモ書き以上のものではない。こっちにいるだけで得られる情報だ。このブログは以前「書き残し」というタイトルだった。書き残しているだけ。

そして今のブログのタイトルは地元から取っている。それだけ地元意識が強い。しかし、そんな人はいくらでもいる。京都市にしたって150万人近くの人が住んでいる。僕ら京都人にとって、京都はそれ以外に考えられない場所だ。仕事の都合で出て行く人や他の理由で出る人はいるだろう。少なくとも僕にとって京都は、地元だから特別なのではない。地元が京都だから特別なのだ。ここが内側の全てであり、それ以外は全て外側、全く別の世界だ。ここにいると、ここだけが世界とさえ感じる。

話が逸れた。僕はただ京都人というだけで、京都に関するブログなんて書けない。今は地元にも住んでおらず、この名前でブログを始めた頃も含め5年間は住んでいなかった。京都に詳しいわけでもなんでもない。京都人しか知らないことは知っているかもしれないが、それが何だかもわからない。そんなのはネタにもならず、価値はない。

カナダ、京都の他に書いている事だって何ら意味もなく価値もない。走り書き、メモ書き、備忘録であり、ただの日記だ。何も生まない。

そんな自らの無能さ、無価値さに絶望してブログの更新が終わった人も数知れずいるだろう。そもそも自覚しておりブログを始めない人だって多い。ブログに何を求めるかというのは書き手も読み手も人によって違うから、本当はそんなの気にすることないんだけれど、他のブログを見て才能や専門知識、技術などを垣間見ると改めて「ああ、僕には本当に何もないんだなあ」と実感させられる。

でも本当はもしかしたら、その何もなさっていうのが重要なのかもしれない。普段からネットを利用しており、ブログをよく読む人なら誰だって

「こんなゴミみたいなエントリーが人気になっているの?」

「こんなクソみたいなブログがPVいくらで月何十万円も稼いでいるの?」

などと思ったことがあるだろう。そして

「この程度なら俺にもできる」

「俺が書いた方が絶対面白い」

「私だったらこんなふうに書きたい」

なんて気持ちが湧いたことはないだろうか。もしかしたら、そういう気持ちを湧かせること自体に意味があるんじゃないだろうか。そんなゴミになりたい。少なくとも色々なブログがあったほうが面白い。それだけは確かなことだ。

自分もまだ書き綴るだろう。何もない自分と、そのまわりにある何もない景色を。