春日記

冬から春にかけて、気分がすぐれない。特に4月が憂鬱なのはもう僕に限らず有名な話で、本当に日々気分が滅入っている。まあずっとそんなこと言ってる気もするけれど、まあ本当に良くない。いろいろと良くない。悪いことも重なる。やってられない。本当はそれどころじゃないんだけど、何もやる気がしなくて、これもずっと言ってるな。

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だから最近は何もしていない。死体のように何もしてない。部屋に篭ってユーゴ崩壊のドキュメンタリーを見ているぐらいだろうか。これがまた死体だらけで、ジェノサイド、民族浄化、泣き崩れる人たち、僕の悪い気分を助長する、加速させる。スレブレニツァの虐殺について、名前は知っていたものの詳細は知らなかった。まあひどいもんだ。


1995, Srebrenica massacre of thousands of Muslim ...

人間がこんなに残虐になれるのか、という言い方は月並みだけど、これが冷戦後の現代で、ヨーロッパ人同士の間で行われたことというのが印象が大きい。中国やアラブ、ロシア、アフリカでも同様の事は起こっている。どこも変わらないんだな。場所や時代というのは関係ない。これが人間の本質かと思うと怖い。自分たちにも十分に振りかかる可能性はある。人類って技術は進歩しても中身は同じなんだな。

そういうのをひたすら見ているだけ。アウシュヴィッツの予備知識も備えないといけないと思うと余計に気が重くなる。でも僕の旅行っていうのは本来からしてそういうものであり、ベトナムではベトナム戦争の爪痕を、チェコではフランツ・カフカの暗澹たる精神を育んだそのプラハの街を、ヨルダンでは動乱の中にある中東の空気を、インドにおいては汚濁と貧困、バンコクは東洋一の歓楽街、キューバでは社会主義の名残を、どこへ行くにしてもずっとそういう物を求めて見て回っていた。ケアンズやサンフランシスコみたいな場所にも行ったけれどあれはまた別。今回はそれが重なりそうで特別気分も重く、でもずっと訪問する予定だった場所であり、スレブレニツァ、スレブレニツァも行くのかな。ジェノサイドは他の場所でもたくさんあった。

スレブレニツァの虐殺 - Wikipedia