話し手聞き手

 天に向かって憤る。「夏暑すぎるし冬寒すぎるし
そら性格が悪なる、人間の住むとこちゃうで」と、
かの島田紳助もおっしゃってた。
毎年冬には最低2回風邪をひく。夏にも風邪をひく。
体が弱いというのもあるが、特に季節の変わり目はおかしい。
あれは異常だ。加減を知らない。中間というものが無く
急に暑くなったり寒くなったりする。
半袖Tシャツから次の日セーターというのがあり得る。

 それは言いすぎたかもしれんが、今は関係ないからおいといて、
温度変化に弱い私からすれば、この雪の降ってるなか
運動しているわけでもないのに薄着だったり、
あるいは逆に、屋内に入ってもダウンを着たままの
やつなんかを見ていると、頭がおかしいとしか思えない。
ついでに屋内は暑すぎる。温度調節が難しいのだろうが、
今日入った建物の場合なんかは中に入って2枚脱いだ。
隣で平然とコートを着たままニット帽まで被ったりした
そんな輩を見ていると変態としか思えない。俺がおかしいのか。
そんなはずはない。

 中には寒いだろと聞いても「寒くない」と言い張るやつだっている。
そして俺が重ね着しまくりのごわごわで震えていても、そいつは
やはり平然としている。人間か?どっちが人間だ、同じではないだろ
その構造が気になってしょうがない。あわよくば取り入れたい。
これでも出来るだけ暖房を使わないようにしたり
寒さに耐えるようにしてるんだけど、一向に強くならない。
そういう方法ではダメらしい。

なお、デブが脂肪のおかげで寒さに強いというのもあるだろうが、
全然痩せてるやつでも同じように寒さに強いやつがいる。
私は太ろうなどと思わないし(思って出来る事じゃないし)、
確かに脂肪の面で言えば寒さに弱い方だろう。

会話に同時進行は成り立たないため、
常にどちらかが話し手、聞き手にまわらなければならない。
そして、会話とはどちらかが話し手、聞き手ではなく、
そのどちらの役割も果たさなければならない。
そうでなくてはただの講演である。会話にはならない。

しかし、人それぞれ、話し手聞き手においても
向き不向きがある。ハッキリと現れる。
話すのに長けている人、聞くのに長けている人、
もちろんその両方がこなせる人もいる。
または、話すのが好きなだけで全然長けていない人もいる。
そして、私のように話すのは苦手、
人の話は聞かない、うまくもない、人もいる。

何が言いたいのか忘れてきた、
話す方が好きだったり長けている人は、
やはり聞くよりも話すほうが楽なんだろう。
よく話し手同士が会話をしていて
両方が必死に自分の意見を言おうとして
別々のことを話していて会話になっていないことがある。

普通どう考えても聞く方が楽だと思う私は
おそらく潜在的聞き手だ。ただ、つまらない話であったり
興味を惹かない話にはまったく耳が向かないだけで、
聞く方が楽だ。だってなにもしなくていいから。

私のような聞き手は、まず話しかけられないと
会話が成り立たないことが多い。自分から話しかけて
その後が続かない。だって聞き手だから。
自分で話題を繕うと全然面白くないし無理。
そして、そこで相手が話し手ならば、
なんとか場がつながることはある。

しかし、聞き手同士だった場合は
そこに実に悲惨な空気が漂うのである。
それは、一見語り合っているかのように見える
話し手同士の現場とは違って、一目で、
「会話が成り立っていない」ことがわかってしまう。

自分から事を起こさないと何事も始まらないと言うが
我々聞き手が話しかけようでもしてみたら
こういうことがよく起こってしまう。
そして単に「面白くない人」という評価が下されて
その後マイナスイメージを背負うこともある、と思う。
「俺の能力は絶妙な相づちとノリつっこみだぜ」
なんて主張出来たもんじゃないが、
実際そういうこともあるんだよ。

特に、男性がリード的に面白い話をして
場を盛り上げなければならない的な空気は
平等主義を唱えたいと思っている俺からすれば最悪だ。
「会話が面白くないなら俺だけじゃなくてお前も面白くないんだよ!!」
ということを自覚して欲しい。
どちらか一方でも会話そのものをある程度面白くすることは出来るよ。
そして俺が面白くないのは自明の理だ。