真面目に生きていないなあ

マジメに、というか、なんだろう、一生懸命生きていないことがたまに後ろめたく感じる。学生の頃からずっとやる気がないと言われ続け、事実その通りで、何事にも打ち込んだことがなく、何も成してこなかった。でも「何者かに成りたい」的な焦燥感はなく、真面目に一生懸命生きてこなかったことについて、みんな頑張ってるのに俺は頑張ってないなーという申し訳なさというか、後ろ暗さというか、なんというか。我ながら碌でもないなー。手を抜くとかはあまりやらないし、人を騙すとかもない。ただ不真面目なだけ、やる気がないだけ。

学生のときも大人になってからも、何事も真面目に一生懸命に取り組んでいる人にはどこか引け目を感じて、どこか抜けていたり一歩引いている人のほうが付き合いやすかった。奥さんは20年同じ仕事を続けている。先日家具を買ったときの家具屋の人も、だいたいそんな感じだった。同じ仕事を長く続けていることは、それだけですごい。ただそれ以前に僕は6年だけ真面目に働いてそのあとフラフラしているから、フザケてるよなあと思われてもしょうがない。

真面目に生きていない人間というのは、やはり人から疎まれがちだから、あまりそのことを公言しにくい。年取ったらどうするんだとか、後悔するぞとか、人生舐めてると言われたこともあるし、思われているだろう。アリとキリギリスみたいに、僕はキリギリスだと思われている。確かに会社員を辞めて以降は好き勝手遊んできたのかなあ。ときどき働いても、その場限りで長く続けるようなものではなかった。今もそんな本腰入れて労働に勤しんでいるわけではない。

僕自身としては他に選択肢がなかったから、しかたなくそうなったと思っている。もっと切羽詰まればもっと苦労していたかもしれないけれど、今の状態には全然後悔とかはない。大手を振って真面目に一生懸命生きることに憧れはあるけれど、自分にはできなかった。会社員の頃の同僚の順風満帆な様子がInstagramに流れてきたりすると、やっとるなーと思う。ある意味羨ましくはあるが、同時に自分には無理だなと思う。やる気がないのが一番大きい。

今はたまたまこの状態で生きながらえているが、どこかのタイミングで真面目に一生懸命生きることもあるのか。そういう事があるたびにすぐに燃え尽きそうになってブレーキを掛けてきた。苦労したという自覚はないが、同時に幸せだったという自覚も全然なかった。それなりになんとなくその場限りで生きてきただけ。