なぜ短髪フェチなのか

「なんでショートカット好きなの?」と聞かれ、なんでだろうと思いを巡らせてみた。

昔Twitterで、「ショートは美人しか似合わない」みたいな説があった。顔が整っているから、髪が短くても映える。顔の整っていない人が、長い髪を駆使して誤魔化しているという説。男性でも雰囲気イケメンと言われていた人は大体髪型で誤魔化していた。

別の説では、「美人は何でも似合うだけ」と言われていた。ショートに限らず、どんな髪型でも似合う。ショートが似合うとかではなく、美人とそれ以外に分かれるだけ説。

美人だとかそうでないとかは置いといて、自分の短髪フェチがどこから来ているのか、思い返してみる。小学校ぐらいからそうだったと思う。ただ身の回りにショートの女の子がいたかというと、記憶にない。だから過去の記憶に思いを馳せても答えは出てこなかった。

今自分が短髪フェチであることに、どう説明がつくのか。単純にかっこいいと思うからなんだけど、それでは説明になっていない。まず自分はかわいい人よりかっこいい人が好きで、かっこいいイメージと短髪が結びついている。自分の好意という感情は、尊敬や憧れに結びついており、愛でたいとかっていう気持ちはあまりない。自分の中での分類は、かっこいい→尊敬・憧れ、かわいい→愛でたい という具合に派生していく。

短髪がかっこいいというイメージは、どう結びついているのだろう。短髪女子といえば古くから、「ボーイッシュ」と形容されてきた。男勝りとか、男らしいとか。その反対を指す言葉が「ガーリー」、女々しいとか女らしいという言葉で、僕はどちらかというと女々しい女らしい人より、男性とも対等に渡り合っていく力強い女の人に好感を持った。行こうか同志諸君、撃鉄を起こせ!

強く、独立心があり、快活で全人類をリードしてくれるような女性に惹かれたのだろう。反対に、優柔不断で人に頼る癖がついていたり、自分の意見を言えなかったり、わがままで自分に都合のいい結果をただ待っているだけの、受け身な人間が苦手だった。

短髪女子からは、強く生きる気概を勝手に感じ取っていたのかもしれない。道を切り開く力、自分にないもの、自分が求めるものを持つ人に惹かれる。短髪を強さの象徴と見ていたのだと思う。要するに偏見。でも奥さん以外で短髪の人と付き合ったことはなかった。