発言に一貫性は必要か?

昨日の日記を書いて、自分は言ってることに一貫性がないなーと思っていたけれど、一貫性って必要なのだろうか。あれこれ言うことが変わる人は信用できないけど、いつまでも同じことを言っている人だったら信用に足るのか。

著名人などはよく、過去の発言が掘り返されて「前と言ってることが違う」とか「言ってることがコロコロ変わる」「日和見主義」みたいに言われることがあるけど、中には10年前の発言もあったりして、10年も経てば意見が変わることもあるだろう、10年で変わることが日和見主義に当たるのか?という話も見かける。

人生のステージとかフェーズとか、時代の流れとかで考え方が変わることもある。それを僕は「成長」とは言いたくないんだけど、どちらかというと「流行」ぐらいのもんで、なにか絶対的な正誤だったり基準があるようなもんではない。リベラルが正義なのか、保守が正義なのか、みたいなのと同じで、若者が言ってることが、時代の最先端が正しいのか、老人が正しいのか、時間の淘汰を経て残ったものが正しいのか、そういうのは別にないと思っている。そのとき自分が何を信じるか。

発言の一貫性について、今の自分が思うのは、一貫性があったほうが人となりがぶれないから、人物像を抱きやすい。安定しているように思う。ただ大事なのは一貫している事実ではなく、その根拠とか信念の方だと思う。時間が経つことにより、昔やってきたことが今同じことをやっても信念にそぐわなくなってくることだってある。同じことを続けてりゃいいってもんでもない。

つまり、根本的な考え方だったり人格に通じるような信念が変わっていなければ、発言が変わったところでそれは方法論を変えただけだから、元々抱いていた信頼は揺るがない。

反対に、中身がない発言をしていると、そこに一貫性があろうとなかろうと、元々信頼性が備わっていない。言うことがコロコロ変わる人に、「その発言の根拠となる考え方は?信念は?」と問うて答えが出てくるだろうか。言ってることよりも、その心は?の部分に目を向けたほうがいい。

例え話を考えるのが難しいけど、例えばある会社の製品アイデアを募集したとき、AというアイデアよりもBのアイデアの方がいいという判断をするとき、大事なのは意見が変わることではなく、客に喜ばれる製品を出すことになる。ゴールが明確にあり、そのゴールに至る道を試行錯誤して、途中で道を変えようとも、重要なのは道を守ることではなくゴールに辿り着くこと。ゴールが曖昧だと、そのプロセスにこだわってしまって目指す方向を見失うことがある。

僕が言いたいのは、時間が経ってわかることや考え直すこともあり、意見が変わったことそのものは別に大したことなく、重要なのは中身ですよって話。生き方だって変わるかもしれない。では何を目指しているのか。途中のプロセスについては「そう考えていた時期が、僕にもありました」でいい。