これを読んで。
誤解されるとか受け入れられないとか損するとか、けっこうどうでもいいかなあ。人からどう見られるかが気になる人は、そういうの大事にするんだろう。人からどう思われたいかって、自分には全然なくて、言葉だろうと人格だろうと好きに解釈してくれていい。
僕自身も、人に印象を押し付けてくるような人が苦手だ。本当はそうじゃないのに、人から良く見られたくて猫かぶってくるとか、ご機嫌取りや印象操作を頑張られると気分が悪くなる。無愛想でいいから正確で的確で必要な応対をしてくれる人を信頼する。上辺はどうでもいいから中身があってほしい。だから変に着飾らないで素の状態でいてほしい。
誤解されたり違う形で伝わったことについて、そりゃあ責任の一端は自分にあるだろう。だからといって、そういう印象操作をして嘘をついてまで、誰かに何かを伝えたいか?それが必要なとき、例えば接客だったり営業だったり、自分以外の何かを背負っているときは仕事としてやる。他にも大事な相手だったら、言葉選びに苦心することもある。
でも個人としての自分は、変に良い印象を持たれるよりそのまま解釈してもらったほうがありがたいなー。事実ありがたいことに、わかる人はわかってくれる。何を言わんとしてるのか、どういう人間なのか、物事の本質を。それがわからない人に、どうでもいい人に嘘ついて人気取ろうとか理解してもらおうなんて思わない。
まあこういうのも、年をとって横着になったからなのかもなー。子供の頃は確かに誤解されることを恐れていた。それは直接身の危険に繋がったから。子供の頃の制限された環境では、嫌われることによる実害が大きかった。高校以降ぐらいからは「関わらなければいいだけ」という環境になり、思想言論行動が自由になった。
世の中には表面だけの気持ちいい言葉に惑わされて、結果的にひどい目に遭っている人が大勢いる。言い方にとらわれて本質を見失ってる方が、よほど危ないんじゃないかなー。