Distant Lover

いつもその時の思いつきで生きてしまっています。
何をするかの彼らの判断基準は楽しさであり、その行為の結果についてはまったく考えていません。
ただ、日々、その時その時が楽しければそれでいいのです。
哀しいことに、その後には楽しさの何倍もの苦しみが待っているのに、そのことを考えようとしません。

「人のために生きてみませんか」っていう講演を聞いたり
教育崩壊の談話を見ていたりしていろいろ思った。
行き着くところは、自分を如何に捨てられるか、な気がして。
自分のお金、生活、利益、都合、感情、その他個人的な物事を
どれだけ犠牲にできるか。

理想は皆ある。信念もある。だから、誰でも舞台の上で
綺麗事を心を込めて抜かすことも出来る。
しかしながらそれを行動に移すとなると、
自らのあらゆる事をそのために犠牲にしなくてはいけない。
達成できるかわからない、見返りがあるかもわからない。
家庭があれば、自分だけでなく家庭も犠牲になる。

「家庭の幸福」という短編がある。
小説というかなんていうの、エッセイ?
官僚やらなんやら、私を捨てて公のために尽くせば、
こうすれば上手くいくとわかっていても、
彼には家庭がある。家庭のために利益を捻出し、
時間を捻出し、子供を育て、幸福に導かねばならない。
だから、彼は自らが儲かる方を取る。
家庭の幸福は諸悪の元。
著者は全てわかっていて、自分や家庭も犠牲にして、
人に尽くしていた。そして戦っていたように思う。
組織だったり、時代だったり、大き過ぎて見えないものと。

人と関わり、人のために何かやるということは
本当に大変だなあ。そこに私があってはならず、
もちろん相手のことを考え、どうするか決めるのは
自分ではあるけれど、自分の都合や感情は
捨てなければならない。自分がとてもイライラしても
相手を気遣う。嫌悪感がある人に対しても、
やさしさを配り、労う。
それが究極的に出来れば本当にキリストであって、
でも本人は、そこから得られた物がとても大きいと言う。
自分のために生きるより、辛いこともあるが、
とても大きな喜びだとかを得られると。
そこまで到達するにはなあ。


「まずは、周りの誰かにそっと優しさを配ってみませんか。
その人の笑顔が心を癒やしてくれます。
また、自分について思い詰めることは止めませんか。
答えの出ることはすでに答えが出ています。
答えが出ないから悩むんです。
自分にこだわり苦しむより、人のために生きてみませんか。
楽ですよ。水谷はそうして生きています。」

挨拶や声をかけるとか些細なことでも、そこで
恥ずかしいだとか、気持ち悪がられるか恐いだとか
めんどくさいとか、そういった私を乗り越えられるか、
そして結果、相手から無視されたり逃げられたり
怒鳴られたり蔑まされたりして、
腹を立てたり落ち込む気持ちを乗り越えられるか。
懐かれて気持ち悪くても受け入れられるか。
そこに立ち向かう勇気が大事なのかなあ。
心が強い人や勇気が備わっている人は、
それが自然に出来て、そこで愚図りもしないだろうな。

http://www.youtube.com/watch?v=OycLJL-Rm1g
誰かがこの人のことを「金粉ボイス」って言ってたけど
なんて的確な。

バイト先が移転して以来とても単調です。
女子高生がいっぱい来ます。
レジ応対でも女子高生と話すなんて、
もうないと思ってました。
とっても腹が立ちます。
バイトの愚痴なんて書き出すときりがありません。
だから今日も肉まんを3個持って帰ってきました。