若くして死ぬ人

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と言ってもカートコバーンのように26歳で自殺したミュージシャンの話ではない。その年齢は僕はもう通過した。

レイ・ハラカミ飯野賢治、最近だとwinny作者である金子さん。Nujabesは交通事故で亡くなった。

決して身の回りではないが、40前後で亡くなる人が目立つ。それも急病が多い。
本当に目立っているのか。40歳前後の人というのは死んだ中でも数%の人で、増えたり減ったりはしていないのかもしれない。単純だけど僕にとって、"人は40歳前後で死ぬ"という意識が植え付けられた。ここ最近。
当たり前だけど、人はいつでも死ぬ。事故、災害、病気、若くても今すぐにでも死ぬことはある。それは誰でもわかっている。
ただ、実感として、名前を知っている人が亡くなり、その人達が作ってきていたものが、その後供給されなくなり、その存在の喪失を意識する。そして、記憶は更新されることなく忘れ去られていく。 

「もしかしたら自分も40前後で死ぬかもしれない」

そういうことを言えば、驚かれる。そんなわけがない。そんなこと言う人ほど長生きする。自分は有名人と同じだと思っているの?と。僕は何も40前後で死ぬつもりではない。長生き出来ればそれに越したことはないだろう。
40前後で死ぬ予定だったら、いざ70ぐらいまで生き延びてしまったときに、蓄えとかどうするの?という話もされたことがある。別に予定ではないけれど、蓄え、蓄えることなんかできない。

僕は今楽をしているけれど、楽をしなければ生きられない。死に物狂いで生きているのは、死んでいるのと変わらない。疲れと重圧といらだちの中で、僕は生きる実感を味わうことはできない。喜びや達成というのは、僕にはない。ただ、どうやって時間を過ごすかしかない。そこにただ蓄えが伴う時間というのは、僕には生きているのか死んでいるのかわからない時間だった。

僕は人生から逃げたいために、死を意識しているつもりはない。ただ、"生きる"という映画、僕はあれを嘘だとは思わない。自分に残された時間を意識することによって、人生を歩み出せることだってある。この先どうなりたいか、自分はどうなりたいか、ではなく、今何をするのか。その途中で死んでしまってもいいじゃないか。そう思える時間を過ごしていたい。若くして死んだ人たちは、その間に死んだんじゃないだろうか。

終わって、生き残って、そこに何も残っていなければ、また何か始めればいい。その時はまだ生きているんだから。