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「誰が言うか」と「何を言うか」問題について

イチローのインタビューに、有名な言葉がある。

「しかし結局、言葉とは『何を言うか』ではなく『誰が言うか』に尽きる。その『誰が』に値する生き方をしたい」

ソースは検索したらたくさん確認できるので省きます。

これは何らかの発言があった際に、言っている内容よりも、誰が言った言葉なのか、が大切という意味に捉えることができる。
同じ内容の言葉を発しても、プラトンが言うか、そのへんの小学生が言うかでは重みが違う、といったという風に。
では、全く同じ言葉でも、言う人が違うだけで本当に重みが違うのだろうか。それは何故違ってくるのだろうか。考えていきたいと思う。

かなり昔に、インターネット上の議論についての話題があった。インターネット上においては、匿名かもしくはそれに近い形で議論が行われることが多い。匿名の議論に価値があるのか、という話題だった。

先ほどのイチローの話では、「誰が言うか」がその言葉の価値を決める。
では、匿名という誰が誰であるかわからない人たちの言葉に価値はあるのかどうか、ということについて、イチローの例ではゼロということになる。

この話題においては全く逆の事が言われていた。
「誰が言ったか、なんて関係ない」
「言っている内容が正しいかどうかが全て」

どこの学者だとか教授だとか、社長だとかがいくら肩書を振り回して偉そうなことを言っても、その内容がお粗末であればインターネット上では一蹴される、むしろ嘲笑の対象となる。
どこぞの偉い人がくだらないことや間違ったことをほざいていても、世間ではその人の立場を考えて、周りがおだててくれるかもしれないが、ネット上では関係ない。くだらないことを言えばバカにされるし、間違ったことを言えば炎上もする。
言葉、情報そのものに本質的に正しいか、価値が有る内容しか評価されない。という意見だった。

では、その言葉であったり情報について、本質をどうやって判断すればいいのか。それが今よく目にするリテラシーの問題になってくる。エライ人の言葉だからといってそのまま鵜呑みにするだけなら、リテラシーなんていらない。

リテラシーとは、その内容が確かであるか、信憑性はどうか、その根拠はなにか、矛盾点が無いか、情報源は信用に値するか、そういう判断を下す能力を指す。判断するにあたっては、単にその情報を分析するだけでなく、追加の情報を要求したり、反論を投げかける事で、議論によってその情報の価値判断をより綿密にする。

この、誰が言うかが重要である、という意見と、何を言うかが重要である、という意見について、どちらが正しいのか。

僕が思うのは、どちらも大事です。ずるいけど。

基本的には、話の内容そのものが大事だと思う。有名であろうが無名であろうが、言う人が変わったからといって、中身ない言葉が中身のある言葉になったりはしない。リテラシーがあれば偉い人が言った内容でも、ガセネタはガセネタと判断できる。

しかし、未来予測をする場合においては、「誰が言うか」が重要になってくる。今事実ではない内容、真実ではない内容を話す際は、言った人が誰であるか、どういう人であるかが判断の材料となってくる。

「今年は200本ヒットを打ちます」と言われたら、いくら200本安打計画を理詰めで語られたとしても、できるかどうかなんてわからない。だから、そのバックボーンが判断材料になる。
イチローが言うか、野球少年が言うかでは、野球少年が少年野球でどれだけ実績を上げていても、メジャーリーグで活躍しているイチローの言葉に信憑性を置くだろう。違う土俵であることを踏まえても。
言った人の過去の実績から、未来を語るときにおいて、「誰の言葉か」が重要なポイントになってくる。

アナリストなど、情報分析力を判断されるのは当然だけど、その上で、過去の実績がどうだったか、どういう結果を出したか、それによって、どのアナリストの意見が信用に値するか判断される。
今まで言ったことが正しかったか。今まで言ったことを本当に行動に移していたかどうか。それが未来を判断する際の実績として、信用を左右する。 

言葉そのものに妥当性があるかどうか、それがまず判断される。併せて、確定していない未来を予測するにあたり、その人はその言葉を発するに値するか、実績が言葉に反映しているか、がその言葉の重みを付け加える、ということになる。

池上彰のメディア・リテラシー入門

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