好きを説明するのは難しい

知人にロボットが好きという人がいる。「ロボットの何がどう好きなの?」と聞くと、何も返ってこない。ただ何となく好きとか、理由はないとか、かっこいいからとか、好きだから好きとかそういう返事になる。好きを説明するのは難しい。

僕が好きな本の一つに「ライ麦畑でつかまえて」がある。僕がこの小説をなぜ、どう好きなのか考えてみた。まず主人公が良い。不器用で潔癖なところ。表面的ではなく本質的なところ。憧れるし見習いたいし、彼の言動や思想は、僕が正しいと思う感性のヒントであり、答えでもある。

そして彼は物語中うまくいかない。世の中とすれ違い、失敗する。それがとても現実的で、自分と重なる。彼の考え方が世の中からどう見られるか、小説を通して追体験する。それが自分の現実と重なり、架空の物語がまるで他人事のように思えず、自分のための大切な空間になる。

そこに純粋な憧れも重なる。主人公に共感すると同時に、彼は自分が持っていない要素も持ち合わせている。背が高くて金持ちで頭が良くて、話すのも上手く、小説家の兄がいて、自分がこうだったらとは思わないにしても、理想的なフィクションで夢がある。

主人公はニューヨークの街を逃避行する。宿に泊まり、エレベーターですれ違った娼婦を部屋に呼ぶ。ロックフェラーセンターのスケートリンクで女の子とデートする。高校の恩師とバーでハイボールを飲む。そういうのがことごとく全部うまくいかないんだけど、場所と体験が既に憧れの対象となる。ニューヨークっ子は子供の頃からメトロポリタン美術館や自然史博物館にタダ同然で出入りできる。まるで自分の庭かのように、世界最大規模のミュージアムやセントラルパークで過ごす人生なんて!村上春樹の「ノルウェイの森」は台湾でも売れたらしいんだけど、読んだ台湾人たちは東京で暮らすことに憧れを抱いたらしい。それに近い。

僕が「ライ麦畑でつかまえて」を好きな理由を説明するとこんな感じになる。身近に感じる上にさらに先を行っていて、教えのように受け取れる。そこに憧れも重なる。心にいつも留めておきたい物語となっている。今挙げた好きな理由は事前に用意していたというより、即興で思いついたことを文章にまとめた。

もっと広いテーマだったらなんて答えるだろう。例えば僕はSF作品が好きで、よく見たり読んだりする。SFがなぜ好きなのか、どう好きなのか説明するとしたらどうなるか。

SFと言っても幅広いけれど、共通して言えるのは今の時点で存在しないけれど、実現するかもしれない新しい未来を感じるところ。例えば新製品や新技術に夢が広がる気持ちをもっと拡大したのがSFにあたる。SF作品はそれっぽい検証やディテールが命だと思う。いかに実現可能っぽくリアルに見せるか。本当にあり得ると思わせるか。

自分は新しいもの好きなのだと思う。価値観や領域が広がることに好奇心をそそられる。まだ知らないことを知りたい、それが当たり前になった世界を見たいと思う。そういうのを描かれているのがSFで、SFが好きなのは知識欲、知りたい欲求を刺激され、わかりやすく提示してくれる快感があるからかもしれない。

好きを説明するには、自分の内心を言葉に置き換える作業が必要で、得意不得意もあるかもしれないけれど、これは単純に慣れだと思う。訓練の賜物。好きだけじゃなく嫌いも、楽しいもおもしろいもきっと言葉で説明できる。「それの何がおもしろいの?」と聞かれて「自分にとってはこうだ」と言えると、聞いた人間も納得して理解が広がるかもしれない。

ワクワク感とかそういう一言で片付けるのもいいかもしれないが、自分の内心に言葉で向き合うことで、自分自身に対する理解も深まる。結局好きと言っていることに変わりはなく、自分の好みをいかに噛み砕けるか。好みを語る言葉の細分化が、自分の個性を言語化することにつながる。

「あなたの好きなものは何ですか?何故、どう好きなのですか?400字以内で説明しなさい」

お題「あなたの好きなものは何ですか?何故、どう好きなのですか?」