怨念と挑戦について

恨み、祟り、呪い、何故こんなにも、そのうちのほとんどはただの八つ当たり。その苛立ちは一体どこから来るのだろうか。何もかもがうまくいかないことに対する八つ当たり。その発生源はどこなのだろうか。負の感情で体の中がいっぱいになる。だったら一体、うまくいくとは何なのだろうか。

いつか何かが自分に起こる

あなたはどこかで、宝くじが当たったり誰かが助けてくれたり、何も努力をしないところで結果だけが落ちてくるという状況を待ち望んでいないだろうか。
実際にそういう例はなくはないが、車にひかれて死ぬ確率より低いだろう。にもかかわらず、自分の周囲にある例を知って、そういう奇跡をどこかでずっと待ち望んでいないだろうか。そして、それがまだ来ないことに対して苛立っていないだろうか。決して訪れることのない幸運に対して。

現実とは一体

ではその対極にある現実とは一体なんだろうか。努力とは、成功とはなんだろうか。僕は努力することが極端に苦手で、受験勉強もろくにしなかった。自発的に努力する人というのは、努力そのものに価値を見出しているか、その先にある結果に対して価値を見出しているかのどちらかで、僕はそのどちらでもなかった。

現実は、成功するか結果が出るかどうなるかわからないことに対して努力し、運が良ければ次のステップに進める。現実は運だ。もちろん運をつかむにあたって実力が伴わないと話にならないので努力は必須となるが、最終的には運で決まる。

絶望を取るか、苛立ちを取るか

僕が努力出来ない理由の一つとして、努力した結果うまくいかなければ立ち直れないということが大きい。よく、受験が失敗して自殺する人や就活が失敗して自殺する人がいる。そういう人に対して「人生これからなのに」とか「何も死ぬことはないのに」という意見が大半を占めると思うが、僕がもし受験や就活に全力疾走して失敗すればこうなることが容易に想像できる。努力した上での失敗からは決して立ち直れないんだ。
それがわかっているから、なかなか踏み込めない。努力が嫌いだからというのもある。過程を楽しめれば死ぬことはないだろう。もしくは何か目的意識があれば、仮に失敗しても糧にできるだろう。僕が取り組む場合は明らかに、無理矢理、嫌々、死に物狂いでやっている。仕事もそうだった。だから死ぬ前に辞めた。

結果的に僕は生涯にわたって努力を取らなかった。絶望へと繋がるリスクを取らなかった。それは自分の生死に関わる事だと今でも認識している。それらの選択が正しいか間違っているかは別として、生存という選択肢を選んだと思っている。多分、人が成長する過程というのはそういった死のリスクを乗り越えた先に何かあるのだろう。僕は勝負しなかった。痛みへの恐怖、苦しみ、死への恐怖に怯えて舞台に上がれなかった。

ありえない選択肢

仕事を辞めた僕にも、選択肢というのは考えつく。例えば、カナダの永住権を目指してトロントの大学に通うという選択。500万単位の学費と3年ばかりの時間と卒業できるかどうかわからないという多大なるリスクを背負うことになる。
仮に乗り越えることができれば得るものは大きいが、自信もモチベーションも無い。借金も必要だから失敗したら自殺するだろう。チャレンジしようなんてとても思えない。例えば今僕が25歳ぐらいで、1,000万ぐらい貰えたら(自分で稼いだお金ではないことが重要)、間違いなく挑戦するだろう。それだと失敗しても死なないから。決死の努力とか、覚悟とか、退路を断つのが大事という考え方があるのは知っているけれど、僕にはそぐわない。その状況は僕にとって憎悪しか生まない。

こちらで仕事を探すという選択肢もある。既にあるパターンとして、専門学校へ通いインターンを経て仕事を見つけるというのがある。こちらでも200万と2年と、仕事に打ち込めるかどうかの不安というのがある。僕は一度仕事を辞めている身なので、嫌なことを我慢するだけの日々がいかに苦痛であるかというのが身に染みている。2年も我慢できるだろうか。失敗したら借金と年老いた体だけが残る。やはり自殺するだろう。

本当に自殺するかどうかは別として

決断に伴うリスクというのは、本当に死ぬかどうかを抜きにしても、その先に待っている地獄がとても恐ろしい。借金と、ボロボロのメンタルと、年取った体、これらが簡単に想像できる中でとても挑戦しようなどと思えない。僕は自虐的ではあってもマゾヒストではないので、あえて自分の足を鎖でつなごうなどとは思えない。
というわけで僕はそういった恐ろしい選択肢、決断を避け、なにもしないで日々ダラダラと時間だけを浪費する生活を送っております。これまでも、これからも。
その、何の努力も無い日常において、何もいいことがないのと同時に死に直結する事態を避けつつ、人生ってなんだろうとか、才能を持って生まれたかったなあとか、自分は何故ロックスターじゃないんだろうかとか、買ってない宝くじが当たらないかなあなどと無意味なことを思い巡らしている。