「上から目線」ってそんなに気になる?

僕自身、昔から"偉そう"と言われる事が多かったので、他人が話すときの「上から目線」をあまり気にしたことがない。というよりは、いまだにその「上から目線」ってのが何なのかよくわかっていない(まあそのあたりが私の社会人として欠落していた部分なんだろうとも思う)。"偉そう"とはまた違うのか?なんでそんな言葉が生まれたんだろう。

上から目線の何が悪いの?

なぜ人は上から目線を気にするのだろうか。ケースとしては、「上の人間でもない人があたかも上にいるかのような態度をとっている」というその内実と言動とのギャップに腹を立てているのか。よく知りもしないくせに本人は知っていると思い込んでいるから、さも知っているかのような口調で教えてきたり諭してきたり否定してきたりとか。そういう勘違い発言に対して躍起になって反論したくなるのではないだろうか。「お前が言うな」とか「お前の言うことは見当外れだ」とか。

さらに本当に何も知らない人が、その間違った目線からの間違った意見を信じてしまったりして、本来の正しい意見がないがしろにされ泥沼に陥ったりすると事態は深刻だ。本当に正しい意見が多数決で負けて通らなかったりするから、間違った意見が市民権を得る前に早々に葬り去ってしまいたいということなんだろう。

個人的に思うのは、そういうのを相手にしないことが大事じゃないだろうか。その相手にすること自体が無駄だから。上から目線で態度がムカつくキーッてやってる暇があったら別の意見に耳を傾ける。重要でないことに熱量を消費しない。

目線はそんなに重要か?

どちらかというと、僕はその言い方、態度よりも中身を見てしまう。外れているか当たっているか、参考になるかならないか、正確であるか曖昧であるか、検討に値するかしないか、興味があるか無いか、「言い方」とか「目線」とかにはそんなに関心がない。特に自分が意見を仰ぐ場合はそうで、まあ頼み事をしてくる人が上から目線っていうのはさすがにないだろう。それは頼んでるとは言わないから。
どうでもいい内容であればそれが上からか下からかなんて気にならない。大事なことであればやはりそれが上からであろうと下からであろうと大事なんだろう。

あなたは友達じゃありません

僕が態度を気にするのは、上から目線よりも馴れ馴れしさ。「こいつ上から目線でムカつくなあ」と思うよりは「誰やこいつ友達ちゃうぞ」と思う方が多い。そうなると僕はよそよそしい態度をとって逆に相手から距離を置く。立ち位置よりもその距離感の方に敏感だったりする。自分の領域の外で人が何を言っていても他人のことだし関係ないけれど、自分の領域に入ってこられると僕は速やかに離脱する。

※追記

ブコメ見ていると、「人を説得するシーンで正当性よりも協調性が重要」みたいな意見が多いけれど、人を説得しようとする時に上から目線の人っているか?そんなやつおらんやろー上から目線でモノを言う時はただ自分の意見を言いたいだけ、口を出したいだけで、本気で相手を説得しようなんて意図はないだろう。いたらかなりやばい。僕が「内容を重視する」って言ったのは飽くまで聞く側としての態度であって、伝える側ではない。話がとんでもない方向に展開している気がする。
あと僕が「誰やこいつ」って書いたのは「何様のつもりだ!」って意味ではなく「本当にこの人誰なの?友達じゃないよ?」って意味。そういう全然知らない人が馴れ馴れしくしてくることって世の中往々にしてあるよねって話。

※追記2

『中身が重要だと言っておきながら馴れ馴れしいのは嫌だというのは矛盾している』というコメントがついた。言われてみれば確かにそうだ。僕の言い方が悪かった。馴れ馴れしい態度で意見されることに対しては、上から目線で物を言われる場合と同じく、その中身しか見ていない。それは変わらない。馴れ馴れしいから正しい意見も無視するとか、その人を嫌いになるとかいうことはない。ただ距離を詰められるということに対してだけ拒絶が出るという話だった。全然知らない人から突然正しい意見をもたらされても尊重するけど、近寄られると逃げる。上から目線と何が違うんだと言われても難しいな。人がどんなに偉そうであっても、その距離感は変わらないのが違いかな。

上から目線を取り扱っている本ってあるんですね。これらの本を買う人の心境というのは正直僕には理解できなかったけれど今となっては興味本位で中を覗いてみたい。

「上から目線」の構造 (日経プレミアシリーズ)

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「上から目線」の扱い方 (アスコムBOOKS)

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「上から目線」の時代 (講談社現代新書)

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