5.5兆円を何に使うか

先日、マーク・ザッカーバーグが資産の99%を寄付したというニュースがあった。450億ドル、日本円に換算すると5.5兆円だそうだ。99%も寄付してしまって、マーク・ザッカーバーグその残り1%でやりくりすることになるのだろう。それって大丈夫だろうかっていう話があり、じゃあ1%って一体いくらなのかというと550億円、全然大丈夫じゃないか。

この寄付については偽善だとか節税だとかよくわからないバッシングがいろいろあったりするみたいだけど、そういうことは別に興味がなく、仮に5.5兆円あればどうするのだろうかということを少し想像してみた。そんな金は生涯手にすることない。5.5兆円あれば1日1億円使ったとしても、5500日かかる。5500日は約15年、1日1億毎日使って約15年か。たった15年なんて意外とあっさりだなーなんて思うか、やはり想像できないか、それはともかく今この場に5.5兆円あったらどのように使うだろうか。

分散する

余分なお金があれば投資に手を出してみたかったから、おそらく2兆円ぐらいはすぐに投資するだろう。それでもやはり金額がでかすぎてよくわからない。マンションとかを買えば10億単位ならすぐに飛ぶんだけど、さすがに2兆円となると10億単位で買いまくってもなかなか目減りしない。とにかく全部円で置いておけば円が紙くずになった時に無価値になるから、株式、外貨預金、不動産ぐらいの素人が思いつく範囲で分散するんじゃないだろうか。外貨で置いておくだけなら運用リスクも小さい。株式は一部ファンドなんかに任せて、それ以外はなんか色々自分で調べて投資するとか。そういうことをやっていればそれだけで時間がなくなってしまいそうだ。2兆円という大金は投資というゲームの中でもかなり狭い範囲に踏み込める額だろう。ビジネスにしても個人単位だとかなり大きなところに手を出せる。博打ではなく真剣に勉強して取り組んでみたいものだ。そんなことをしていれば、半年もあれば2兆円なんてキャッシュはいろいろ形を変え、すぐ使えないお金として手元を離れていると思う。

消費する

投資はよくわからなかったけれど、何はともあれ消費だろう。2兆円使えるかどうかわからないけれど、仮にそうだとしてもまだ3.5兆円残っている。しかし消費というのもあまりしっくりこない。よく、大金を手にしたら家とか車とか買うって言う人がいる。僕は家も車もいらないから消費ではおそらく、1億も使わないまま人生が終わるだろう。強いて言えばMacを買い換えたいとか、そういう実用的な部分になってくる。実用性で言えば永住権なんかも消費に近い。実際は欲しい国に預金か投資かをすると手に入るところがあったから消費にはならない。カナダやオーストラリアといった移民の国なんかはそういう制度があったと思う。永住権は、ただビザの期限切れを気にしなくていいから欲しいというだけ。他に実用性となると思いつかない。バイクとか危ないから乗らなくなるだろうし、欲しいものって本当に無い。食べ物とかも興味無いし旅行もお金をかけた豪勢なのはやはり興味無い。ああ、カメラは欲しいかもしれない。Leica M Monochromというカメラが100万ぐらいして一生買えないだろうなと思っていた。

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無意味に消費するだけならジャクソン・ポロックの絵が150億ぐらいだったり、1億の時計とか、消費にはならないけれどルーブル美術館なんかは資産価値が高くて、5.5兆円出しても買えないんだろう。そもそも売ってないけどさ。あーいうのはいくらお金を積まれても売らないと思う。どちらにしてもあまり興味が無い。消費で使うのはMacとカメラとレンズぐらいか。200万もいらない。3.5兆円からすれば誤差の範囲だ。消費という現実世界に関心が持てない。

寄付する

そうなるとやはり寄付になってしまうのか。約3.5兆円。でも慈善団体にまとめて寄付っていう発想にはなかなかならない。学校や研究施設、金儲けが目的ではなく、金がもう少しあればもっと教育や開発を促進できるとか、何かこう金自体が目的ではなく金を有効に使える場に寄付したいと思う。世の中のため、なんて言うとおこがましい。でも本当に、僕なんかは金があろうがなかろうが何も変わらないけれど、金が足りないことによって何かが阻害されている状況などというのは、健全な社会ではないだろう。金のためだけに仕方なく働いているとか、貧困にあえいでいるとか、金に困っていなければやることがたくさんあるとか、それはもちろん欲求を満たすためなんかだと意味が無いんだけど、市民としての義務を全うするために金が足りないのであれば、そういうところに寄付したいとは思う。孤児院とか。孤児院っていう言葉はもう無いらしい。児童福祉施設とか児童養護施設とかそういうのだったっけ。忘れた。どちらにしてもやはり、よくわからない。

結局具体的に思い浮かんだのはMacとLEICAだけだった。1日1億円が15年使えたとしても身に余る大金というのは全然使い道がないという話でした。金があっても何もできなければ仕様がない。そんな人生は金が無い人生と大差ない。