パレスチナ問題について

イスラエル、パレスチナを訪れ、折角だからパレスチナ問題についてあれこれ考えたことを整理してみようと思った。この問題を考えるにあたって僕が持っていた予備知識というのは主にNHKの「映像の世紀」から得たものと、新書である「世界史の中のパレスチナ問題」「非ユダヤ的ユダヤ人」他に聖書の解説として「図解 聖書」がある。読んだ本の内容はそこまで細かく記憶していない。コーランも内容を知っておきたかったがいまだに目を通していない。

三枚舌外交

パレスチナ問題の発端は、よく知られているイギリスの三枚舌外交がある。簡単にまとめると、イギリスは第一次世界大戦を戦うにあたり、敵国であったオスマン帝国を攻略しようとアラブ人勢力を味方につけ、謀略を仕掛ける。オスマン帝国を倒した暁にはオスマン帝国のアラブ人地域をアラブ人の独立国とする約束だった(フサイン=マクマホン協定)。同時にユダヤ人シオニストに対して、パレスチナへのユダヤ人帰還を補助するとした。目的はヨーロッパやロシア、アメリカにいるユダヤ人からの支援獲得ためと言われている(バルフォア宣言)。もう一つは、同盟国であったフランス、ロシアとオスマン帝国領分割の約束をしていた(サイクス・ピコ協定)。第一次大戦後、オスマン帝国アラブ人地域というのは一旦イギリスとフランスに統治され、イギリス領についてはアラブ人による独立が進み、フランス領は第二次大戦後フランスから独立した。そしてパレスチナ、パレスチナについてはオスマン帝国崩壊後、イギリスの委任統治となった。

Wikipediaにあるフサイン=マクマホン協定の項目を読んでみると、シリアや北メソポタミアについてはこの協定が反故される形となり、ダマスカスを中心としたシリアはフランス領となった(それ以外の地域はアラブ人の国家として独立した)。パレスチナについては、もはやこの時点で問題がこれほど大きくなると予想できなかったようにしか見えない。イギリスの外交政策が発端ではあるかもしれないが、これだけが直接の原因とは言い難いように思える。それぞれの密約が矛盾していたというよりは、第一次世界大戦に勝つため手当たり次第外交を行い、戦後になってそれをうまく調整できなかったと言う方が正確かもしれない。

フサイン=マクマホン協定 - Wikipedia

イギリス委任統治領パレスチナ - Wikipedia

ユダヤ人の入植

パレスチナがまだオスマン帝国領だった時代、ロシア、東欧におけるポグロムから逃げるためにユダヤ人はパレスチナへと入植を始めていた。第一時大戦後のイギリス委任統治領パレスチナとは、バルフォア宣言を根拠としたユダヤ人の入植を助けるための委任統治であり、イギリスは飽くまで元々そこにいたアラブ人たちとユダヤ人入植者を調整して共存させようとしていた。この時点ではユダヤ人シオニストもユダヤ人国家建設の意思がなかった。オスマン帝国時代からそこに住み続けていたパレスチナ人(アラブ人)はイギリスに対してバルフォア宣言の撤回を要求し続ける。ユダヤ人入植の増大によりパレスチナ人とユダヤ人入植者の対立は深まり、イギリスは手に負えなくなる。ユダヤ人入植に拍車をかけたのはホロコーストだ。

ポグロム - Wikipedia

ホロコースト - Wikipedia

第二次大戦後、イギリスの手に負えなくなった委任統治領は、国連によってパレスチナ分割決議という形でユダヤ人国家とアラブ人国家に分ける方針がとられた。その分割案がユダヤ人寄りであったためユダヤ人側は賛成、アラブ人側は拒否という形になったが投票が行われ、結果としてイスラエルが誕生した。イスラエルが建国されると世界各国からさらにユダヤ人の入植が増え、アラブ人の不満とイスラエルの対立は周辺のアラブ諸国を混じえた中東戦争に突入する。イスラエル国境は戦争の度に変わった。1994年からパレスチナ人(アラブ人)は自治政府を持ち、国家という形を取った。

パレスチナ分割決議 - Wikipedia

イスラエル - Wikipedia

パレスチナ自治政府 - Wikipedia

これらのざっくりとした経緯が現在に至るまでの過去となる。現在でもパレスチナの地におけるイスラエル人とパレスチナ人の対立は続いており、イスラエルはこの地を同胞だけで治めたいと考えている。パレスチナは自分たちの土地をユダヤ人から奪還したいと考えている。軍事力としてはイスラエルが圧倒的に優位であり、現在もパレスチナににじり寄っている。

エルサレムについて

ここまでの流れで抜けていたのが、エルサレムの問題だ。エルサレムは現在イスラエルが支配しているが、アラブ人も居住しておりエルサレム神殿があった神殿の丘にはイスラム教の聖地である岩のドームがある。ユダヤ教の聖地である嘆きの壁は、ローマ軍によって破壊されたエルサレム神殿の壁であり、破壊を免れた部分となる。イスラエルはエルサレムを首都と主張しており、ユダヤ人にとってなくてはならない聖地である。また、エルサレム神殿は過去に再建された事例があり、おそらくイスラエルの意向としては、エルサレムからアラブ人を閉め出し、岩のドームを破壊した上で神殿の丘に新たなエルサレム神殿を再建したいのではないだろうか。そんなことになれば、パレスチナだけでなく中東戦争の時と同様周りのアラブ諸国も黙っていないだろう。パレスチナ側としては、エルサレムもつい数十年前まで自分たちが住んでいた土地であり取り戻したいという気持ちと、聖地である岩のドームを大切にしたいという気持ちがあるだろう。

エルサレム - Wikipedia

これからのこと

現在このパレスチナの地において、入植してきたユダヤ人は定住し、元々住んでいたパレスチナ人もおり、どちらかの希望を叶えるというのはちょっとあり得ないだろう。パレスチナ難民が問題になったが、仮にイスラエルが現在のパレスチナ全域を支配してアラブ人を一掃するなんていうことは国際社会に許されないだろうし、かといって増えすぎたユダヤ人を元の場所に戻すなんてことも現実的ではない。国際社会としてはどちらの希望も叶わぬまま、争いの起こらない状態で現状維持してくれるのを望んでいるだろう。しかし実際は、イスラエル軍とパレスチナ人のどちらもが不満を持ち、日々争いが絶えない。イスラエルはパレスチナの領土ににじり寄り、パレスチナは抵抗を続ける。僕がエルサレムに滞在していた3日の間にもパレスチナ人によるイスラエル兵への襲撃があり、投石があった。どちらの陣営にもこれまでの犠牲があり、今さら妥協するなんていうことは考えにくい。

軍事力という点においてはイスラエルが優勢だ。しかし国際社会の批難によって希望通り振る舞えないのが現状である。これから先は一体どうなるのだろう。イスラエルとパレスチナの共存という、元々イギリスが描いていた絵に戻るのが最善なのだろうが、それができていれば初めから分割決議案なんてなかった。

移民との共存

ここで、アイザック・ドイッチャーの「非ユダヤ的ユダヤ人」の話に入る。アイザック・ドイッチャーはユダヤ人だが共産主義者であり、インターナショナリストを自称していた。ユダヤ人がホロコーストからパレスチナへ避難したことは肯定しつつも、そもそもの問題は国際社会がユダヤ人を受け入れなかったこと、そしてユダヤ人自身が国際社会へ同化の道を辿れなかったことにあると言う。世界各国が国民国家への道を歩み、信仰や民族という垣根を越えた国家を築けなかったことに問題があると言う。しかし彼の言う共産主義というのはやはり理想主義であり、現代を生きる我々にとっては非現実的だ。

僕が個人的に思うのは、共産主義は理性の塊であり人間が実現するのはかなり難しいだろう。イスラエルへと避難せざるを得なかったユダヤ人以外にも、世界各国にユダヤ人はいる。彼らは同化できているだろうか。ユダヤ人として差別を受けていないだろうか。ユダヤ人に限らず、移民を受け入れた国々で移民問題が多発している。国際社会における共存というのは、アメリカのような移民で成り立った国家でさえあまり上手くいっているとは言い難い(カナダやオーストラリアで上手くいっていると言えるかどうかは難しい)。アイザック・ドイッチャーはこれを人類の退行だと言うが、皆が皆同じ水準にあるわけではなく、理性的に生きられるわけではない。また、イスラエル人とパレスチナ人のように各々の望む方向性が違い、求める平和の像も違う。人類が皆同じ方を向いて進むというのは考えにくい。