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子供を持たないということ

「子供がほしいから結婚したい」という言葉を今まで何度も聞いた(男女問わず)。そういう考えは個人の自由だから口を挟むのは余計なことなんだけど、「子供がほしいから」と言われて結婚された相手は不憫だなと思う。だってそれは子供中心の考えであり、肝心の結婚相手はどうでもいいってことになる。そこで「どうでもよくない、結婚相手はもちろん大切な人を選ぶ」という二次的な意見が出てきたとしても、それは相手が良い子供の遺伝子を持つから、良い生育環境を持つための口実に過ぎず、子供中心であることには変わりない。やはり肝心の結婚相手はないがしろにされているのだ。仮に子供ができなかったとしたら、果たしてどうするのだろうか。離婚するのか。不妊治療を受けたり代理出産をすることもある。それでは、もし子供ができないことがあらかじめわかっていたとしたら?結婚する前にわかっていたら、それでも結婚するだろうか。付き合う前にわかっていたら、付き合うだろうか。「子供がほしいから結婚したい」と言う人はNOだろう。子供ができない相手など、選択肢にも挙がらないだろう。それはまるで種馬、産む機械のようだ。相手を人間として尊重する関係ではない。だから、愛されていない、もしくは子供のついでに愛される結婚相手が不憫だと思う。

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世の中には「結婚と子供は別」という考え方がある。例えば、子供ができたからといって二人の間で結婚するかどうかはまた別の問題として取り扱うという考え方だ。子供は子供であり、産む産まない、結婚するしないに関わらず二人は両親である。子供のことは子供のこととして考える。二人は二人で、子供ができたとしても二人が結婚するかどうかは子供の問題ではなく、二人の問題だ。子供に責任はない。僕にはそういう考え方のほうがしっくりくる。そういう考えのもとであれば、例え二人の間に子供ができても、子供を言い訳に結婚することはないだろう。例え二人の間に子供ができなくても、結婚したければするだろう。二人にとって、結婚と子供は別問題だからだ。

世の中には子供が欲しくて持つ人、そうでなくても授かる人、欲しくなくて授かった人、欲しくないから持たない人、欲しいけれど持てない人、どうでもいい人、様々な人がいる。「子供を持つことが当たり前」みたいな前提はそろそろなくならないかなと思う。特に、各人の思想なり事情があるなかで、子供を持つことを推奨する風潮というのはどうにも押し付けがましいというか、結婚→子供といった流れが前提に語られる風潮は早くなくなったらいいのにと個人的に思う。他人の家庭に子供がいようがいまいがそんなことは別にどうだっていいことで、本当は興味もないでしょうから。子供をつくるべきだ、という持論を展開することや自分の家庭で推奨するのは自由だが、他人の家庭に干渉するのは僕は厚かましい態度だと思う。だから僕自身ももちろん自分のこういう考えを他人に直接伝えたり、他人の家庭に押し付けたりすることはない。他人というのはもちろん親族も含む。

少子化が問題提起されたりしているが、果たして本当に子供を持つべきなのだろうか。僕にとってはすごくどうでもいいことだけど、あらゆる面から少し考えてみたい。「子供を持つべき」という思想は、あらゆる面から語られる。それこそ少子化であったり、少子化の何が問題かというと、労働人口の現象→低年齢層の負担増→国全体の活力や創造力の減少→国力低下→果ては国家存亡の危機および日本語、日本人の絶滅という結果に至るだろうか。それは確かに嘆かわしいことかもしれないが、そのために子供を持ちたいと思うなら持てばいい、どうでもいいなら気にしなければいい。自分のことだけ考えるのではなく、大人だったら世の中の、日本の未来のために考えて行動するべき、そういう思想を元に、日本の未来を考え子供を持つのもいいだろう。賛同者を募るのも自由だ。しかし、そう考えない人を巻き込むのは違うと思う。そういう根拠を元に「子供を持つべき」という思想を他人に押し付ける態度は、まるで宗教の勧誘のようである。

「子供を持つことは素晴らしい」だから子供を持つべき、強要するわけではないけれど、強くおすすめする、という人も少なくない。それは本当に素晴らしいことなんだろうし、その素晴らしさを噛み締め、語ってくれる分には存分に構わない。その喜びを他の人と分かち合いたいという気持ちもわからなくはない。悪意がないのも伝わる。ただ、どこからがありがた迷惑で、どこからが余計なお世話になるかは難しいところだ。そういう話題にデリケートな人もいれば、無頓着な人もいる。「子供を持つことは素晴らしい」かもしれないが、それを他人に吹聴する態度をもう一度振返ってみては?などとは言わない。しかし、子供を持つことの素晴らしさや幸福を根拠に、だから子供を持つべき、などと言われたらそれはやはり宗教の勧誘のように見える。

人間は動物なんだから、子孫繁栄するのが自然であり使命であり宿命なのだ。そう本気で言う人がいるかいないかわからないけれど、そういうものに従うだけではないのが人間だとも言えるんじゃないだろうか。子孫を残さなければ意味がない、子供を、遺伝子を、DNAを残さなければ意味がない、生物はそのために生まれ、生きているのだから。では何のためにDNAを残すのか、何のために種を絶やさないように本能はできているのか、そこには究極のところ、何ら意味がない。つまり、子供を残そうが残すまいが、結局人生に意味なんかない。輪廻や解脱といった仏教的な意味を見出すのも構わない。子供のため、仕事のため、国家のため、民族のため、科学のため、芸術のため、好奇心のためなど個人的な意味を見出してもいいだろう。それはもう意味などではなく、もはや趣味の世界だ。

自分の話は特に関係ないけれど、一応自分の話をしておけば僕は結婚も子供もあまり考えたことがなく、自分の人生の外側にある事象だなと感じている。パスポートを持ったことがない人に、外国に住むことを問うような感覚だ。それについて人から何言われることもなく、仮に何かを言われたからといって、めんどくさいと思う程度だ。いちいちそれを説明するのも面倒で、それにいちいち引かれたり幻滅されたり落胆されるのも面倒だ。僕は一人だし面倒なだけだからまだいいが、子供を持たないと決めている夫婦だったり、子供を持ちたくても持てない夫婦にいたってはめんどくさいで済む話でもなく毎回聞かれ、その度にいろいろな感情が沸き起こるだろうなということを想像した。自分も上の世代に倣ってつい無遠慮に「結婚は?」「子供は?」などと聞いてしまいがちなところもあるから、自戒の意味を込めて今回こういうことを書き残した。