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やりたいこと、やりたくないこと

やりたいことがないのと同じぐらい問題なのは、やりたくないことが多過ぎること。

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やりたくないことを我慢する

やりたくないことを我慢できるのはその先にやりたいことがあるからであって、それがないままやりたくないことを我慢し続ければ、おかしくなることは会社員経験で実証した。先行きの恐怖や不安に駆られてやりたくないことを我慢し続けると、結局その先には病気や自殺が待っている。だからとにかく就職したいとか、とにかく収入を得るために何でもしようという風には思えない。やりたくないことを我慢するのは何の解決にもならなかった。このまま何もしないでホームレスになって行き倒れるのも、バイトか何かを我慢して行き倒れるのも結果は同じ。時間の問題。もっと言えば前に辞めた会社員を続けていても同じ。もしあのまま会社員を続けていたら、今頃は既にいない。

やりたいことって何なのか

このやりたいことというのは、人生を通して打ち込む職業だけでなく、その過程にある経験や収入、人間関係や家族関係も含む。それ以外にもパッと思いつくことであったり、そこら辺に転がっている何かも指している。例えばどうしても欲しいものがあり、そのために頑張るとか。どうしても実現させたいことがあり、そのために頑張るとか。そういうのが僕は本当に、生まれてこのかた全然なくて、それに伴う苦労・苦痛を考えればやっぱいらない、となってしまう。

例えば5億円欲しいかと聞かれたら誰だって欲しいと答えるだろう。しかしその対価をどこまで支払えるかというと話が変わる。嫌な仕事を20年続けたら5億円もらえるとしたら、どれぐらいの人がやるだろうか。僕はやらない。5年でもやらない。1年でも厳しい。半年なら我慢できるかもしれない。しかし実際は、嫌なことを40年続けたって2億円ももらえない。だから皆その中にやりたいことを見出していたり、もしくは我慢しなくても平気か、5億円の価値が僕が思うより高いかのどれかなのだろう。頭のいい人だったら我慢できる人を集めて働かせて自分は半分もらうとかそういうアイデアで切り抜けるかもしれない。

海外旅行を続ける人がよく、日本に帰ってきて半年か1年働いてまた旅行するというサイクルを繰り返している話を聞く。彼らは海外旅行の喜びが労働の我慢を上回るか、もしくは苦痛が伴わない。だからそういう生活を続けられるのであって、僕にとっての旅行は我慢して働いてでもやりたいようなことではない。

旅行に限らずあらゆる物事が課題や目標、夢とかに成り得ず、ただの願望で終わってしまう。

我慢せずにできることがない

何がそんなに嫌なのだろう。苦労してお金を得てやりたいことがない。欲しいものがない。美味しいものを食べたいとか、いいところに住みたいとか、かっこいい服を着たいとか、世界中を旅行したいとか、全部有るに越したものはない程度で、なくてもいい。仕事で人や社会と繋がっていたいとも思わない。我慢しても何も得られるものがない。

やりたくないことが多すぎる。去年の9月から今年の2月までオーストラリアの農場で働いてた。仕事自体は慣れたら楽だったけれど、ただ働くのが嫌でひたすら辞める日のことを考えていた。人間関係はどうでもよかった。その間我慢できたのはその先に旅行を予定していたからであって、それがなければ続かなかっただろうし、続いたのもたった半年だ。そして今後二度と農場では働きたくないと思った。今我慢に繋がる何かも存在しない。だから、我慢しなくてもできることがあれば一番いい。どうやって見つけるのだろう。やってみるしかないというのは一つだけど、自分にはその体力も精神力もない。このまま生存するためには、我慢しなくてもできる何かを見つけるしかない。もしくはまた延命措置のようなやりたいことを見つけるか。

自分にとって一つ、どうしようもないぐらいストレスになることがあった。それはペースを惑わされることだというのに最近気づいた。人に指図されるとか、他人のペースで行動するとか、何か別の指標に従って行動するのが耐えられない。何かに合わせることができない。協調性がないどころか、忌み嫌っていたのはそういうところから来ていた。自分の頭と体は自分が支配したい。6年も会社員が続いたのは、そのほとんどが自分一人でやる仕事だったからだろう。それでも相手がいるから急かされて続け、長時間労働も続きパンクした。他人と一緒に何かをやることができない。