「他人の顔」感想・書評

これは主に風呂の中で読んだ。風呂に入ってる最中が暇で、人によってはテレビを置いたりスマートフォンを持ち込んでいる兵もいるかもしれないが、僕はもっぱら本、というわけでもなく、たまたまこの本を風呂の中で読む時間が長かっただけ。

物語の概要

化学研究所に勤める研究者の男は、以前に液体空気の爆発により顔に損傷を受けた。顔はケロイド状になり、赤黒くところどころ穴が空き、その様子を「蛭の巣」と形容している。普段はその素顔を守るため、顔全体に包帯を巻いて生活している。研究者としての仕事は滞りなく続くものの、妻からは拒絶され周りの人間は怯え、化物としての暮らしを余儀なくされている。

そんなある日、プラスチックによる人工器官の記事を目にし、人体パーツの精巧な模型と、それを作った技術者に出会う。技術者は「顔」こそが人間関係の入り口であると説くが、男は顔など表面に過ぎない、器に過ぎないと主張する。しかし、その本物と見紛える模型、指の模型を一つ譲ってもらい、「蛭の巣」を覆い隠すための、包帯ではない「仮面」の制作に取り掛かる。それはひとえに、妻との関係をもう一度やり直すためのものだった。

自分の顔は既に失われているため、他人の顔から型を取りできあがった仮面は、男を別人に変えるものだった。外を歩いても、人に見られても恐れられることはない。どこにでもいる普通の人としての顔を手に入れる。仮面に合った服を着て、仮面に合った振る舞いをしているうちに、いつしか仮面が「自分ではない誰か」として独り歩きするようになる。当初の目的通り、仮面を被った状態で妻に声をかけようとするが、それはもはや自分ではない他人による妻の誘惑と化してしまい、男の中で葛藤が繰り広げられる。

再生し続ける物語

ここからさらに核心に触れるが、この本は再生の物語であったように思う。顔を失うと同時に失われた関係性、これまでの生活、そして仮面を手に入れることで甦る人としての生活。しかしそれは不完全な仮面であり、ましてや他人の顔である。顔を失った自分と、他人の顔をした自分が一人の人間に同居することになる。妻との関係を絶たれた自分と、妻と関係を持つ他人の顔を持った自分の奇妙な三角関係ができあがる。

この本は、男が妻に向けて書いた真実を告白する手紙という形式になっている。男は妻に対しこれまでの仮面にまつわる全てを告げ、仮面を脱ぎ捨てようと決心する。今度こそ仮面ではなく、本来の自分として妻との関係を再生しようと試みる。しかしそれは失敗する。男と妻、仮面と妻との間には行き違いがあった。このあたりは実に日本の男性らしい男と、女性らしい女の違いが浮き彫りになる。意識の食い違い、誤解、双方には誤解があった。

男は妻を見ておらず、自分の顔のことしか頭になかった。自分が妻との関係を取り戻そうとすることしか頭になかった。相手がどう考え、何を思うかまるで見えていなかった。妻は妻で、やはり自分のことしか頭になかった。相手を思いやっているようでありながら、相手が自分のことを考えてくれているとばかり思っていた。中身こそ異なるものの、双方が一方通行であり、独善的であった。そのことが明らかになり、今度こそ真の再生を目指して、妻と再び向き合おうと仮面を被るところでこの物語は終わっている。

人間関係を構築する絶え間ない応酬

この本のクライマックスは、まさにこの最後の数十ページにある。それまでは全部前フリだと言える。特に映画のシーンからがこの本の真髄で、内容の薄い物語であれば男が妻にしてやられ「お前のことをわかってやれなかった」みたいな話で終わってしまうのだが、その先にある男の視点を描いているところが重要になってくる。ここからさらに再生が始まる。

人間関係は互いに一方通行であり、お互いが相手に対して好き勝手に、自分の思いを抱いている。それは全く伝わっていない。言葉にしても、文章にしてもそれらは新たな誤解の種になり、行き違いが生じる。しかしそれでも、人と人を結びつけ、繋ぎ止めるのはそういった一方通行の応酬しか存在しない。互いの主張が交わることはなく、意思が疎通することなくとも、一方通行の応酬を続けるしかない。相手をわかってやろうとすることは全て欺瞞であり、間違いである。相手がわかってくれているというのも全て自惚れであり、間違いである。正解は何か。お互いが自分をわかってもらおうと、一方通行の応酬を絶え間なく続けることだけ。そこにしかない。そしてどちらか一方でも欺瞞や自惚れに陥り、一方通行の応酬をやめてしまうと、そこで関係は終了してしまう。

他人の顔 (新潮文庫)

他人の顔 (新潮文庫)