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全面禁煙すべき?2020年東京オリンピックに向けての間違ったタバコ論議

このあたりを読んでいて思ったこと。

はい、喫煙者ですごめんなさい。僕はカナダに1年半住んでオーストラリアに1年近く住み、その他諸外国へ計3ヶ月ぐらい旅行していた。その間ずっと喫煙者だった。外国にいる間はむしろ日本にいるときより喫煙量が多かったんだけど、タバコに関する取り扱い方は日本と外国とで全然違った。1箱1000円近いのが当たり前とかパッケージがグロいって話もあるんだけど、それ以上に喫煙についての意識の違いが大きい。それは日本人と外国人とで、社会に対する関わり方が違うことに大きく影響していた。カナダやオーストラリアにもタバコが嫌いな人は多かった。しかし向こうでは「自分は嫌いだけど、あなたが吸うかどうかはあなたの自由だ」という対応をされる。よほどの原理主義者でない限り「喫煙者うぜえ!」とはならない。

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わかりにくいけどオーストラリアではパックに入ったタバコの葉っぱを買って手で巻いていた

なんで喫煙者が差別されないかというと、個人主義の国だからだ。個人の意思と自由を尊重する。「健康に悪いよ」という意見を言う人はいるが、それも最初の一度だけだ。「あとはあなたが自分で判断することで、私には関係ない」となってしまう。つまり、自分と他人との境界がはっきりしている。でも日本人だって「喫煙者が肺がんで死のうが知ったこっちゃねえ、それより副流煙うぜえ」というメンタリティの人は多いだろう。そのあたりも外国でははっきり区分している。どのように区分しているかというと、場所で分けている。パブリックスペース(屋外)とプライベートスペース(屋内)だ。パブリックスペースでの喫煙は自由であり、タバコが嫌いな人は喫煙者に近づかない。一方プライベートスペースにおいてはほぼ全面禁煙になっている。

パブリックとプライベート

パブリックスペース、つまり「公共の場は自由な場である」という共通認識が個人主義の国にはある。道端にゴミも落ちていれば、吸い殻も捨てられている(もちろん捨てない人もいる)。それを掃除するのは公共の、つまり行政の仕事だ。そのために税金を払っている。公共の場についての考え方が、個人主義の国と日本のような国とでは全然違う。公共の場は自由な場だ。法律というルールはあるけれど、その範囲内であれば何やっても自由、楽器を演奏する人もいれば物を売る人もいる、道路をスケボーで移動する人もローラーブレードで移動する人もいる、そしてタバコを吸う人もいる。パブリックスペースでの喫煙は、個人主義の国において咎められる対象ではない。アメリカは日本以上に嫌煙国だと言われているが、それでもニューヨークの路上にはそこかしこにタバコの吸い殻が捨てられていたし、喫煙していて煙たがられるようなこともなかった。

一方、プライベートスペースで喫煙が認められることはまずない。レストランに限らず屋内は99%無理だ。個人宅でも賃貸マンションはおろか分譲マンションも全面禁止、許されているのはよほど愛煙家の持ち家ぐらい(資産価値が下がるからやらないんだと思う)。それは、プライベートスペースが所有者の権利によって守られているからだ。当たり前だが、そこに公共の自由はない。公共の場で主張できる個人の自由よりも、スペースを所有する個人や団体の権利のほうが強い。このような個人主義の考え方が、パブリックスペース(屋外)喫煙自由、プライベートスペース(屋内)禁煙のルールに結びついている。(だから屋外であっても所有者の権利が届く範囲は禁煙になったりすることがある。)

「みんなの意見」が正義の日本

では日本はどうなのかというと、全体主義の国だ。個人の自由よりも、「みんなの意見」が尊重される。それが例え個人の自由権を侵害するような内容であっても、道理にかなわないことであっても、「みんなの意見」というだけでそれが正義になり通ってしまう。「みんなの意見」は人員の構成によって変わるし、時代によっても変わる。日本社会でうまく渡り歩くにはこの「みんなの意見」をいかに作り上げ、操作するかが重要になってくる。人気のある首相が夏にネクタイを締めなくなっただけで、それまであったビジネスマナーやらなんやらは一変する。嫌われている経営者がTシャツであっても、Tシャツが許されることはない(ドイツだとTシャツ・ジーパンの公務員がいたりする)。雰囲気、空気、乗り、勢い、そういうものが社会全体を支配しており、そこには個人主義の国で厳守される権利や道理なんてものは存在しない。だから今のように嫌煙ムードが蔓延していれば、単純に喫煙は悪という風潮になってしまう。それが良いとか悪いとかいう話ではなく、そういう違いがあるということを前提として認識しておかなければ、全ての議論は不毛になる。

禁煙にまつわる不毛な議論

オリンピックに向けて禁煙をどうするかという話も、そういう前提の理解をすっ飛ばした議論が多かった。つまり、本当に議論すべきなのは外国人を呼び込んだ際に、「日本式の全体主義(パブリックスペース禁煙)を強要するか」それとも「個人主義のルールに従うか(プライベートスペースのみ禁煙)」このどちらかになる。どちらが良いかは、言うまでもなく後者だ。パブリックスペースも含め全面禁煙したい嫌煙者も多いだろうが、北米に限らず喫煙者というのは思いの外多い。ヨーロッパはそうだし、中東アラブ諸国やアジア諸国にも多い。そういう人たちを全員締め出すというのは、少なくともオリンピックを契機に人を呼び込もうとしている国のやり方として矛盾も甚だしい。シンガポールなんかはそうしているじゃないかと思う人もいるかもしれないが、意外とそうでもないようだ。

間違いだらけのシンガポールの喫煙事情 | life designer

新時代のモデルとして全面禁煙を押し出しても構わないが、それをやるにはまず国内において矛盾が多すぎる。国内にいる僕を含めた喫煙者を、2020年までに一掃するなんてことができるだろうか?居酒屋などでも屋内喫煙可はまだまだ主流だし、ましてや自宅で禁煙などを徹底して非喫煙者にさせるのは不可能だ。ありえないだろう。

日本式を取るか、海外式を取るか

今まで通りの日本式(パブリックスペース禁煙・プライベートスペース喫煙)を徹底させるか。これは外国人にとって非常に敷居が高い。今既に日本に来ている少数の外国人はしかたなく適応しているだろうけど、オリンピックに向けてこれから来る人たちの戸惑いは半端じゃないと予想される。それはどちらかというと、タバコを吸う人の屋外禁煙よりも、非喫煙者にとっての屋内喫煙可の方が問題が多い。向こうからすればこれは考えられないルールだから、全ての店先に禁煙マーク、喫煙可マークなどの表示を徹底させ、数少ない禁煙の店を外国人に選ばせないといけない。そんなめんどくさいことはない。中には屋内で吸えることがありがたいと感じる人もいるだろうけれど、逆に喫煙者の中にも屋内喫煙を嫌がる人は多い。また、屋外では吸えないため、外国人喫煙者はわざわざ吸える場所を探さないといけない。こんなの日本人でも大変なのに、外国人からすればもっと大変だからつい禁止場所で吸う事例が多数報告されるだろう。目に見えている。

外国人にとって「みんなの意見」なんて発想はない。そもそも各国から人が集まり宗教、文化、出自が多様化した国々において「みんな」なんてものは存在しない。国全体で意見が一本化するなんてことはありえない。だからこそ個人の権利が中心になり、ルールによって厳密に定義される必要がある。あいまいな「みんなの意見」なんてものに左右されてのらりくらりと変わっていけるのは、出自や文化的背景や言語や日々の習慣や価値観がほぼ統一された日本のような国だけである。そんな国のルールを「みんな」に含まれない外国人までもが押し付けられるなんて、彼らからすれば単なる権利の侵害であり、外国人差別にもとらえられる。

それならやはり、海外式ルールの(パブリックスペース喫煙・プライベートスペース禁煙)を徹底させるか。その方が外国人の戸惑いは少ない。しかしここにも問題はある。それは既存の日本人と、日本人が築いてきた「みんなの社会」との軋轢だ。個人主義の国において主流の「プライベートスペースのみ禁煙」を徹底させるということは、「みんなの意見」を正義とする日本社会を否定することになる。これから「パブリックスペースの喫煙解禁」なんて、受け入れられる人は少ないだろう。

日本式と海外式の中間を取る

この日本という国において、日本人と外国人が融和するなんてことは、少なくともあと3年では起こり得ない。我々日本人が2020年に向けて外国人を呼び込むために行うことは「みんなの意見」の中に外国人を含めることではない。ましてや外国におけるコスモポリタン(国際都市)のように個人主義のルールを徹底するのも不可能だ。やはり現実的なのは、屋外喫煙を今よりある程度許容して、屋内禁煙を今よりある程度徹底することだ。この3年でできることはせいぜい、個人宅などの外国人があまり来ないであろう場所は今まで通り個人の裁量に任せ、外国人が立ち寄る可能性のある飲食店・飲み屋などで禁煙を徹底し、主流派にすること。そして屋外における指定エリア全面禁煙などは撤廃し、喫煙スペースを増やすこと。これが一番いい。そして外国人にわかるように明文化して表示すること。違反があればしっかり取り締まること。このあたりが一番重要。日本によくある「法律は作ったけど取り締まらない」形だけのルールなんて無意味だから。

個人的な意見としては、これまで通り日本のやり方を推し進めても構わないと思う。つまり「みんなの意見」を正義とする日本社会のやり方「屋外禁煙・屋内喫煙」を貫くという方法だ。外国人が困惑しようが、それによって日本が嫌われようが構わない。「これが日本のやり方なんだ」を押し通して差別主義国だと外国人に罵られようが気にしない。だってそれは日本の中だけのことなんだから、嫌だったら来なければいいし、日本人が嫌いになったら向こうが関わらなければいいだけの話だ。「日本人ほど外国人の顔色を伺う人種は珍しい」と言われている。どこの国にもいいところもあれば嫌なところもあり、いい人もいれば悪い人もいる。それでいいと思う。むしろこういう日本独自の部分っていうのは守っていってもいいと思うぐらいだ(ただ外国で日本人が、日本にいるときと同じように振る舞うのはおかしい)。でももし本気で外国人を呼び込みたかったり、国際社会に認められたいんだったら、考え方を根底から改めたほうがいいんじゃないのっていう話でした。

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