ヒトコトへの回答⑤:八方美人

このブログではGoogleフォームからご意見などを頂いております。スマートフォンでページを一番下までスクロールしてもらえば出てくるアレです。それをときどき拾って回答してたりします。今回些細なやつが来たけれど回答してみる。

37通目:八方美人

つい八方美人になってしまいます。どうすれば治るでしょうか?

メッセージいただきありがとうございます。まず開いて一番最初に思ったことは、どうでもいいわーこれ。どうでもよすぎて無視しようと思った。今までもこういうどうでもいいメッセージが来て無視したことは何度もあった。こいつ、俺にこんな質問送ってきて何がしたいの?って。ただまあ今回暇だから例外的に回答します。

つい八方美人になってしまいます。

そうですか。

どうすれば治るでしょうか?

知りまっせーん。

以上。

というわけではない。一言でいいとはいいつつも、こんなにも情報がなければ何も答えられない。世の中には質問が下手な人というのが山ほどいて、回答を求めていないならまだしも、だったら初めから質問するなよって話で、こんな漠然とした中身のない質問がありとあらゆる場所へ届いたりするわけだ。というわけで、ここは一般論としての回答になるのだろう。このメッセージをくれた人が誰でどんな人でどんな状況に置かれているかはともかく、八方美人を治す方法らしいです。しらねー。

八方美人ってなんすか。多分、誰にでもいい顔をするという意味だろう。それって治す必要あるんすか。勝手にやっとけばいいじゃないですか。でもどうすれば治るかっていうんだから治したいんだろう。なんで?治さなくてよくね?何で治したいのか、もう既に想像つきません。だって僕は八方美人じゃないから。

じゃあそもそも何で八方美人なのか。言葉の語源からしておそらく、誰からも良く見られたいのだろう。好印象を抱かれたいのだろう。なんで?他人が自分のことどう思っていたってどうでもいいじゃんか。なんで人から良く思われたいの?特定の誰かに良い印象を持たれたいっていうならわからんでもない。でも八方美人は誰からも良い印象を持たれたいってことになる。なんで?どうでもいい人にどう思われようがどうでもいいでしょう。

でも八方美人の人はおそらくそうではないから八方美人なんだろう。誰からも良く見られたい。何故か、いくつかのパターンがある。一つは良い人に見られることで自尊心が高まるタイプだ。もう一つは、良い人に見られることで安心感を得られるタイプだ。悪く思われていない、敵視されていないことに安心感を持つ。これら2つのタイプだったら、八方美人を続ければいい。何もやめる必要はない。八方美人であることにより、自分が求める結果を得られるんだから。

じゃあ何でやめたいのか。八方美人であることを治したいなんて思うのか。単純な例としては、自分を取り繕うのが疲れるからだろう。心にもないことを言うのがストレス、どうでもいい相手に気をつかうのストレス、自分や相手に嘘をつくことがストレス、こんなに苦労してまで八方美人をやるのは疲れる。得るものがない。だからやめたい。本当か?本当だったら真っ先にやめているはずだ。やめていないということは、

八方美人であることのストレス < 良い人に見られることによる安心感

この不等式がまだ成り立っているはずだ。だからまだ八方美人を続けている。ストレスを感じつつも、その方が得だと思っているならやめる理由はない。これまで通り八方美人を続けてください。ストレスのほうが大きくなったら自然にやめる。

八方美人ではない僕からすれば、そもそも八方美人になる理由がないわけで、それは何故かというと他人が自分に対してどのような印象を持っていようとどうでもいいから。興味がない。八方美人をやめたければ、どうでもいい他人への興味をなくせばいいんじゃないですか―。どうでもいいのに興味持ってる時点で矛盾してます。このあたりで終わります。

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