ブサイクで貧乏な人と付き合う理由

利得で結びついた人間関係は弱く、初めからなかったようにぷっつりと切れる。例えば女性と男性が結婚するとしよう。男性を選ぶ基準が「顔がいいから」だとしたら、加齢などにより顔がよくなくなると相手への興味は失われる。「経済力があるから」だとしたら、無一文になった途端別れを切り出される。そういうのは人間関係とは言わない。ビジネス上のパートナーシップと同じで、事業提携の契約のようなものだ。ビジネスは利益を上げることが至上の目的だから、ビジネス上の契約関係がお互いの利益に見合わなければ、簡単に切れる仕組みになっている。むしろ簡単に切れなければ問題なのだ。利益にならない関係をいつまでも続けたりすることはビジネスそのものの存亡に関わる。だから状況に応じて次々に相手を変えていく。同じ会社同士が良い関係を長年維持しているのは、仲がいいからではなく、お互いにとってたまたま都合が良かったからだ。

ビジネスライクな人付き合い

そして人間同士の関わり合いにおいても、互いの利益を重視するとビジネスの関係と同じことが起こる。顔がいい、金持ってる、優しい、一緒にいて楽しい、そういう都合のいい関係は、都合のいいときしか維持されない。自らにとって利益となる条件が覆ると、パートナーシップは消えてなくなる。実に弱い繋がりだ。今その場の利益が得られたらいいだけで、あってないような繋がり、究極を言えば誰でもいい。たまたまその相手が身近にいたというだけで、もっと利得が多い相手がいれば簡単に乗り換える。顔がいい、金持ってる、優しい、楽しい、自分の気持ちをわかってくれる、という利得を重視する限り、より利得が大きい方へ乗り換えることが合理的な選択となる。

一緒にいて楽しい友人と、そうでない友人

親兄弟を選ぶことはできないが、友人、彼女、彼氏は自分で選べる。例えば何人かの友人がいるとしよう。その中で自分とより趣味が合い、話が合い、知識も豊富で、いろんな新しい体験をもたらしてくれる友人Aがいたとする。もう一方で、趣味は違うし一緒にいても何話していいかわからない。子供の頃から家が近所だっただけでよく遊んでいただけの関係が今でも続いてる友人Bがいたとする。来週の土曜日に友人Aと友人Bと会う予定が重なった。二人は面識ないし場所も違うからどちらかを選ばなければならない。さて、あなたは来週の土曜日友人Aと遊ぶか、Bと遊ぶか?

人生を振り返ってみると、このようなシチュエーションは今まで何度かあったんじゃないだろうか。そしておそらく9割の人はここでAを選ぶ。しかし、今も友人関係が続いているのはBだったりする。人間関係とはそういうものだ。

合理的な恋人関係

恋愛関係で見てみよう。こんなことは現実にないが、一人の人から告白されて付き合ったとする。次の日、付き合っている人より美人な相手からまた告白された。昨日付き合い始めたばかりだし、今日告白してきた人の方が美人だったら気持ちはそちらに移る。乗り換えることにした。また次の日、別の人から告白される。今度は美人な上に金持ちだ。まだ付き合って1日だし、新しい人のほうがお金持ってるなら目移りする。乗り換えることにした。

この場合は相手自身を見ておらず、相手の付加価値しか見ていない。利益のために人と付き合っていれば、上を見るときりがない。現実はそれ相応の相手しか自分の方を見てくれないが、妥協の産物としてギスギスしたものになり、いざ利益が高い相手からの誘いがくれば跡形もなく崩れ去る。こんなものは恋愛関係とも人間関係とも言えない。しかし現実においてこのような、利益優先の付き合いや別れを繰り返している人は多いんじゃないだろうか。少なくとも目移りしたり浮気したりすることはあるだろう。デブでブサイクで性格悪くても一緒にいられて、お互い助け合ったり励まし合ったり愛し合ったりできる関係こそが人間関係だと思う。

人間関係なんて築けるの?

さて、自分の周りを見渡してみよう。人間関係は果たしてどれほどあるだろうか。利益によって覆ることのない、本物の絆はどれほど存在するだろうか。あなたの彼氏は芸能人やモデルに誘われても断ってくれるだろうか。あなたの彼女は石油王や財閥の息子、王侯貴族に口説かれてもなびかないだろうか。どうだろう。

絆とかそういうものはよくわからないが、それは少なくとも利益によって培われるものではない。しかし同時に、入り口は利益かもしれない。付き合ったきっかけは、顔が良かったからとか。友達になったきっかけは、家が近かったからとか。バンド始めたのはモテたかったからとか。そのままの状態ではあっさりと切れる関係性だ。そこから絆となるまで育てるにはどうすればいいのか。よくわかりません。

ブサイクは本物の関係の元に生まれた誇りかもしれない

僕らの親の世代の話を聞くと、「昔は今ほど顔やお金で人を判断するようなことはなかった」と言っている。昔の日本にはお見合いなどもあったから、今とは少し勝手が違うだろうけど、もしかするとブサイクな自分が今この世に生まれ落ちているのは、親の世代が見た目や性格、お金といった利益よりも、人間同士の絆を大切にしていたからかもしれない。