沼田

沼田という男がいた。名前は知らない。「ヌマダ」なのか「ぬまた」なのかも知らない。彼はひどく首が長かった。そのことを一度彼に言おうとしたが、いい結果があるはずもないのでやめておいた。彼とは試験で初めて会ったが、特に話したわけでもなかった。試験中、グループで何かを行う際に、近かったから少し話した程度だった。お互いによく話す方でもなかった。私と沼田は、日本語のクラスで再び会った。私たちは共に日本人だが、当時は日本人が日本語を学ぶというのがはやっていた。そこには彼の友人もいた。何かを読んでいた。沼田と私はお互い顔を覚えていたので、「おお」と気のない挨拶を交わした。

日本語のクラスは、どこかの学部長らしいお爺さんが受け持っていた。
「日という漢字には『ニッ』という発音はあるが『に』は無い。日本を『ニホン』と読むことは、漢字の発音からして間違っており…」
このお爺さんは休み時間にタバコを吸い、講義中には魔法瓶に入れたコーヒーを飲んでいた。

「何を読んでいるの?」
沼田の友人はこちらを振り向き、本の背表紙を見せてくれた。「武士道」と書かれていた。彼も当然日本人である。


沼田とはその講義で毎週会うようになり、近くに座った。特に深い話をするわけではなかったが、二人とも大学に入ったばかりで、会えば行動を共にするようになった。しかし、連絡を取り合って会うようなことはなかった。私たちは、校内の書店で偶然よく会った。彼が何を手に取ってたかは覚えていない。私はサリンジャーが好きだったので薦めたりもした。自分の好きな本を薦めるということは、相手に自分そのものの理解を施すようなもので、理解を求める者は私に限らず、しきりに誰かに本を薦めていた。私が棚に「ナイン・ストーリーズ」を戻し、その場を離れようとすると、別の場所からやってきた2人の学生の金髪の方が、「ナイン・ストーリーズ」をもう一人に薦めていた。


日本語のクラスでは、20枚のレポート課題が出た。私は放棄したが、沼田は提出していた。
「何について書いた?」と聞いたら、
「自分について」と答えた。
春学期が終わった。私たちは両方単位を落とした。「武士道」の彼はいつの間にか来なくなり、校内で姿を見かけることもなくなっていた。


秋になると、私たちは再び、別の先生が行う「日本語」の講義を取った。だだっぴろい教室で、スクリーンの映像を映すために電気が半分消された。沼田はいつも、電気がついている方の席へ座り、「異邦人」を繰り返し読んでいた。私は消えている方の席でいつも寝ているか、出席しなかった。沼田もよく欠席していた。私よりも多かった。出席不足で落とした講義もいくつかあったらしい。
「来ない日はいつも何をしているの?」
と私は一度聞いたことがあったが、沼田は答えなかった。アルバイトをしているのかという問いには
「やってない」
と答えた。


その後彼は半年休学し、そのまま退学した。私は
「これからどうするつもり?」
とメールで送った。
「わからない、でもあんたみたいなのとは長い付き合いでいたいなあ」
彼がそう言った意味が、うまく飲み込めなかった。