ごちゃごちゃ

のCDを聞いた。
ある種の邦楽的マンネリを感じつつも、好きだなあ。
atTheBlackholeを食事でもとるかのように聞いて
ホワイトルームにそこまで傾倒できず、
それ以降聞いてなくて今回のサンキュー何とか。

cdで色が全然違うけれども、ビリーブ、
ビリーブばかりを繰り返し聞いてる。
詩が曲に溶け込んでいて飲み込むように聞いてる。
暗いなあ。歌の意識しなかった一面を意識した。

歌を聴いても思うことは人それぞれで、
歌い手の主張があったりしても、それが
全然伝わらんかったり捻じ曲がったり。
思いをこめて歌う、メッセージソング、
それは良し。ただし伝わるかどうかは別。
聞く人それぞれいろいろな側面から聞き、
いろいろな受け取り方をするのもアリなんですね。
聞き方を限定しなくてもいい。
曲には世界が広がっていて、その世界をどう感じるか
人それぞれ。

しかしながら、感じられているか、
間違った解釈というか、本当に見えているのか、
ある一定を超えると、そこに共通意識が生まれる。
そこにあるものをどう感じるかは自由だけど、
おいおい、そこにあるのはそれではなくて、
見えるものと見えざるものの隔たりが出てくる。
何がすごいか、あらゆる視点があるにしろ、
そのすごさは多様にしろ、何がすごいかというのは
確かに決まっているらしい。
それが私にはぜんっぜん見えません。