最近

本、映画

もともと本を読むこと自体、そんなに好きではなかったけれど、最近はより億劫になって読んでも頭に入らなくなってきた。文面が、字面が追えなくて、同じ箇所を何度読み返してもそこに書かれている言葉が、情景が把握できない。言葉一つ一つをピースとして当てはめていくことで形になり、文章は情景になっていく。言葉がわからなくてピースが組み上がらないということは、難しい本を読んでいるときによくある。でも最近は言葉一つ一つがわかるのに、それをうまくつなげてまとめてひろげることができない。手のひらからばらばらとこぼれ落ちてしまう。また拾って、はめ込もうとするが、もはやどこに置けばいいのかわからない。

本だとそこで止まってしまうが、映画はそのまま先へ進んでいく。わからないままどんどん先へ、シーンが素通りしていく。だから映画を見ても何も頭に入らず、何も残らないまま過ぎ去っていくため、最近は見ていない。

人も物事も一瞬でのめり込んですっと消えてなくなってしまう。こういうときに自分を抑えるのが大変で、よくないと思っている。人から暖かく接してもらえると、飛びついてしまいそうになる。受け入れてもらえるのではないかという淡い期待を抱いてしまう。そうでないことは明白で、その事実を冷静に受け止め、飲み込み、身体に馴染ませないといけない。ただまあ本当に魅力的な人で、向こうは自分のことなんて知らないから、無邪気に干渉してくる。射程距離が違う。弾数も威力も違う。住む世界が違う。考えないようにしているが、日常生活において比較的接点がある。表面を取り繕い、なるべく遠ざかるように努力している。本当は話したいこと、聞きたいことが山ほどある。でもそれをやりだすとブレーキが効かなくなり、向こうはおびえるだろうし、自分もささいなものを失ったりするだろうから、こういう余裕のない人付き合いはするもんじゃないとつくづく思う。人とうまく接することができるときは、余裕を持って相手と関われるときに限られている。

最近はよく夢を見ている。起きているとき、「そういえばあれはどうなってたんだっけ」と思って夢の記憶をたどっていることが多い。現実においての記憶なのか、夢の中で見た記憶なのか区別がつかなくなっている。体験したこと、人から言われたこと、そこで覚えた感情、そういうものが夢の中で起こったことだったのか、現実の体験だったのか、これらは区別する必要があるのか、曖昧になっている。人が言った言葉だったら、夢の記憶は事実と異なる。夢の中で起こった出来事は、主観的なできごとでしかなく、人が発した言葉ではない。人と話が食い違うことが多いのは、その人が言っていないことを夢の中で見ていたからなのだろう。自分の体験はどうだろうか。昔よく、体が宙に浮く夢を見ていたが、これを実体験として記憶にとどめ、語ることは問題があるだろうか。夢の中の体験でしかないが、その感覚は、記憶は、現実のものと変わりないのに。

勉強

意味のない勉強が続いている。勉強するんだったらある程度まとめて、周期的に、長期的に行わないとストックされていかない。さまざまなことを数分ときどきやったって身につかない。すぐに忘れる。英語をなるべく忘れないようにと思って英語に触れているが、頭を使って記憶したりせずただ触れているだけだからどんどん忘れていっている。使わなくなると2週間で忘れると言われたのは本当だった。

教材を買ったり講座をとったりしようかと考えたこともあったが、本や映画でさえあの調子だから、本腰入れた勉強なんてとてもできない。今何に手を出しても無駄だろう。もっと時間を使って集中して取り組まないと身につかないのに、5時間でできることを小分けにして1ヶ月かけていたりするから、初めの方のことはさっぱり覚えていない。

こういう最近の調子は、いつかどうにかなるのだろうか。