2024.2.3

人に称賛されたい気持ちはないけど、真面目に生きていないことへの後ろめたさはある。人に褒められても、相手に好印象は抱くけど、自分が嬉しいとかはそんなにない。そんなに、というのは、ほどほどに嬉しいけれど、褒められるために頑張ったり、称賛されるためにいいとこを見せようとかはない。

でも人が称賛されている中で、自分が何もしていないことについての後ろめたさはある。例えば、初対面の人が集まる場面で、自己紹介なんかをして、仕事は何やってるとか、これまでの経歴とかで称賛されていたりする。そこでいざ自分の番が回ってきたときに「僕は何もやってないし、取り柄は何もないんですよ」とよく言う。

これはまあ、言うことがないから仕方がない。普段何しているとか、命削ってプライドを賭けて取り組んでいるような仕事は全然ない。その事自体について僕は受け入れている。人生に張り合いがないとか、一生懸命頑張って生きたいとか、何かを成し遂げたいとか人に認められたいとか、そういうふうには全く思っていない。なんとなくテキトウに生きていけたらそれに勝るものはない。

ただ、後ろめたくはある。みんな一生懸命頑張ってる中で、その気がないからって手を抜いているのは申し訳ない気がする。かといって嫌なこと、興味がないことを頑張る気にもなれないから、つい「何を頑張ってるんですか?」などと聞かれようものなら言い澱んでしまう。ごめんよ、僕はこの社会にいるだけで何も頑張ってないしそんな気もまるでないんだ、などと胸を張って言うのはなんか気が引ける。でも実際誰かのために、世の中のために、自分のために尽くしていることは何もない。

写真は2022年、心斎橋。2022年もまだまだみんなマスクをしていた。屋外でも。