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英語の勉強を続けるコツ

今日、烏丸御池を歩いていると、西洋人の中年夫婦が地図を広げていた。烏丸御池の交差点にはたくさんの人がいる。夫婦は誰かに道を尋ねるという雰囲気もなく、熱心に地図を眺めていた。話しかけようという人は誰もいなかった。僕は信号待ちをしながらそんな様子をなんとなく見ていた。

「助けを求める様子もないから、ただ道を確認しているだけだろう」と思っていた。
信号が青に変わり、僕は交差点を渡ろうとした。後ろを振り返ってみると、二人はまだ地図を眺めていた。

僕は渡りかけた交差点を戻り、夫婦の前に立って声をかけてみた。誰でも知っている英語で、たどたどしく。

"May I help you?"

声をかけた事自体に、夫婦に、とくに奥さんの方にとても感謝された。夫婦は「今いる場所はここであっているか?」と地図を指した。そこには四条と書いてあった。ここは烏丸御池だ。しかし、地図の位置関係を見る限りその四条と書かれている場所は烏丸御池だ。僕はわけがわからなくなりとりあえず「どこへ行きたいのか」と聞いた。
「市役所へ行きたい」と返ってきた。京都市の市役所はとても古い建物で、和風ではないけれど、観光客がそれを見に行きたいと言ってもおかしくない。
「市役所なら東に5分ほど歩くか、地下鉄で一駅だ」というようなことを単語と身振りで伝えた。「ありがとう」「どういたしまして」と会話を終え、僕は再び信号待ちをした。

ここで僕は4つの反省点が思い浮かんだ。

  1. 地図が間違っていることを告げるべきだった
     It's not Shijo here, This map is bad ,misprint, this is Karasuma Oike, Shijo is the next station.知っている言葉で何とでも言えたはずだ。
  2. 市役所までのルートぐらい、ちゃんとした文法で話そうと思えば話せただろう
    Go straight about 5minutes, and you can find it on your left sideとか。とっさに出てこなかった。
  3. 相手は旅行者だろうから
    Have a good tripかenjoyぐらい言えばよかった。
  4. すぐ近くなんだから、なんなら案内すればよかった
    その間に今思ったような事も伝えられただろうし、世間話ぐらいできただろう。

これらは会話が終わった後、冷静になって信号待ちをしている時にすぐ思い浮かんだ。あーあの時こうしていれば、もっと上手く伝わったはずなのに。追いかけて伝えるほどのことではなかったから、全部その場で口ずさんでいた。

それでもとりあえず問題は解決して、相手に感謝された。声をかけてよかったと思う。

英語の勉強を続けるコツはすごく単純で、実践することだ。実践には、道に迷っている外国人に話しかけるのがベストだと思う。僕の高校の時の現代文の先生がこれをやっていた。僕が感じたことの中身を具体的に書いていこう。

勉強はめんどくさい

「英語が使えたらいいなあ、世界が広がるなあ」なんて思っていても勉強するのは大変でめんどくさい。それでも踏み切って、Podcastを聞いてみたり英語教材を購入してみたり、英会話スクールに通ってみたりして、始めてみる人は多い。中には、やり始めたら楽しくなり、続けられて身につく人だっているだろう。
その人はそれでいいが、僕はそうではなかった。続かない。それは何故だろう。理由は簡単で、大変でめんどくさくて飽きる。どうすれば身につくまで続けられるだろうか。

何故、勉強がめんどくさいのか

そもそも勉強が大変でめんどくさくて飽きる理由はなんだろう。それは作業しかしていないからだ。勉強は知る、覚える、考える、問題を解くという作業だけをやっている。
人によっては、その作業の過程でコミュニケーションを取ったり、自分でルールを作って面白くしたり、競争したりして作業自体を楽しく続けられる人もいる。
僕はそんなことできた試しがない。作業が面白くなくて飽きてすぐに放り出してしまう。だいたい1日続かない。では、作業を面白くできない人はどうすればいいか。

実践すればいい

僕らは義務教育で最低限の英語を習った。それに加えて少しでも自分で勉強したなら、一度それを使ってみればいい。勉強ばかりしているから飽きるんだ。実践してみよう。
実践してみることで、何故飽きずに勉強が続けられるようになるのか。
使うことによって、自分は何がしたかったのか、どうしたいのか、目的が明確になる。何のために勉強するのか、何故勉強が必要なのか、勉強する意味を、知識としてではなく経験として体で実感する。
同時に、自分の目的を達成するには何が足りないのか、次にどうしたいのか、などの課題が見つかり、それが目標となって次の勉強に対するモチベーションの向上に繋がる。
使ってみること、つまり実践することの大きな意味をもう少し詳しく書いてみよう。

英語は部活動

英語の勉強を、わかりやすく部活動で例えてみる。英語の勉強というのは、部活動においての練習に相当する。英語を実践することは試合に相当する。

もし、部活動の練習ばかりを毎日続けていたら退屈じゃないだろうか?練習の成果を発揮したいと、試合を求めないだろうか。
もし、今後も試合が無いとわかっていたら、仮に競技人口が少なく5年間無いと言われたら、それでも3年間、毎日ただ練習だけを続けることができるだろうか?*1

僕には無理だ。試合がしたい、ゲームがしたいと思うだろう。

より面白いゲームを体感する。そのための練習であり、それを試す場が試合ではないだろうか。仮に練習不足であっても、試合はそれなりに楽しいはずだ。少なくとも3年間ひたすら練習だけを続けるよりは。
試合をすれば練習の大切さもわかるだろうし、反省点も見えてくるだろう。より良いゲームをするために練習にも熱が入る。 

英語も同じだ。英語の勉強が目的ではない。もっと言えば、英語の習得さえ目的ではない。英語が使えなければできないコミュニケーションを取ること、英語が使えなければ知り得ない情報の取得発信をすることが目的なのだ。英語は手段でしかない。

だから、英語の勉強に飽きる前に、一度本番にチャレンジしてみよう。

どんな実践が有効か

これも部活動と同じだが、いくら試合が大切だからといって練習不足の状態でいきなり強敵に挑んだら挫折する。二度と練習なんかしたくないと思うかもしれない。そのあたりの調整が重要になってくる。初っ端から外資の面接を受けたりするのはおすすめしない。
僕が有効だと思ったのは、冒頭に挙げた通り道端で外国人に話しかけることだ。理由はそのハードルの低さにある。

道に迷った外国人に声をかける

これのハードルが低いと思う理由は、ちゃんとした英語じゃなくても感謝されるという点が大きい。向こうからすれば外国にいるんだから、相手の英語がぎこちないとかそんな事は気にしない。問題さえ解決すれば感謝してくれる。もし聞かれた内容を知らなくても、周りの日本人に聞けば大抵の問題は解決する。

こちらからすれば英語でコミュニケーションという目的を達成でき、向こうからすれば問題を解決してくれるのだからお互いの利害も一致する。一件落着だ。
片言でもコミュニケーションがとれたこと、問題を解決したこと、感謝されたことで達成感を得るだろう。これが実践だ。また困った人を見かけたら声をかけようと思う。

しかし、そこに甘んじてはいけない。自分にとって、問題を解決することも相手を喜ばせることも目的ではない。英語のコミュニケーションにおいて、反省点はなかっただろうか?冒頭の僕のように数多くあったはずだ。もっと、円滑に、もっと正確に、もっと感情の伝わるコミュニケーションを取るにはどうすればいいいか。それらを検証し、持ち帰って勉強する。これを、先ほど湧いた「また困った人を見かけたら声をかけよう」という気持ちにつなげる。次の実践ではうまくいくだろうか。それすら楽しみではないだろうか?

そうやって、勉強と実践を繰り返すことにより、勉強を継続することが出来る。勉強をすれば実践したくなり、実践すればまた勉強の必要性を実感する。

練習と実践により多少なりとも力がつけば、より強い相手にも挑むことが出来るようになる。例えば、道を教えるだけに留まらず、飯をおごってあげるとか、友達になるとか。よりエキサイティングなゲームメイクが可能になる。 

話しかけるときの注意点

僕の住んでいる京都は、街を歩いていれば毎日でも道に迷った外国人に遭遇する。ここで、声をかけるべき相手かどうかを判断するポイントがある。

英語が通じる相手かどうか

基本的に外国人旅行者であれば、僕らより英語を理解する人が多い。しかし、ごく稀に僕らよりも英語に疎い人がいる。特に東洋人に多い気がする。香港やシンガポールの人はみんな英語が堪能な印象を持っているけど、見た目では判断出来ない。英語を解さない人に「何かお困りでしょうか」と訪ねたところで、何も解決できないまま終わってしまう。*2

英語が通じようが通じまいが、そんな小さなことを気にせず声をかければいいのだが、何もしてあげられないのはかえって迷惑で、お互いに傷つく。僕には解決する自信が無く、そこで失敗すればモチベーションを失う。

本当に助けを必要としているかどうか

旅行者は、迷うことも旅の一部だったりする。中には自分でたどり着きたい人だっているだろう。地図を広げ、それを楽しんでいるかもしれない。無闇に声をかけるのは野暮だ。
だから僕は、助けて欲しそうにしているか否かで判断する。あまりにも長い時間立ち止まっていたり、キョロキョロしていたりすれば、助けを求めているかもしれない。そんな時は向こうから道を尋ねられるのを待たず、自ら話しかけてみよう。

そんな小さなことを気にせずに話しかければいいのだか、僕はNo thank youと言われたら傷つく。向こうに「見知らぬ外国で変な奴に話しかけられた!」と思われて無視されたり警戒されたらもっと傷つく。それは、明らかにモチベーションの低下に繋がる。そんなこと気にしない人はどんどん話しかければいいと思う。僕のような気が小さい人間は、相手の様子を判断することをお勧めする。お互いのために。

他の手段はどうか

実践すると言っても、何も道を教えるだけが実践ではない。よく言われるのが「英語圏の彼女を作れば早く上達するよ」という手段だ。僕はあまり現実的ではないと思う。
女の人にとっては簡単かもしれないが、男にとって外国人の彼女を作るってことは、ハードルが高すぎる。それ以上に、英語を学ぶために付き合うなんて、相手に対してあまりにも失礼だろう。あれは結果論であって、目的として行うべきではない。

Skypeなどで外国人と話すという手段も、お互いの利害が一致していれば問題ないと思うが、僕は「日本語を教えてくれ」と言われてかなりめんどくさかった事がある。
「英語を教えてくれ」などと相手に要求するのは、普通は金を払ってやることだ。英語を教えてと乞うのであれば、相手に対してそれに匹敵する何かを返さないと、ただのうざい日本人になってしまう。
道を教える以外にハードルが低く、お互いの利害が一致する方法があればそれでもいい。僕は以前に、シェアハウスに外国人旅行者をタダで泊めたりしていた。

頭のいい人はそんなことはしない

実は、そんな勉強と実践の反復など必要ないという人も多くいる。
最初の方に挙げた、作業そのものを楽しむということが出来る人は、勉強だけで十分身につく。これは堀江貴文さんのゼロにも書いてあったし、phaさんが京大に受かった受験勉強や、古賀洋吉さんの英語勉強法にも同様のことが書かれていた。おそらく、京大合格とかレベルが高すぎる事柄については尋常ではない作業量が必要なので、飽きるとか実践してみるとか眠たいことを言ってられないのではないだろうかと想像する。

これができる人はこれでいいと思う。見た感じ、頭のいい人がだいたいこのルートをたどっているようだ。僕は頭も悪いしめんどくさくてすぐ飽きる。できた試しがない。
卑下してもしょうがないけれど、これはある一定レベル以上の人に与えられたルートなんじゃないかと思う。だから僕は今回、もっと庶民的な敷居の低いルートを書いた。

ついでに

読んだ人はわかったと思うけど、これは別に英語じゃなくてもいい。プログラムなどの勉強にも同じことが言える。もっと言えばスポーツや仕事にだって活用できる。受験勉強にはちょっと応用しにくいかもしれないけれど、模試や試験の順位でモチベーションを上げることができる人なら活用できる。

大事なのは身の丈にあった実践を試みること。実践から手応えを掴むこと。同時に、課題を見つけること。それによって、勉強と実践の循環構造を作ることができる。

*1:練習そのものに楽しみを見出している人は出来る。そういう人の中にはむしろ試合が嫌いという人もいる。

*2:ただ、実際には何故か、東洋人が道に困っている様子というのをあまり見かけない。全く言葉が通じない人相手に、何か困っていること助ける自信はさすがに無いので、英語が通じそうな人に話しかけよう。会話を盗み聞きするのも良い。