堀江貴文「ゼロ」感想・書評

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

 

本の紹介。堀江さんは今まで掛け算について語ってきた。頭をフル回転させて毎日動き回って何千億というお金を動かして。
しかし、その基盤となる足し算、ゼロに1を足していった基礎の部分について、今まで語ってこなかった。出所してまたゼロに戻った今、働くことによってこのゼロに1を足していくことを書き記した。

堀江さんの幼少期から、中高生時代、大学生時代を振り返った話、両親の話、離婚した家庭の話、独房に入れられた話、刑務所での話など、どんな状況においても働くことで、ゼロから1、そしてまたゼロに戻って1を足していく話がおさめられている。

刑期を終えて語られていることは、「失敗してもゼロに戻るだけ、マイナスにはならない」ということ。ゼロから1を足していき、またやり直せるということ。

めんどくさいという課題

堀江さんのゼロの中で一つ、圧倒的に違うなと思う所がある。違うからといって、何も偉そうに言うことではないけれど、この圧倒的な違いが、堀江さんの言葉を僕が参考にできない理由となっている。僕だけでなく、多くの人が同類ではないだろうか。
堀江さんは「やりたいことがない」と言う学生に対して、「最初っからできっこないとあきらめている。逆に言うと、できっこないという心のフタさえ外してしまえばやりたいことなんて湯水のようにあふれ出てくる」と書いている。

もしかしたら堀江さんはこんなことを思ったことがないのかもしれない。
僕は出来ないと思っているのではなくて、やりたくないと思っているのだ。その理由はめんどくさいから
新垣結衣の例があったが、新垣結衣と会いたいために誰がテレビの仕事につくだろうか?そりゃあ中にはつく人もいるだろう。そんな人は言われずともやっている。本気で会いたいと思っておきながら、人に言われないとテレビ関係の仕事につくことも思い浮かばないなら相当アホだ。
そして僕はやらない。なぜならめんどくさいから。僕は新垣結衣には興味が無いけれど、たとえ好きだったとしても新垣結衣と会うため如きにそんなめんどくさいことはいちいちやってられない。それは僕だけじゃないだろう。99%の人がそうじゃないだろうか。そして僕だけに限らず人は基本的に、過程を通り越して結果だけを求めている。そんな都合の良いことは無い。無いのは知っている。だから言い換えれば、そんなめんどくさい過程が必要なら結果なんかいらないんだ。

おそらく、堀江さんはこのめんどくさいを容易に乗り越えてきたのだろう。ハマるとか没頭するとか、めんどくさがりの人間にはできない。堀江さんはめんどくさいと思う前に全部対処しきってしまっているのかもしれない。
そして、僕にとってはこのめんどくさいこそが人生の全てなのだ。何よりも先にめんどくさいがついてまわる。どこまで走ってもめんどくさいに追いつかれてしまう。これを解決しない限り人生の幕はずっと降りたまま閉館の時間を迎えるだろう。

以下は、読みながらメモしていた内容。

  • ゼロを読んでいる。初っ端の独房の話から良い
  • 働くことと、それによって人とつながることか。
  • 家庭の話を読むのは辛いなあ。
  • ゼロの中で堀江さんは凡人が恵まれない環境から努力して~みたいになっているけど、小学生の時に公文の仕組みを見抜いて仕組みだけ取り入れて公文はやらなかったんだよね。天才じゃね?
  • でもゼロは、子供に読んでほしいなあ。
  • 好きだから没頭するのではなく、没頭するから好きになるという発想は新しいけど全く腑に落ちない。好きでもなく興味も関心もないことに没頭する意欲はどっから湧いてくるんだ。
  • 与えられたルールではなく、自分で考えた仕組みで動きうまく行けば物事は楽しいっていう発想はわかるけど。
  • 個人的によく思うのは、世の中のほとんどの"できない"は、ただ単に"やりたくない"を言い換えてるだけなんだよな。ただ"やりたくない"って言うと体裁が悪いから出来ないって言うだけで、そんなめんどくさいことはやりたくないんだよ。
  • 出来ないと思っていることをさせるよりも、やりたくないと思っていることをやらせる方が難しいと思う。結局、人は都合のいい結果だけを望んでいて、めんどくさい過程はやりたくないし省きたいのだ。
  • お金の章を読んでいる。自分は人を信用することはあっても、人には全く信用されてないな。それは自分のせいでしかないんだけど
  • 誰でも信用する人には信用してもらえるかもしれない。
  • 特に人としての信用に欠けている。それを築く努力を全くしてこなかったからだろう。逆に人に信用されないように努めてきたと言ってもいい
  • "それでも一人だけ確実にあなたを信用してくれる相手がいる。「自分」だ。"
    かっけー
  • 考えるということは、物事をシンプルにするということ
  • ゼロを読んでいる。死に対する考え方、捉え方が全く違う。僕は幼い頃からずっと死について、死を受け入れることについて、死をどれだけ身近なものと捉えるかについて考えてきた。死という概念との距離をずっと縮めようと考えてきた。    
  • だからポジティブ、ネガティブに対する考え方もこれだけ違うのだろう。
  • 僕らの人生には今しかないというのはすごく共感する。
  • 宇宙の話について、ニュータイプの考え方に似ている。地球の重力から魂を解き放たれたら、人は違う方向に進化するかもしれない。

人となりというのは興味深くて、その人が今に至るには、当然その過去なり、経緯、たどってきた道筋、考えてきたことがある。今その人が面白ければ、どういうルートを辿ってその今があるのか、思考であったり、それに基づいた経験であったり、今につながる因果関係や相関関係が気になる。

他人の人生に学ぶというのは、何も模倣することではない。人と自分は違うのだから、他人を模倣したところで(得るものはあるが)同じ結果は得られない。他人の人生に学ぶということは、他人が考え、行動した場面において、その一例と結果を見ることにより、同じ場面、もしくは自分に起こりうる場面において、自分が何をするのか、自分ならどうするのかという思考の手がかりを探すことにつながる。

これは本もそうだけど、講演や人生相談などにも当てはまる。他人の意見をそのまま取り入れることというのは本当は出来ないし、(やっても意味がないとは言わないけれど)同じ結果を得られることは少ない。同じ結果を得られないから、その方法論が間違っていると判断しがちになる。それは初めから間違っている。自分は、自分で考えたことを、自分に合った方法でやるしかない。他人の所業を知るのはきっかけに過ぎない。