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モテたいから…?

鈴木さん

かなり前の事になるが、会社員だった頃の先輩に鈴木さんという人がいて、彼の頭はチリチリだった。ほとんどの人は彼が天パだと思っていたが、どうやらパーマを当てているということを後に知った。パーマを当てておきながら天パだと思われるというのもすごいが、別の先輩が「なぜパーマを当てているの?」と聞いたところ

「モテたいから」

と返ってきた。事実彼はそんなにモテる方ではなかった。彼なりのモテる努力の一つとしてパーマが挙がったのだろう。こういうモテない人がモテるためにやる努力というのは、どうもズレている。だからパーマをかけたら天パだと思われたりする。

異性から髪型を褒められるのは元からかっこいい人

基本的に、モテる人がパーマをかけて「感じが変わった」と評されることはあっても、モテない人がパーマをかけて、それが奇跡的に似合っているケースを除けば、それを機にモテるということはまずない。つまり、「モテたいから」という願望と、願望を実現させるための行動に乖離がある。「パーマをかける」というのは金さえかければ良い安直な方法で見た目が変わるためわかりやすい行動ではあるが、モテない人が急にモテるような効果は無い。

では、鈴木さんはどうすべきだったのだろうか。まずはひとりごとを治すべきだった。それがある限り、彼の前に立ちはだかる壁はまさに国境の有刺鉄線ごときもので、越えようとした瞬間背後から銃で撃たれるのだ。モテることは成し得ない。いや、まあ面白い人なんだけど。

オギノさん

名古屋で働いてた時に協力会社の社員の方でオギノさんという人がいた。背が低くてメガネでロン毛で小太りだったが、スポーツマンでしかも元々司法浪人かなんかで法律に強かった。彼のしゃべり方はちょっと特徴的だった。説明するのが難しいけれど、少し古畑任三郎みたいなしゃべり方だったのだ。ほぼ初対面の頃、ある先輩が「なんでそんなしゃべり方なんですか?」と聞いたところ

「モテたいから」

と返ってきた。ちなみに髪もモテたくて伸ばしているらしい。「モテたい」という気持ちを恥ずかしげもなく披露することや、「モテたい」という目標に向かってまっすぐに努力することは素晴らしいことだと思う。僕なんて「モテたいなんて思ったことがない」と言ったところで事実モテたことなんて一度もないから負け惜しみにしか聞こえない。それに対し、彼らはモテない人間が面と向かえって「モテたい!」と主張しているのだから、正直であっぱれと評価されることもあるだろう。わからないけれど。

ただ、やり方がおかしい。彼らに共通しているのは、モテる努力をする前に(それ自体も間違っているのだが)気持ち悪さを取り除く必要がある。それが鈴木さんについてはひとりごとであったり、オギノさんについては他社の人なのであまり知らないけれど、どことなくそういう同じ雰囲気があった。何か原因があるはずだ。例えは悪いが、デブが着飾ったところで所詮着飾ったデブになるだけで痩せた人間にはかなわないのだ。デブは着飾るよりも何よりも先に、痩せることを念頭に置いていただきたい。

まず、スタート地点へ

モテるモテないっていうのは、そりゃあ見た目が大きいけれど見た目というのはすごいデブが半分以下に痩せるか大掛かりな整形でもしない限り多少髪型を変えたぐらいではどうにもならない。じゃあ見た目でモテない人が何故モテるのかというと、中身、性格だったりする。だから、見た目でモテない人が見た目を頑張るというのは無駄な抵抗にしかならず、まずは人間としての、男としての中身を磨き直す必要がある。

そしてそれ以前に、一番大事なのが、モテるモテない以前に「嫌われる要素」「気持ち悪がられる要素」を治すことだろう。そこでやっとスタート地点に立てるというのに、彼らはあろうことかパーマを当てたりしゃべり方を変えたりしている。中身を変えるというのは難しいことなのでパーマをかけるみたいな安易は方法に走りがちだが、それらは効果はなく、「モテる努力をした」という満足感と嫌われる要素だけが残る。

かっこつけること自体がかっこ悪いということ

僕の育った文化圏では、「格好つける」「いちびる」「調子に乗っている」という状態が非常に格好悪い、不粋な、センスのない、野蛮な、恥知らずなこととして忌避されていた。この、本人の願望と現実とのギャップというのが実に滑稽なのだ。もし本人が自らの分をわきまえていればそんなことはないんだが、「格好つける」「いちびる」「調子に乗っている」人たちにはそのギャップが見えていない。だからパーマをかけて「モテたいから」と答えたりする。もちろん彼はパーマをかけたことでモテたりはしていない。だから彼は笑われるだけだ。それに気づいていない。その昔、狩野英孝がイケメンどうのっていうギャグで流行ったけれど、彼が本当に格好良ければアレは成り立たなかった。ブサイクだから滑稽で面白いのだ。

「モテたい」は行動原理になるのか

そもそも「モテたいから」何かをしたことはあるだろうか?僕はそんなこと一度もないが、結構な人が無いんじゃないかと思う。むしろ「モテないこと」によって悩んだことがあるだろうか?普通は無いんじゃないだろうか?それは何も「モテるから悩まない」のではなく、そんな「モテないこと」ぐらいでいちいち悩んだりしないという意味だ。「モテないこと」に悩むことがなければ「モテるため」に何かを試みたこともない。

例えば服装とか趣味とか、「モテたいからやる」という出発点が理解できない。彼らの試みが成功することはないが、仮に「モテた」として、何がしたいんだ?いろんな人とセックスがしたいのか?モテたいってそういうこと?それともあまりに愛情不足で育ったせいで、人に愛されることを欲してやまないとか?どうして彼らはそういう動機を持ち合わせ、間違った手段に手を染め、見事に失敗して最後まで気づかないのだろう。

実際に「モテる」には

では、とりあえずモテるためにはどうすればいいか。「優しく、明るく、元気よく、軽く、自然に、公平で」このへんで充分にモテるんじゃないだろうか。肝腎なのは相手が男だとかブスだとか犬だとか関係なく「誰に対しても公平に」という点と、何か気づいて行動しようとする時に「気負わず軽く即決する」点かなあ。そのあたりができれば不細工でもモテると思うんだけどなあ。個人的にそんな人には虫唾が走るし、そんな人を好きな人にも興味はわかないけれど。