民族融和について考える

旅行の準備の一環として、戦争の体験談を語るわを再び読んだ。泣きながら読んだ。これはボスニア内戦の当時、8歳だった日本人の少年が戦争を体験するという話だ。1995年、僕はNATOによるユーゴ空爆をテレビのニュースで見ていた。自分が生きている時代にどこかで戦争が起きているということは、今となっては珍しくもない。しかしこの文章というのは妙に自分に突き刺さった。これはフィクション(別の人の体験談を日本人として書き換えたもの)だということが後に明かされた。元々文中で「すべてを信じないで欲しい、自分で関心を持って調べてくれたら嬉しい」と書かれている。ネットの文章において真偽が重要になってくるのは、主に情報としての価値が左右されるからであり、この話にも嘘が混じっていたことで情報としての価値は多少損なわれたかもしれない。しかし文章の価値は損なわれただろうか。Twitterなどで、存在もしない嘘をいい話と評して広めたり、別の誰かを貶めるようなデマが拡散されることとはわけが違う。この話は何も、作られた感動ストーリーではない。フィクションを混じえた話を読むことで考えることに意味を持たせる。どこまでが本当なのだろう、実際どういうことがあったのだろう、関心を持たせることに意義がある。読んだ人が大して何も感じず、そのまま素通りしてしまえばそんな意味も意義も無いただのデマと捉えられるかもしれない。でも読んで何も感じないのであれば、そもそもフィクションが入っていようがなかろうが同じことだ。

 

今はBBC製作のThe death of Yugoslaviaを見ている。全部で5時間ぐらいある。現地語と英語の字幕、英語のナレーションで難しく、よくわからないけれど映像は見ることができる。このドキュメンタリーの中に嘘、デマ、フィクションは含まれていないだろうか。無いかもしれないけれどイギリス製作のため反セルビアの偏向はあるかもしれないと言われている。どちらにしても僕には判断がつかない。

他にもユーゴスラヴィアの映画を見たり、本を読んだりしてきたものの、どうも戦争の体験談を語るわほど身に詰まる思いというのは感じなかった。内容の是非というよりは日本語で書かれた文章の汲みとりやすさからだろう。 

ここでやっと本題に入る。民族融和について。これはもうご承知の通りバルカン半島に住むセルビア人、クロアチア人、ムスリムだけの問題ではない。シャンタラムという本を読んだ時にもパレスチナ人とユダヤ人の確執が書かれていた。ヨーロッパ、中東だけでなくアフリカでもアジアでもアメリカにも、それぞれ多少形は違えど存在する。民族融和、民族だけではない。人種、宗教、国家間のわだかまり。日本人だって他人事ではない。従軍慰安婦のことで騒いでいるのはある意味で非常によく似た問題だと思う。

凄惨な歴史といまだに残る禍根、お互いが恐怖に怯え、武装する。自分たちがそうならないために相手を陥れる。その応酬、積み重なる憎悪と恐怖。勢力争い、土地の奪い合い。旅行人のコソボの特集を読んだ時、コソボは100年単位でセルビア人とアルバニア系ムスリムが交互に奪い合っていると書かれていた。現地人のインタビューで「あそこは自分たちの土地であり何年かかろうとも奪還する、我々はそういう歴史を歩んできた、これからも変わることはない」というような内容があったと思う。今雑誌が手元になく参考にできないから食い違いはあるかもしれない。詳しくは現物を読んでもらった方がいい。

旅行人161号旧ユーゴを歩く〜クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビア、モンテネグロ、コソヴォ

旅行人161号旧ユーゴを歩く〜クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビア、モンテネグロ、コソヴォ

  • 作者: 蔵前仁一,渡邉義孝,森優子,杉江真理子,石井光太,小島剛一,井生明,田中真知,旅行人編集部
  • 出版社/メーカー: 旅行人
  • 発売日: 2009/12/01
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どちらにしろそういった心情というのは、今のところ僕らの理解の範疇を超えている。少なくとも僕は代々守ってきた土地を外国人に力ずくで奪われた経験などない。日本だと沖縄がそうだった。北方領土や樺太もそうだが、国民全体としての意識は薄い。例えば日本が中国に併合され、中国の一部、日本自治州となり、街中に中国人、中国語、中国の文化が跋扈し、故郷の土が踏みにじられ、景色が変わり日本人は蔑まされ、アイデンティティも日本語さえも失われてしまったら「日本を取り戻す」という人が出てきてもおかしくない気がする。そうなった時もまだコソボ人が言っていることは理解できないだろうか。

トロントにいてよく韓国人と話す機会があった。彼らは日本の右傾化を本気で心配している。全員ではないけれど、そういう話は何度も聞いた。僕は日本人だから、仮に憲法が改正され自衛隊が日本軍という名前に戻り、核兵器を配備したとしても、韓国を取りに行くことなんて有り得ないと思っている。日本からすればそんなことをしても不利益しかないことは分かり切っている。そもそも日本は韓国と違って徴兵制がない。徴兵制だけに関してはどんなことがあろうとも、日本国民が賛成するとは思えない。現代の日本という国は、志願兵は別として、自分は絶対に行きたくない人の集まりだから。でもそういった日本人の僕の「有り得ない」という感覚は彼らには伝わらない。韓国はそんなに古くない過去、日本に併合されていた。それが歴史上どういう事実に基づき、どういう形で行われたかは別として、反日教育の成果も加わり彼らの頭の中にはそういった恐怖が渦巻いている。

ただ、幸いな事に韓国が欲しいなんて思っている日本人は本当にいない(と思う)。だから彼らの併合に対する恐怖というのは杞憂で終わるだろう。しかし中国の動きは違う。沖縄、尖閣諸島、台湾、フィリピン、ベトナム、各地を本気で取ろうとしている。彼らからすれば取るという意識もない。元々中国のものであったというのが彼らの主張だ。あれ、どこかで見たぞ。さっきのコソボだ。13世紀までセルビア王国の一部だったコソボはバルカン半島もろともオスマン帝国に征服され、それが500年続いた。その間に多くのムスリムが入植し、民族意識を高めた。1913年、コソボは再びセルビアの一部になり、そこから100年近く経った2008年にセルビアから独立した。

シオニストたちは2000年の時を経て祖国を奪還したつもりでいる。そこには多くのアラブ人、パレスチナ人がいて、彼らを追い出し、容赦なく殺戮した。パレスチナ人はゲリラで対抗し、パレスチナという国が戻るまでになった。争い、争い、どちらがどちらを、どのように否定できるだろう?やり方が悪い?そんな昔のことを掘り返すのはよくない?では日本列島でそれを否定されたら「じゃあしょうがない」って諦めるだろうか。

難しすぎるぞ民族融和。戦争はいけない、争いはよくない、それだけで話は終わらない。別にこんな日本がどうなったっていいという人も多くいるだろう。アイデンティティなんか別にない、アメリカやカナダ、ヨーロッパに逃げればいいだけ。じゃあ日本人はどうだろう?同胞意識が薄いとは言えど、中国(中国に恨みはないが現実的に想定できる国として挙げている)が日本列島と、そして日本人を蹂躙することに心は傷まないだろうか。恐怖は覚えないだろうか。やられる前に、もしくはやられたらやり返せ、と感じないだろうか。日本人、もっと言えば親兄弟、妻、夫、息子、娘たちが「日本人は浄化しなければならない」という名目を元にいたぶられ、殺され、レイプされ、虐殺されるとしても「海外に逃げれば平気」などと言ってられるだろうか。それが恐怖であり憎悪だ。今から20数年前という僕らが既に生まれていた時代に、ボスニア・ヘルツェゴビナやクロアチアといったヨーロッパの国々でそれらが現実にあった。国連が関与し、アメリカが空爆したのはずっと後だ。何もかもが間に合っていない。だいたいいつもそうだ。地獄絵図になってからでないと彼らは関与できない。陸続きのヨーロッパではまだ逃げることができた人もいただろう。海に囲まれた日本はどうする?飛行機や船なんて全部撃ち落とされるかもしれない。強姦収容所に捕まるなんて想像できるだろうか。自分の姉や妹や、彼女や母、娘がそこに収容されるなんて。ボスニア・ヘルツェゴビナにはあった。そこでは民族浄化の名のもとに敵国の女性を敢えて孕ませ、堕胎できないぐらい大きく育った時点で解放されていた。レイプした兵士の子を産んだ女性は殺すも育てるも自信がないと言っていた。そのあたりはNHKのドキュメンタリー番組、映像の世紀第10集「民族の悲劇、果てしなく」又は映画「サラエボの花」でも垣間見ることができる。それでもあなたは武器を取らないか、武器を取る人を否定できるか。そして攻めてくる中国人が「南京大虐殺の恨み」などと歴史を根拠に自らを全面的に肯定しながら日本で虐殺を行うことは、本当に有り得ないだろうか。彼らは南京大虐殺の記念館まで作っている。

NHKスペシャル 映像の世紀 第10集 民族の悲劇 果てしなく [DVD]

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サラエボの花 [DVD]

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そこまで行ってしまうともう後戻りはできない。平和平和と念仏のように唱えたところで同じことだ。攻めてくる人は何をやっても、どんなに妥協してもその意志があるかぎり攻めてくる。彼らと戦えとは言わない。始まってしまえば終ったも同然だ。戦闘が始まる前に平和を勝ち取らなければいけない。どうすればいいんだろう。発信するしかない。訴えるしかない。それは日本国内で、日本人同士でやっても無意味だ。相手に訴えなければ意味が無い。周りの国に発信する必要がある。他の国にわかってもらう必要がある。助けてくれそうな国からは手を借りないといけない。根回しがいる。国内でいくら憲法9条を維持しても侵略を受けてしまえば無価値だ。相手の言葉が分かる人は相手の言葉で、英語が分かる人は英語を媒介にしてより多くの人に。戦争を回避したいと、お互いの恨みが増すだけだと、何もいい結果は生まないと。「それは持っている立場だから言えるんだ。我々は奪われたものを取り返すだけだ」そう言われたらなんて言い返せばいい。時代錯誤だ?経済で頑張れ?通じないだろうな。どうしよう。平和を願うっていうことはそういうことだと思う。ひたすら考え、平和的に行動するしかない。

ああ、ほんと戦争こえーよ。何も起こらなければいいのに。

(※グロ注意)