前回の続き
地下鉄のホームへ降りるエスカレーターをおばさんが塞いでおり、僕は一本乗り過ごしてしまった。次の電車が来るまで待っていたけれど切符の20分は刻々と減っていっており、時間内にたどりつけるかどうか不安だった。次の電車は3分後ぐらいに来た。僕はその3分がすごく長く感じた。そして電車の中で次の駅、次の駅へと着く間もずっと時間の事が気になり、この計算だと20分以内にはたどりつけるだろうと思いつつも不安は消えなかった。目的の駅にたどりついた時にまだ5分以上残っていたため、急いで改札を通り過ぎる必要もないと安心しながら電車から降りた。改札は電車を降りてすぐの場所にあり、日本の地下鉄のような出口近くではなかったため時間ギリギリだったとしても急ぐ必要はなかった。改札を出ようと切符を入れたら、入らなかった。他の人はどんどん開いているゲートを通り過ぎていた。なんだ、降りる時改札を通す必要はなかったんだ。
カウチサーファー、ホストの家へ
そこからiPhoneに保存したGoogleマップを頼りに、宿泊先の家を目指して歩いた。駅から真西にある建物だけどまっすぐ続くルートがなく、南から迂回しないといけないみたいで僕はバックパックを担いでその遠回りな道を歩いた。通りの名前を確認しながら歩いていたつもりだったが、どこかで道を間違えたようで一向にその建物にたどりつけない。歩く道歩く道の名前を確認していると、どうやら南に行き過ぎて大きく迂回してしまったみたいだ。駅のすぐ近くだったはずなのに、結局30分ぐらいその周りをさまよっていた。目的の建物は日本で言うマンション、アパートのような集合住宅だった。事前に聞いていた部屋番号のインターフォンを外から鳴らす。僕は自分の名前を言うと、そこから流暢な日本語が返ってきた。
「エレベーターがちょっと複雑なんで下まで降ります」
そう言われて建物の中へとつながるオートロックが開いた。僕は中に入り、エレベーターらしきドアの前で、彼女が降りてくるのを待っていた。前回にも書いたけれど、僕はカウチサーフィンで日本に関心がある人を探していた。まず第一に、日本語が話せる人がいれば一番楽だと思い言語の欄に日本語を入れて探した時に彼女が出てきた。ポーランドで日本語を学んだりしているのは何故か女性ばかりだった。彼女は日本に住んでいたこともあったようで、意思疎通は簡単だろうと思っていた。エレベーターが開くと、白に近い金髪のショートカットの女性が出てきた。僕らはそこで挨拶をした。日本語で。
「初めまして、カズといいます。よろしくお願いします。なんて呼べばいいですか?」
「アシャでいいですよ。ニックネームみたいなものです。この建物の場所わかった?聞いていた時間よりずっと遅かったから」
「道に迷ってしまって」
8時には自宅に戻ると聞いていたから9時までには向かうというメッセージを送っていたけれど、僕が着いたのは10時を過ぎていた。
「このエレベーター、ドアを手動で閉めないといけないから初めての人は使い方がわからなくて」
僕らはエレベーターに乗り込んだ。それは内側のドアと外側のドアが手動ロックになっており、ロックしないと動かないと言う。床もたわんでおり、階数を決めるボタンなども全てがとても古い型のように見えた。エレベーターが目的の階に着くとまた手動でドアを開け、「こっち」と案内されるがままについていった。部屋の前にはロードバイクが置かれていた。彼女がドアを開けると、中から子犬がはしゃいで出てきた。僕は部屋の中に入り、彼女は犬を中に入れた。部屋にはところどころに写真が飾ってあり、家の中にもロードバイクが2台置かれている。そして彼氏の人が迎えてくれた。僕らは互いに挨拶をした。彼はヤレクといい、同じく金髪で痩せたかっこいい男性だった。僕は今日寝るソファを案内され、バックパックはどこに置けばいいか尋ねると
「イスの上の方がいいね、この子が噛むから」
「名前は何ていうの?」
「リリ」
僕はイスの上にバックパックを置かせてもらった。また「ヤレクが日本語を話さないから英語でも大丈夫?」と聞かれ、そこから僕は片言の英語で話すようにした。
「それにしても、日本語すごいね」
「一応翻訳の仕事をやっているから。文章も敬語も大丈夫」
ヤレクとの会話
僕は彼女たちに対して何もおみやげのようなものを持っていなかったため、ビールを買いに行こうと思った。
「ビールは飲む?買いに行こうと思うだけど、近くに売っているかな?」
「飲むよ。ヤレクついていってあげたら?」
「大丈夫、道さえ教えてくれたら一人で行くから。でもエレベーターの動かし方だけ教えてね」
僕とヤレクは窓に近づきコンビニまでの道を教えてもらった。
「そうだね、あの道をまっすぐ下って、左に折れたところにすぐ見つけられると思う」
「ついていってあげてよ」
「疲れているんだ」
「いいよ、大丈夫一人で行くから」
彼女らは何やらポーランド語で話し始め、結局ヤレクがついてきてくれることになったみたいだ。
「一人で行けたのに」
「いいんだよ、気にしないでくれ」
僕らはエレベーターに乗り、建物を出るとコンビニへ向かった。
「それで、カズはどうしてポーランドに来たの?」
僕はその率直な質問に対して、正直なところなんて答えていいかわからなかった。ポーランド語を話すわけでもなく、ポーランドについてそれほど詳しいわけでもない。
「そうだね、まずはアウシュビッツに行ったんだ。あと僕は歴史とかが好きだから、一度ポーランドを見てみたくて」
それは半分本当で半分嘘だった。アウシュビッツもワルシャワも僕にとってはついでであり、ただそれが分かりやすいだろうと思って答えたに過ぎない。
「日本では何しているの?」
「僕はポーランドに来る前カナダにいたんだ。1年とちょっと」
「なんでまた?」
「うーん、そうだね。ちょっと複雑で説明が難しいだ。僕は日本で6年と少し働いていたけれど、それが大変で辞めて、やることがないからカナダへ行って、」
「なんでカナダへ?」
「ビザを取るのが簡単だったんだよ。あとカナダの英語は国際的にも使いやすいって聞いたから、ちょっとだけ英語を勉強したりね。それでカナダが終わると旅行をしようと思って今ここにいるんだ」
「そうかい、それはいいね」
コンビニはすぐ近くにあり、話しているうちにたどりついた。
「どのビールにする?」
ポーランドにはたくさんの種類のビールが売られている。ヨーロッパにはビールがたくさんあり、国中のビールに加えポーランド独自のものも多く、またビールのフレーバーなんかも種類が豊富だった。
「僕はどれがどんなのかよく知らないから、これでいいよ」
僕が手に取ったのはおそらくポーランドで一番メジャーなビールであり、既に何度も飲んでいた。
photo by Henk-Jan van der Klis
「うーんTYSKIEでいいの?」
「え、これダメなの?これしか知らないんだけど」
「そうだね、もっとうまいのがあるから比較してみようか」
そう言ってヤレクは他に2つビールを選び、カゴに入れた。僕らはコンビニを出ると部屋へ向かった。
「それで、この先はどうするんだ?」
「そうだね、ポーランドの次はサラエボへ行くよ」
「サラエボ?」
「そう、それからモスタルへ行ってドゥブロヴニクへ行って、モロッコに行った後スウェーデンからタイに乗り継ぎ、オーストラリアに向かってそこでまた1年過ごそうと思っている」
「働くのかい?」
「多分ね。お金がないから」
「その後は?」
「さあ、多分日本に戻るんじゃないかな?まだ考えていない」
「面白いね、人生を楽しんでいる」
外国人の反応
ポーリッシュに限らず、外国人、特にカナディアンやヨーロピアンといった欧米人はみな肯定するのがうまいと思う。内心どう思っているのかはわからないけれど、僕の予定とか旅行の話などをして否定的なことを言ったり不安な話をされたことがない。おそらく僕自身が一番否定的に考えているからわかっているんだけど、それにしても全身全霊で肯定してくれる。日本人やアジア人にもそういった人はいるが、おそらく半分ぐらいだろう。本人を目の前にして全面的に否定する人というのは少ないけれど、ある程度どう思っているかは表情や仕草、トーンで誰でも分かる。「君の人生だから」などと言う人は100%肯定していない。けれど僕自身が否定的だからその気持もわからないではない。僕には他に手段がなかっただけで、今どうしてもこれがやりたくてやっているわけではないのだから。
ペットとビール
僕らが部屋に戻るとリリがまた走り回っていた。まだ生まれて数ヶ月らしく、捨て犬を拾ったということだった。僕は犬、というか動物自体がそれほど好きではないけれど、じゃれてくる犬を前にして悪い気はしなかった。
「知ってる?ポーランド人はみんな犬か猫か、動物を飼っているんだよ。大体9割ぐらい。だからみんな扱いに慣れている」
「すごいね。僕は今まで動物を飼ったことなんて一度もないよ」
「もし苦手だったら言ってね。この子はまだ赤子で暴れまわるから」
「全然大丈夫、でも爪が長いみたいだからジーンズに穿き替えた方が良さそうだね」
どうでもいいけれどジーンズって言い方は古いらしい。でもデニムって言うと生地じゃないのか?デニムパンツとか言うのだろうか。
その後僕らは、アシャが用意してくれたイチゴを食べながらビールの飲み比べをした。「こっちではフルーツを日常的に食べる」と言われた。日本ではどうだったかなと思い出しながらも、僕個人はほとんど食べなかった。「男性はあまりフルーツを買ったりしないかもしれない」と答えたけれど、その答えが正しかったかどうかはわからない。僕が個人的にあまり食べないだけかもしれない。ヤレクが選んでくれたビールは確かに味わい深かった。それはウイスキーやワインを飲むときに味にこだわるようなものであり、僕ら日本人はビールに関してあまりそういう習慣がないため馴染みがなく、どちらかというとキンキンに冷えてスッキリした味の普通のビールを大量に消費するというあまり品のない飲み方しか知らないからなんとも言えなかった。うまいのは確か、でも僕らのビールの飲み方はこれじゃない感が強かった。
カメラと収入の話
また、部屋のいたるところに写真が飾ってあったため、僕はそれを見せてもらっていた。特にヤレクがフイルムカメラで日常的に撮るらしく、それでお金を稼いだりもしているそうだ。フォトグラファー志望だけど、病院で働いていると言っていた。僕もカナダでプリントした写真が何枚かあったため、良かったら見てと言って見せていた。
「カメラも持ってきているよ」
「なんのカメラ?」
「なんていうか、これはただの自己満足なんだけど、君は嫌いかもしれない」
自己満足を英語でなんて言えばいいのかわからず、アシャに頼んでヤレクに通訳してもらった。僕はヤレクにカメラを渡した。
「Leicaじゃないか」
ヤレクは夢中になって操作しだした。
「Leica好きなの彼。多分ずっとこのまま触っているよ?」
ヤレクはピントを合わせたり試し撮りしている。
「いくらだったの?」
「中古だから、本体が25万円でレンズが17万円」
「僕らじゃ買えないよ、高過ぎて」
「僕にとっても十分高いよ。買うのに1年悩んだし、壊れたり失くしたりしたら死んでしまうね」
「それでも基準が違うよ。ポーランド人の平均月収は7万円だよ」
ポーランドの物価の安さは収入の低さに連動していた。彼らの暮らしは十分豊かに見えるけれど、それは国内製品を消費している時に限るのだろう。ヤレクは僕のカメラをずっといじっていた。そのうちバッテリーが切れ、僕はカメラを受け取りリュックに仕舞った。ビールは500mlを2本、3人で味の比較をし合った。また、僕が仕事を辞めた理由や、アシャが日本で半年間働いていたために知っている「日本で働くこと」などについて話し合っていた。彼女はやはり給料が安くてもポーランドで働くほうがましだといっていた。そのうち時間は夜1時頃になった。二人とも明日朝早くから仕事があり、僕も朝9時の飛行機に乗るため寝ようということになった。
一晩を過ごし、空港へ
「シャワーやトイレは自由に使ってね。使い終わった後にドアだけ開けておいて。リリが使う時のために開けっ放しにしておかないといけなくて」
「わかった。いろいろ親切にありがとう」
「じゃあ、おやすみ」
彼らのソファはソファベッドになるタイプで僕には大きく、寝心地がよくてすぐに寝てしまった。
次の日、朝は6時に起きた。ベッドの形にしたソファを元に戻していると、ヤレクが起きていた。
「おはよう」
「おはよう、もう出るのかい?」
僕は荷物をまとめていた。
「最後に一つだけ聞きたいんだけど」
「なんだい?」
「ヤレクはポーランドについてどう思っている?」
「ポーランドについて?そうだね、そりゃあ自分の国だから好きだよ。ただし良い面も悪い面もあるかな。ポーランドの自然も好きだし、文化も好きだよ。でも人々はあまり良くないかな」
「ええ、僕は人こそポーランドのもっともいいところだと思っていたよ」
「ある意味ではね。ポーランド人というのは、とてもリベラルなんだ。自由であり、オープンである事を愛している。自由のために戦ってきて、そして敗れてきた歴史もある。それ故に、例えば一部の人達はユダヤ人を嫌っているんだ。ユダヤ人というのはどこでも自分たちだけのコミュニティを形成して、そこで頑なにユダヤ人としての殻に篭もろうとする。他の社会と関わろうとしないんだよ。それを好ましく思わない人は多いんだ。そういうのはすごく保守的だと言ってね」
他にも何かいろいろ言ってくれていたけれど、僕には難しくて少し聞き取れなかった。歴史的な背景もあるとかなんとか、僕は個人的にユダヤ人をもっとも受け入れているのがポーランドだと思っていたから、この答えは意外だった。本当にどこでも嫌われているなあユダヤ人。それというのは、世界中のどこでもチャイナタウンを作って固まり、中国語しか話さず中国の文化意外を寄せ付けない中華移民に似ているなと思った。
「ヤレクはまだ行かなくていいの?」
「僕は君を送るために起きてきただけだよ」
僕はバックパックを担いで、彼らの家を出ようとした。
「忘れ物はないかい?カメラはちゃんとしまった?」
「ありがとう、それは問題ないよ」
彼は相当カメラが気に入ったらしい。僕は彼らの部屋を出てエレベーターを手動で操作し、近くの駅からトラムに乗った。トラムには券売機が無く、運転手から直接買うことができた。トラムの終点で降りると空港行きの電車に乗り換えた。このルートは昨日アシャが調べてくれた、家からもっとも早く空港に着くルートだった。ワルシャワの電車は日本のものよりもきれいだった。
空港には余裕を持って着くことができた。チェックインまでの時間をサンドウィッチを食べながら待ち、チェックインをしてから搭乗ゲートの前でもひたすら飛行機に乗るのを待っていた。ワルシャワの空港でもクラクフ同様Wi-Fiが使い放題だった。次は全く新しい国、ボスニア・ヘルツェゴビナだ。ゲートの前で同じく飛行機を待っている人達も、今までとは全然違う。バルカン半島を前に、僕は不安と期待と、同時に落ち着いた気持ちを持ち合わせていた。
次回、11日目サラエボを歩く
今週のお題「海外旅行」