彼女を救うために書き続ける村上春樹

ここには村上春樹の小説をいくつか読んだ中で、全体を通して感じた一つの筋道のようなものを書き残したいと思う。だからこの文章も、村上春樹作品を僕と同じか、もしくはそれ以上に読んだ人を対象としている。

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先日、ねじまき鳥クロニクルを読み終えた。ねじまき鳥クロニクルは今まで読んだ村上春樹作品と少し違った。そこには完全な形ではないにしろ、救いがあった。ノルウェイの森では直子を失い、ミドリに電話をかけるシーンで終わる。国境の南、太陽の西では島本さんを導けなかった後悔と、残された現実に向き合う形で終わる。世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドでは世界の崩壊を選択する。それは失敗と挫折、喪失の物語だった。それら全てが。しかしねじまき鳥クロニクルは違った。

ねじまき鳥クロニクルの主人公トオルは、途中までいつも通り村上春樹作品の主人公だった。しかし途中からは違った。そこから最後まで違った。ねじまき鳥クロニクルに見られたのは、今までにない怒り、暴力、そして立ち向かい続ける姿勢だった。そこに村上春樹小説特有のニヒルな主人公はいなかった。無自覚と無関心から来る失敗はするものの、それに対する諦めを繰り返してきた彼ではなかった。そして最終的に彼は、クミコを救った。救ったものの、完全な形で救うことはできなかった。クミコは元凶であった兄、綿谷ノボルに手をかけ、刑に服することになった。村上春樹作品の完成はここに終わらなかった。おそらくこれは、不完全な形での救いだ。

そこで僕が想像するのは、作家である村上春樹が完全な形で一人の女性を救う物語を書き続けている姿だ。救いに至るまで何度も何度も、あらゆる手段を駆使し、様々な方向から、なんとかして彼女を救う物語を何作品も書き続けている姿だ。僕が今回読んだねじまき鳥クロニクルは20年前に書かれた、彼の作品としては古い方の小説だけど、かなり完成に近づいた物語だったのではないだろうか。彼女を救うところまでは至った。あと少し。あと少し完全な形に手が届かなかったというだけ。

この彼女とは、やはり村上春樹にとって一人の女性なのではないかと思う。彼の人生において救えなかった彼女。彼は彼女をなんとかして物語の上で救おうとしているのではないだろうか。生涯をかけて、救いの物語を模索しているのではないだろうか。あれでもないこれでもないと、いろいろな道を辿り、手を変え品を変え、多くのものを失い、傷つけながらも一心不乱に、机に向かいながら、彼女を救う道を探し続けている。そんな作家、村上春樹の姿が、僕には作品に映って見える。

彼がいつか、完全な形で救いの物語を書き終えることができ、それを読める日が来ることを僕は待ち望んでいる。

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

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ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)

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ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

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