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英語で映画を見る感覚

トロントにいたとき、よく英語のまま映画を見ていた。日本語の吹き替えや字幕なんてないから、英語のまま見るしかなかった。案の定、見ていても全然わからない。何言っているのか全然わからずシーンの切り替えが早く謎の展開で役者が突然笑い出したり泣き出したりする。言葉をなんとか聞き取ろうとするが、知らない単語が飛び交っていて結局わからない。スローテンポな映画や台詞の少ない映画、英語圏の人じゃない人が話す英語はまだ多少聴き取れるけれど、英語ネイティブの映画で展開が速く台詞が多い映画となるとほとんど何言ってるかわからない。考えている間にも場面はどんどん切り替わるから追いかけていかなければならない。

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よく、英語の勉強するには英語字幕と一緒に映画を見ればいいと言われるが、あれをやってしまうと終始字幕を読むことになってしまい、台詞も耳に入らなければ映像も見ていられない。結局字幕は取っ払って、音と映像に集中した。わからない。わからないなりに何が起こっているのか想像しながら。その想像は全然外れていることが多い。日本語字幕版なんかを見返したときに気づかされる。「あ、なんだ。これ思っていた話と全然違った」その気付きが面白いと感じることもある。

似たような感覚を以前にも味わっていた。英語だけで見たときには全然理解できずなんとなく見ていたことが、字幕をつけることによって「そういう話だったのか」と思えた感覚。それに似た感覚というのは、子供の頃に見た映画を大人になってから見直したときの感覚だった。子供の頃は語彙も少なく知識もなかったため、映画の内容を理解していなかった。当時の世相や歴史的背景や言葉の意味を知らないまま、ただ映像と音だけを見ていた。それを大人になってから見返したときに「こんな話だったのか」と思うことがよくあった。「こんな話だったのか」には良い部分もあり悪い部分もある。記憶の中で面白かった映画がろくでもないストーリーだったこと知ることもあれば、場面や台詞の細部まで理解できるようになり過去に親しんでいた映画をより深く楽しめるようになることもある。

子供大人のギャップに関わらず、今わからない映画でもその背景に精通することで多くのことが見えてくるようになり、次見たときにより多くの感想を抱くことができる。いい作品であれば知れば知るほど深みを増すだろうし、駄作であれば知れば知るほど評価が落ちていくかもしれない。逆に、多くの知識を得てしまったことで失うこともある。何も知らない状態から初めて見る感覚は永久に失われてしまう。子供の頃の感性なんていうのはまさにそれであり、知識を得ると同時に失うものも大きい。

興味がなかったり面白く感じなければ見なくてもいいが「わからないから」という理由で躊躇うことなかれ。わからないからこそ見えてくるものだってある。いつかわかる日が来るかもしれない。その日に向けて、難しい物事にもどんどん挑戦していこう。振り返ってみれば、わからなかったからこそ見えていたものと、わかることで見えてくるようになったものを両方知る自分がいる。あの日は確かに、ただの背伸びだったかもしれない。その背伸びが今は、何にも代えがたい。これからも背伸びしていけばいいんだ。いつかそれが宝ものになる。そういうわけで私は今からロスト・イン・トランスレーションという映画を見ます。

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