魅力を伝える

何ヶ月か前に岡田斗司夫が言ってた、リスペクターになりたい。リスペクターとは自分の好きなものを「推す(おすすめする)」人だ。ちまちました粗探しをする批評家ではなく、知らない人や興味ない人を簡潔にファン層に取り込む、そんなリスペクターになりたい。おすすめするのは批評よりも簡単で、ただおもしろがっていればいい。岡田斗司夫によれば「最弱は見ても面白く語れないやつ」らしいです。自分はその最弱だ。どうやればいいんだろう。

「自分を見て欲しいリア充、良い作品を勧めるオタク」:岡田斗司夫ブロマガチャンネル

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遙かなる祭の高みへ

リスペクターの使命は、自分が「推す」対象のファンを増やすことである。なぜファンを増やすのかというと、作者や業界を盛りあげるためだ。なぜ盛りあげるのかというと、制作サイドの金回り・やる気に繋がり、ファンにとってさらにおもしろくなることが期待できるからだ。ファンが増え、界隈が盛りあがり、やがてはお祭騒ぎになればいい。それこそがリスペクターの目指す高みではないだろうか。そのためにはまず、我々リスペクターがおもしろがらなければいけない。おもしろさが伝われば、ファンは増えるはずだ。

誰に伝えるのか

それではおもしろさ・魅力を伝える対象は誰なのか。

  • 既存のファン
  • 既知の層
  • 未知の層

この三者になる。既存のファンとは既にファンの人のことで、ここに魅力が伝わればファン度が増し、ファンから離れにくくなる。しかし既にファンであるため、ある程度の魅力は既に知っている。既存のファンへ伝える魅力は、素人に伝えるよりも高度な内容を要求される。またこの層の中でファン度の段階があり、ファン度が低い人に対して急に高度な魅力を伝えようとすると離れてしまう恐れもある。

次に既知の層とは「内容は知っているけれどファンじゃない」という層。この層は揺れ動く層でもあり、既存のファンや未知の層へ布教活動を続けていれば自然になびいてくることもある。いわゆるアンチも含まれるため、面と向かって対処するのは大変だから後回しでいい。

最後に未知の層。「よく知らない人」だ。リスペクターにとってはこの層が一番母数が多く、この層からいかに数多くファン層に取り込むかが第一の関門となってくる。焚付が成功すれば、あとは自らファンとして成長していってくれる。その後は「既存のファン」としてのフォローも忘れないようにしたい。

さて、この中でどの層を取り込むのが重要か。言うまでもなく圧倒的に「未知の層」だ。なぜならもっとも数が多いから。盛りあげるとはすなわち「一般人」を「ファン」に変える活動だと言っていい。その数が多ければ多いほど盛りあがる。だったら「未知の層」にアタックをかけるしかない。これこそがリスペクターにとって第一の具体的な目標になる。

「未知の層」へ伝えるには

未知の層は「名前ぐらいなら知っている」「見たことはある」層から「全く知らない」層まで幅広い。彼らに魅力を伝えるのはある意味簡単だが、注意が必要となる。

良い部分だけを伝える

まず第一に、良い部分だけを伝えなければいけない。どんな対象にも、とらえ方によっては悪く見える部分が存在する。そういうところをひた隠しにして、ただひたすら良いところだけを見せていかなければ一般層はなびかない。彼らはよく知らないため、ちょっと悪い部分が見え隠れするだけで警戒してしまう。

例えば写真で言うと、絶景や動物、服を着たポートレートを見せ、ドギツいヌードや暴力的な描写についてはあまり見せないほうがいい。だいたいの一般層はまだ常識的な判断を好むため、常識的な価値観から見て良いと判断できる部分から広めよう。しかしそういうドギツい暴力やエロなんかは人間の本能にうったえかけるため、同時に魅力を伝えやすい部分でもある。

悪く見える部分をフォローする

そこで「未知の層」に対してリスペクターが行うべきフォローは、常識的な価値観からの承認を与えることだ。もっとも有効なのは社会的権威からの承認であったり、評価を提示してあげること。売れていたり賞を取っていたりすれば丸め込みやすい。説得が得意なら自らの解釈によるフォローという手段もあるが、どちらかというと上級者向けだ。ドギツい部分やエロい部分で惹きつけながらも、常識的な観点からフォローする。そうすれば「未知の層」も安心して魅力を受け入れられる。

キモいファンを遠ざける

同じファン同士について言えば、大体において悪い面もある。すごい人であってもパッと見気持ち悪い人は印象が悪い。新しいファン層を許さないニワカ嫌いの人や、うんちくを語る人も最初は遠ざけて、ネガティブな雰囲気がないライトな空間へいざなうところからスタートしよう。

わかりやすい魅力から伝える

第二に、わかりやすい魅力をわかりやすく伝えること。入門者向けに間口を広くとり、敷居を下げる。のみこみやすいもの、とっつきやすいものから紹介しよう。ミュージシャンで言うところの売れ線の曲がそれにあたる。魅力にハマるよりも先に、魅力に気づくのが大事だからだ。売れてはいないけれどファンおすすめのマイナー曲なんかを一番最初に聞かせてはいけない。イエローモンキーで言えばパンチドランカーあたりから聞かせて最初にジャガーハードペインなんて渡してはいけない(SICKSは一番売れたけど正直ファン向け)。そのときも、決して「お前は初心者なんだからこれから聞いとけ」みたいな態度をとってはいけない。「これはすごくいいよ。楽しいから気に入るんじゃないかな」という具合にふわっと、ライトに。

わからない人を洗脳する

それでも、興味がなかったり好みが合わない人は「何がいいのかわからない」と言ってくる。ファン心理からすればセンスがない、頭が足りないなどと思ってしまいがちだが絶対に言ってはいけない。そしてあきらめてもいけない。しつこく洗脳しよう。しかしそれは露骨にやってしまえば逆効果だ。一番効果のある洗脳とは、自分が楽しんでいる姿を見せつけることである。熱狂している姿を見せてはいけない。ときどきふわっと、なんとなく楽しい雰囲気に包まれているところをアピールする。すると「何がいいのかわからない」と言った人も「なんとなく楽しいもんなんだ」と刷り込まれ、やがては好きになってくれるかもしれない。もし相手が少しでも魅力に興味を持ったら、軽くフォローしよう。どこがどういいのか言葉で伝えるのだ。ここでも決して相手が引くぐらい熱くなってはいけない。軽快に、楽しそうな雰囲気を忘れずに。やり過ぎは禁物だから、しつこいアピールも相手のノイズにならない範囲と頻度にとどめておこう。

全ては祭のため

なぜこんなことをしてまでファンを増やすのかというと、それがいち消費者の枠を越えたリスペクターの使命だからだ。ファン、サポーター、なんでもいい。盛りあげてお祭り騒ぎの高揚感を得るためには、地道な布教活動が基本となる。

最近目にしたのは「騎士団長殺し」祭だった。あれだけ出版不況と言われている中で、一つの本に対する異常な盛りあがり。あれは一体なんなのか。祭としか言いようがない。メディアの効果が大きいのは確かだが、メディアがどれだけ煽っても、中身の分からない小説を買おうとは思わないだろう。むしろどれだけ煽ったの?TVCM打った?広宣費いくらかけた?他の商品に比べてどれぐらい突出していただろうか。せいぜい書店で宣伝したぐらいで、メディアが取りあげたのは騒ぎになってからじゃないか?

出版不況の中で、普段積極的に本を読まない人までがなぜ「騎士団長殺し」は買ったのだろう。ハルキストの功績か?ありえない。作家の魅力であり、作品の魅力であることは間違いない。素人にも分かりやすい魅力とわかりにくい魅力の両方を兼ね備えたのが村上春樹の小説ではないだろうか。それに世界中の読者やファンが感銘を受け、多くの作家やクリエイターが影響を受け、世の中に影響を与えた。それがノーベル賞騒ぎもあって祭となった。この「祭」の姿こそが我々リスペクターの目指す最終的な理想の姿である。ハルキストはさぞ楽しいだろう。それでは、はたして村上春樹が世界一なのだろうか?本来その地位にあってもおかしくない、祭の対象に値するあなたが「推す」作家はいるんじゃないだろうか。ミュージシャンでもいい。画家でもゲームでもブランドでも会社でもスポーツ競技でも、いつの日か迎える祭を目指して、もしくはかつて行われた祭の活況を取り戻すために、我ら信徒は布教活動に取り組むのであります。

ちなみに僕個人は既に大勢の人が盛りあがっているものに対して極めて懐疑的なつもりだが、内容が本当に良質なコンテンツだったり魅力がわかるものであれば乗せられることも珍しくない。理解できないものをクソだというのは自分が好きなものに返ってくるからやめましょう。