憂鬱な春がやってきましたよ

春は何故こうも憂鬱なのか。日に日に日照時間が長くなり、街は明るくなって気温も上昇し、心も晴れやかになろうと思いきやところがどっこい。この内側に充満する負の感情はなんだろう。暖かくなりつつあると言っても最低気温は2℃、必要がなければ外出する気も起こらない。外のベンチに腰掛けて時間を過ごすなんてもってのほか。それどころかベッドから出る気力すらない。外はあんなに明るくなってきているのに、というのも束の間で雲が陰ればあたり一面薄暗くなる。この浮き沈みはまるで心象風景のようだ。そんなときに思い起こされるのはこの言葉だった。

アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ

『右大臣実朝』 - 太宰治

自殺する人の多くが、死ぬ間際は明るかったという話をよく耳にする。「これからというときに」「やっと快方へ向かったと思ったら」一番注意しなければいけないのがこの、周りから見て良い方向に転じたときだそうだ。日本国で言うならバブル期だったり太平洋戦争に突入するときだったりするのだろうか。結果を知った後から冷静に見れば、滅びへまっしぐらなのは明らかなんだけど、渦中にいるときは気づかない。表向きの印象にとらわれず、内実をしっかり見極めないといけない。

歴史の話はさておき、春の憂鬱っていうのはもはや定番で、あらゆる原因については既に語られている。それを自分なりにも考えてみよう。

花粉の季節

これは単純に体調の問題。花粉症というアレルギー持ちにとって、春は憂鬱でしかない。これからの季節ははっきり言って地獄だ。一日でティッシュ一箱使い果たすこともめずらしくない。今のところまだそこまでひどくないが、既に兆候はある。街を歩いていてもマスクしている人であふれかえっている(インフルエンザ予防もあるだろうけど)。花粉症は5月まで続く。ああ先が思いやられる。外国から帰ってきて花粉症を体験するのは2013年以来であり、今のうちから恐怖におののいている。

花粉症もインフルエンザもそうだけど、一番イヤなのは一向に対策がとられる気配がないというところだ。花粉症グッズや薬で業界は潤ったりしている。そんなんじゃなくて、根本的に何とかならないのか。カナダやオーストラリアに住んでいたとき、花粉症もインフルエンザもほぼゼロで実に過ごしやすかった。だったら移住すればいいじゃんって意見もよく見かける。できるもんならしてーよビザそんな簡単にとれねーよ。西洋人が日本に来たらマスク率に驚くと言うが、そりゃああんたらの国ではマスクなんか必要ないですから。

うまくいかなかった結果が表面化する

花粉は言わば身体的要因。春が憂鬱な理由はそれ以外に精神的要因が大きい。この季節は受験が終わったり就活だったり就職だったり進級だったり部署異動だったり転職だったり、結果が表面化する季節だ。何事にもポジティブでうまくいく人はそりゃあ嬉しい季節だろう。おめでとうとしか言いようがない。しかし我々のようにネガティブで何事もうまくいかない人間にとっては、今まで失敗してきた現実を突きつけられる季節だ。

勉強ができない人は受験がうまくいかない。取り柄がなかったり準備不足だった人は就活もうまくいかない。思ったような会社から内定をもらえなかった人は、卒業、もしくは留年とともに迎える春が間近に迫っている。仕事は決算期を迎え、今からどう頑張ってもノルマが達成できない現実に直面する。転職活動に失敗した人は、手元に何も残らないまま秋採用に向けてまた一から始めなければいけない。「もしかしたらなんとかなるかも」などと抱いていた淡い期待は、見事に打ち砕かれる。

冷静に考えれば、同じ失敗を繰り返さないために今できることを地道にこなしていくしかない。しかし現実は心中穏やかでいられない。この世の地獄だ。泣き出しそうになる。

出会いと別れの季節

はてさて、そんなときにふと横を見てみれば、喜びの涙を流す人たち。別れの悲しみも混ざりながら、新しいスタートに向けての前向きな輝きに満ちた他人の姿。苦しい。人は人で、自分は自分だと頭でわかっていながら素直に祝福できない。つい、隣のあの人と比べて自分の人生はなんなんだろう、と落ち込んでしまう。それがNinjo(人情)。そんなうらやましい彼らは新しい未来へ羽ばたいていく。そして取り残された自分。同じ場所から前に進めないでいる自分。待って、行かないでと声をかけたくなる。

共に支え合い、励まし合った人たち。慣れ親しんだ環境。これから待ち受ける阿鼻叫喚の戦場。不安がいっぱいだ。しかしもう、彼らは隣にいない。新しい出会い、新しい環境のプレッシャーに押しつぶされそうになる。もしくはただ別れだけがあり、誰とも関わることのない孤独な戦いが待ち受けているかもしれない。流れていく時間、途切れていく人との繋がり。あのとき、あの人たちと過ごしたかけがえのないひとときは、この春をもって永遠に失われる。救いのない季節だ。

変化に適応できない

冬はまだよかった。渦中にいた。暗い日々とつらい寒さにただ耐えておけばよかった。しかしこれからは変化が訪れる。いくら花粉があり、別れがあると言えど、変化に向けて頑張ってきた人、上手くいった人は春が待ち遠しいだろう。さて、あなたはどちら側だろうか。

ただそうは言っても、憂鬱に悶え苦しんでいたって事態はよくならない。ここで下手すれば同じ過ちを何度も繰り返してしまう。今度こそ頑張れ、と努力を鼓舞したりはしない。精一杯頑張った人もいるだろうから。ひとまず落ち着こう。落ち着くというのは僕みたいにダラけて布団から出なくなるという意味ではない。それも一時はいいかもしれないが、落ち着くというのは焦らずに冷静になろうという意味だ。負の感情を爆発させて嘆き悲しんだり、そうかと思えば一転して必死に頑張ったりするのではなく、今やるべきこと、これからやるべきことをぼんやりと、こまごまとしたことから具体的に浮かべていこう。そして少しずつ、無感情に手を付けていこう。今流行の筋トレから始めるのもいいんじゃないかと思う。

そしてできれば変化のない人に会い、変化のない場所を訪れよう。途切れることのない関係を築いてきた人や、悠久の時を刻む場所が、襲い来る変化から落ち着きを取り戻してくれるかもしれない。今の世の中は何かと「焦り」を煽ってくる。そのスピードに必死でついていかなければ置いていかれるのもまた事実だ。しかし、駆け抜けて事故って死んでしまえば何もかも終わりだ。だからなんとか落ち着こう。ほとばしる激情に振り回されないように。

それにしても、出口どころか入り口が見つかんねー。ほんっとー誰かに頼りたいと同時に、誰にも頼らない自分でいたい。

今週のお題「卒業」