ユニクロのサングラス

サングラスは消耗品である。なぜならすぐになくすから。あと落として傷がいったり形が歪んできたりつるのネジがバカになったり形が気に入らなくなったりするため、今までよくサングラスを買い替えてきた。高いの(と言っても1万前後)もいくつかあるが、消耗品であれば安いのを買い回せばいいと思っている。通販で買ったものもあるけれど、帽子とサングラスに関しては必ず試着して買ったほうがいい。見た目が気に入っても顔や頭の形に合うかどうかはつけてみるまでわからない(サングラスを選ぶ基準の一つとして、眉毛がちゃんと隠れるとかがある)。

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これが今つけているサングラス。オーストラリアで買ったやつで、$7だった。既に何度もつるが落ち、ネジを締め直してぐらぐらきている。縁の色も剥げてきている。ファッションアイテムなんかではなく実用品であり、直射日光が当たる畑仕事中にずっとかけていた。その後も合わせて2年使用し、そろそろ限界だ。700円弱にしては大活躍した。もういつ捨ててもいい。

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その先に何があるのか

あまり考えてない。二手三手先を読むとか、将来を見据えての行動とか苦手だ。詰将棋とか考えるのもだるいと思ってしまう。その先にある利益なりなんなりを考えた上で現在の行動を決める人もいれば、その瞬間がただ楽しければいいっていう人もいる。アリとキリギリスは未来予測が不確かな現代において逆転しているなどとも言われるが、僕個人の話で言えば今の楽しみなんていうのもなかなか見いだせなくてどっちつかずと言うよりは、どちらも手にできないで歯がゆい。先にある不安を軽減するために苦労したって、その先に待っている物事はいずれにせよあまり大した違いがないように思えてくる。手にするまでわからないと言ってしまえばそのとおりなんだが、そのために頑張ろうなんていう気持ちは全く湧いてこなくて、ああ、いつもこんな話してるな。

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蚊柱、夕方、ベストシーズン

蚊柱

河川敷を自転車で走っている。花粉症の季節も終わり、サングラスにマスクの自転車姿が終わった。サングラスは今もつけているが、マスクが外れた分あやしさが緩和された。5月のこの季節、今まで始まりの春だったのがそろそろ本気を出した。真っ盛りである。太陽は照り返し、周囲を温めながら肌を焼く。花咲き乱れ、草木生い茂り、夏に向けての生命活動に満ちあふれた河川敷は、虫だらけだ。いわゆる蚊柱という、立ちのぼる煙のような虫の大群がそこらじゅうでもうもうとテリトリーを築いている。そして、僕は自転車に乗っている。自転車に乗っている人が蚊柱を避けて走っている姿を見たことがあるだろうか。当然ながらその虫の大群の中へと突っ込んでいってしまう。何度も、数メートルごとに。蚊柱と言うが、実際はブユとかブヨとか呼ばれる蚊の幼生だ。あれの大群が、まるでそこだけ竜巻が起こっているように、そこにセーブポイントがあるように、らせんを描きながら飛び交っている。そこに自転車で突っ込むのだ。

その間だけ息を止めていないと鼻の穴から入ってくる。口を閉じていないとクジラのイワシ漁みたいにたくさん食べてしまう。呼吸のタイミングがずれて口の中に入った虫をつばと一緒にペっと吐き出すことが一日に一回ぐらいある。サングラスをしていない日にいっぴき目の中に入って目が腫れた。

河川敷なんか走らなければいい。道路を走れば虫の大群に悩まされることはない。しかしながら、道路には信号がある。信号で止まって信号待ちをしなければならない。河川敷には信号がない。さらに、自転車にライトがついていないため、夜走っていると警官に止めらたとき無灯火でややこしいことになる。河川敷に警官は現れない。

あの蚊柱はとくに夕方ぐらいがやばい。日の沈む時間帯に何か虫たちのもよおしものがあるのだろうか。

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余分なお金と時間があったら

余分な時間とお金があったら何が欲しいか、何がしたいか、ちょっと真面目に(その発想自体真面目じゃないんだけど)考えてみる。そうしないとあまりにもつまんねーねんまつが毎日続いているような感じで、日常の中に喜びや楽しみを見出すってのはそれはそれで素晴らしいことだと思うんだけど、この歳にもなるともう何もかも新鮮味に欠けて、なんかこう希望のない生活というのは抜け殻みたいで張り合いがなく、やるせない、みるみる堕落していく現状だ。そんな欲望より目先の生活を立て直すことを真剣に考えないと、という発想もあるんだが(再就職とか)乗り気になれない。最終的にはどうでもいいやと思ってしまっているところがあって、いざすっからかんになって路頭に迷うまで何もしないというか、路頭に迷ってからも真面目に考えないことが容易に想像できる。真っ当に生きる道はあきらめた。遠い昔に。その時点である意味自分は死んだようなものだったから、その先はもう野垂れ死ぬまでてきとうに生きればいいやと思っており、まだかろうじて生きているならその間はそれなりに何かやらないと暇だなーと思っている次第であります。

さて、余分なお金はないんですが、あると仮定すれば自分は一体なにがしたいのか、どう使うのか、もう一度頭の中をおさらいしてみる。物は、持ち運ぶのが大変だからなるべく減らしたい。ロマたちは貴金属を身につけることで財産を持ち運びながらノマド生活を送っていたらしい。自分はクレジットカードも銀行口座もあるためそのへんは不要だろう。物を買うというのは基本的に無し。移動どころか保管も処分も費用がかかる。服やガジェットなんかも日常において必要な分以外はいらない。今のところMacとカメラで事足りている。本は安いし処分もしやすいからときどき買っているけれど、なるべくなら電子書籍で買いたい。電子書籍なら劣化しないし大量に持ち歩ける。紙の古本よりも電子書籍のほうが高いからあまり買えていない。「あればいい」という程度ならいくらでも欲しいものはある。新しいカメラ、スマートフォン、タブレット、でも今お金があったらそれらを買うかっていうと、買わないだろうな。会社員のときだってボーナスまるまる使わずに銀行口座に入れっぱなしだったぐらいだから。必要ないし、そこまでどうしても欲しいわけじゃない。10億ぐらいあったら買うかもしれない。

他に何かお金と時間を使うあてがあるかというと、本当に選択肢が少ない。人との交流にお金や時間をあてるのはそんなにおもしろくないし、勉強とかなおさらだるい。イベントやワークショップなんかに時間とお金を使う人は世の中にたくさんいるが、あーいうのが割りと信じられない。すごく損した気分になる。タダなら検討することもある。投資とか仕事とか、そっち方面に興味関心を持てたらよかったんだろうけど、いずれにせよ先立つお金を手にするほどの意欲が湧かない。やっぱりなんだかんだで旅行ぐらいしか思いつかない。ただ実際のところ旅行もかなり食傷気味だった。ここ5年ほどで行きたいところはあらかた行ってしまい、あとはそこそこお金のかかるところが残っている。誰かロシア行きの費用を持ってくれるなら全然行きます。旅費を稼ぐほどの意欲はない。そうは言いつつも日本に帰ってきてもうすぐ丸1年が経過しようとしており、さすがに旅行不足を感じて来月ちょっと近場に行ってくる。

残された時間と残り少ないお金、どう過ごせば自分にとって一番おもしろいんだろう。お金を稼いでまでやりたいことって本当に全然ない。過程の労力を突破できるほど、何かに興味や関心を持てたらいいんだけどな。ずっと恐怖心だけを原動力に今まで動いてきたから、そういうのはさすがにもう疲れた。

週刊日記

「記録キューバ旅行」に触れてもらった

「記録キューバ旅行」を3月中旬からKindle書籍としてAmazonに載せている。これはブログで公開しているキューバ旅行記に大幅な修正と写真を追加したもので、一冊にまとまっており読みやすくなっているはず。買ってくれた人はこの2ヶ月で10数人と非常に少ないが、そもそも存在すら知られていないだろうし、テーマもかなり偏っているため仕方ない。おもしろいかどうかは読んで判断してもらうしかないが、大体の部分はブログ上で公開しているため買う前に中身を確認できる。

さて、そんな「記録キューバ旅行」が他のブログで触れてもらった。嬉しかった。また、内容を見る限り好意的な印象を持ってもらえたみたいで良かった。と思っていたら、この人は去年に巨乳ポールダンサーの記事で注目を集め、現在webライターとしても活躍されている人だった。僕も自称ネットヲッチャーだから存在は知っていた。

触れてもらった記事

話題になったポールダンサーの記事

連載されている媒体

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習慣について

習慣として日記を書く人がいる。web日記あれこれというよりも、紙の手帳や日記帳に書く人が多い。日記を書く人が、書くようになったきっかけは様々だ。誰かに言われて幼い頃から書いている人もいれば、日記帳を買ったのがきっかけで書き続けている人もいる。「なんで日記書くの?」と聞けばだいたい「習慣だから」と返ってくる。それは「特に意味はない」といった風の答えだ。しかし一度習慣が身についてしまった彼らは一様にして「毎日書かずにいられない」と答える。僕のように日記を書かない人間からすれば、この流れは全般的にわけがわからない。でも習慣っていうのはそういうものらしい。

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村上春樹小説の性描写を数えてみた

村上春樹が7年前に書いた長編小説「1Q84」を昨日読み終えた(「騎士団長殺し」はまだ読んでいない)。読んでいてどうしても気になったのが、この本セックス多すぎない?もともと性描写の多い村上春樹小説だが、それにしても1Q84は多い。ところどころでやりまくりだ。挙句の果てには世間を騒がせる細身巨乳の女子高生作家「ふかえり」とまで行為に及んでいる。読んでいて「結局やるんかい!」と思わずツッコんだ読者も多かったことだろう。

コンドームをつけなくていいのだろうか、と天吾は不安になった。(文庫版4巻p51)

この小説ではトータルでいったいどれだけ性行為が行われたのだろう。もしかしてあの「ノルウェイの森」を越えたんじゃないか。気になって数えてみた。こんなバカなことを既に思いついて調べた人もいたと思うが、ネットで検索しても出てこない。「1Q84」「ノルウェイの森」以外はどうだろう。手元にある村上春樹作品を全部引っ張り出して数えてみた。

  • 0回 ご家族でも安心して回し読みできます
  • 1回 ハリウッド映画でもこのぐらいは
  • 2回 中心的なテーマではないけれど
  • 3回以上 おーい、やってるかい?
    • 「ダンス・ダンス・ダンス」
    • 「国境の南、太陽の西」
    • 「海辺のカフカ」
  • 5回以上 もうね、日常茶飯事
    • 「ノルウェイの森」
    • 「1Q84」
  • 全体的な傾向
  • 純文学ではありがち
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「1Q84」感想・書評

一週間ぐらいかけて1Q84を読んだ。率直な感想としては、村上春樹の本としては珍しい部類だった。まず、暗い話ではなかった。何事もなくすんなりとハッピーエンドを迎える。村上春樹の新しめの作品はハッピーエンドな傾向が高い。たとえば「海辺のカフカ」もそうだった。万事解決して終わる。多崎つくるはどうだったか忘れたが、ある程度解決していたように思う。それにしても、何事もなくすんなりと終わるのは珍しい。

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バイトの話

バイトの話って言えば今生活のためにしかたなくやっているバイトの話で、少しでも働かずに暮らしていければ理想なんだがなかなかそうもいかない。それでも、最近始めたバイトはこの数年の間にやっていたラーメン屋や農業にくらべ、気持ちの上でかなり楽だ。初めからわかりきっていたことだけど、飲食業や肉体労働といった「いわゆるそっち系の仕事」はとことん向いていない。カナダのラーメン屋に関して言えば2ヶ月でクビになった。オーストラリアの農業については良い扱いを受けて給料も良かったものの、虚無的な日々を送っていた。虚無的という意味では今もそれに近いが、農場にいた頃は週休1日で労働時間が長く、周辺に何もなくて他にやることがないため抜け殻状態だった。

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週刊日記

よくないことが続いている。本当だろうか。もしかすると、よくないことだけが記憶に残っているのかもしれない。よいことは認識していないのかもしれない。実はよいこともおこっていて、という事実がどこかにあるのかもしれない。よいこととはなんだろうか、うまくいったことだ。よくないこととは、うまくいかなかったことだ。もしくは偶然もたらされた幸運だったり不運のことを指す。

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