前回の続き
カメラのキーホルダーをカバンにつけている。2015年にストックホルムのフォトグラフィスカで買ったもので、今回旅行するリュックを買ってからずっとつけていた。それがこの関空に来て壊れた。
レンズの部分がとれた、不吉だ
続きを読む6月を振り返っていなかったので雑に振り返る。6月は本当に一瞬だった。いつもそう言ってる気がする。ブログはあまり更新していない。21回だがそのうち8回が写真。1年ぶりに旅行した。すがすがしかった。3泊4日だったんだけど、ちょうどよかった。あと一日多くてもやることない。まあ人に会う予定でもあればそうでもないんだけど。今香港の日記を書くのに苦戦している。めちゃくちゃめんどくさい。僕は別に文章読むのも書くのも好きじゃないんだってことをしみじみ実感する。
続きを読む出国の搭乗時間は朝8:50、搭乗手続きは遅くとも30分前までに終わらせないといけない。空港で1時間余裕を持って行動しようとすると、朝7:20には空港に着いていなくてはならない。自宅から関西国際空港までは2時間半かかる。となると自宅を出るのは朝4:50、そんな時間に公共交通機関は動いていない。第一、4時台に起きて移動するなんてしんどい上に起きられる自信がない。そういうわけで、いつものように空港泊することにした。
いつものようにと言っても最後に空港へ行ったのは去年の6月。もう1年もご無沙汰であり、旅行そのものに対してやや臆病になっている。根拠のない弱気。「イスラエルに比べたら何も心配いらない」そう思いながらリュックを背負い、夜の空港へ向かった。
続きを読む去年の旅行は一ヶ月弱だったため、LCCに乗る際も預入荷物があった。今回は3泊4日と非常に短い旅行だったから荷物が少ない。30Lのバックパックで旅行した。通常のリュック、いわゆるデイパックと呼ばれるものが15Lサイズで、少し前に流行ったアークテリクスのリュックが22Lサイズ、30Lというと少し大きめ。でもこれぐらいのサイズなら機内に持ち込める。
機内持ち込みだけの旅行は快適だった。LCCは預入荷物が有料だし、手荷物だけならロストバゲージの心配もない。何より飛行機を降りたあと、流れてくる荷物を待たなくていい。リュックだから両手も空くし、重量制限があるため重くもない。
カート付きのスーツケースにも機内持ち込みサイズというのがある。なぜあれにしなかったかというと、持っていないから。あと僕みたいに旅行中全て持ち歩くなら、ガラガラ引っ張らなければならないスーツケースは不便だ。スーツケースでの旅行はタクシーの移動が基本だったり、荷物はホテルに置きっぱなしで手ブラで観光する旅行に限る。
先日3泊4日で香港へ行ってきた。ついでにアジアのシリコンバレーと呼ばれる深センにも寄ってきた。香港へはいつか行こうと思っていたところ、片道だけLCCのセールチケットが取れたため、今回やっと行くことにした。それが全体的に結構格安になったので、書き記しておこうと思う。関空ー香港間は飛行機でたった3時間という近さ。新幹線なんかに乗って下手に国内旅行するより早いし安いですよ。
おいおい使いまわすと思うけれどとりあえず写真
白黒だとマジいつだよって感じ
明るさを調整するとサイバーパンクに
もういちょサイバーパンク
もはやスターウォーズっぽい
週刊なのに日記。もはや週刊ですらない。ダラダラした日々を送っている。毎日お酒を飲んで何もしていない。堕落の一途を辿る日々。
続きを読むダイキリがうまかった
— 川添 (@KAWAZOI) 2017年6月20日
『ハイファに戻って/太陽の男たち』の文庫を買った。今年(2017)の6月に発売されたものだ。これ、なんで文庫化されてんの? 原著が発表されたのは1960年代、日本語版は2009年に単行本が出ている。著者はガッサーン・カナファーニー、この人有名なの?文庫は新刊として街の本屋に置かれ、帯には西加奈子の推薦文が書かれている。すごく違和感を覚える。
というのは、外国の小説って全然文庫化されていなかったりすぐ絶版になっていたりするから。事情は知らないが、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』だって文庫化されていない。ジョン・アップダイクの『ケンタウロス』だって文庫化されていない。他にも翻訳すらされていない、文庫化されていない、絶版になっている著名な本がたくさんある中で、なぜ『ハイファに戻って/太陽の男たち』の文庫化なんだ。そんな人気が高いの?何か事情があるの?経緯がすごく気になる。
ガッサーン・カナファーニーはパレスチナ人のジャーナリスト兼作家、パレスチナ解放闘争の活動家だった。1972年、レバノンのベイルートでイスラエルの諜報機関モサドによって車に爆弾を仕掛けられ、暗殺されている。一方で小説はというと「現代アラビア語文学の傑作」と評価されている。このような経歴の著者だから、読んで幸せな気持ちになる作品ではない。しかし人間生きていれば、とことん悲しい気持ちになったり暗い気持ちになりながら、悲劇について考える時間も必要なはずだ。
それでは数が多いので全部紹介できないが、一部引用したりしながら紹介してみる。
小説?散文?校舎に包帯をぐるぐると巻いていく話。パラパラマンガ見てるみたいだった。
包帯に摑まったその子が、顔をこっちに突き出す。修復途中の窓ガラスにあたってしまう。私たちは慌てて窓を開ける。その子がもう一度顔を突き出す。非常ベルで光った赤い顔がはっきり見える。苦笑いしてる。
なんか頭のなかで浮かんだ言葉を片っ端から書き並べたような文章。
けど、 ドンキに行ったこと二回くらいしかない、のに、これ歌えるのってすごくない、この歌のひろまりぐあいすごくない、この歌、作詞作曲したひとすごくないですか、
短編小説。クローン人間の一生みたいな話。寝ている間に夢を見て、夢であることを自覚できることもあるんだったら、意識的に夢を見ることができる人がいてもおかしくない。20歳のときにできた子供と50歳のときにできた子供へ遺伝する情報に30年間分の差があるとしたら、記憶の遺伝があってもおかしくないよなーと思った。
実体を持たない集団が語る声を、実体を持つ個はその耳でもって聞くことができるのか。
実と虚のふたつの空間を隔てるものがボリスの認識にはなかったといえる。
歌集。ヒドゥン・オーサーズ作品群の中で一番好きかもしれない。それは多分僕が若々しいものと都市の雰囲気を好む傾向があるからだろう。状況描写と心象の組み合わせが好きです。
明らかに異様な音を立てていた間違ったとこ開けようとして
統合失調症の人の頭の中を文章でつづったらこんな感じになるんじゃないか。いろんな意識が溶け合って混ざりだしてはっきりしない。
ねえ、私はスーパーのこと、これからマーケットと言うようにしたいんだけど。と 試しに今の夫に相談してみると、スキニシタラ、と言われた。
高校の文芸部の部誌『北陵』第100号発刊記念の冒頭挨拶文が延々と続く。最初はすごく笑っていたけれど話がどんどん未知なる方向へ展開していってわけわからなくなったと思ったらまとまってくる。
つまりは鳴海高校文芸部の初代部長はそもそも人類と出自を異にしているのではないか、という議論が持ち上がったのも無理からぬことです。
歌集。とにかく女の人っぽい。持ってくる題材や目線、見る対象。
あのひとは光に乗ってしまうのではないかというほど咳していました
ヒドゥン・オーサーズの中で一二を争うほど一般人が読める文体で書かれている短編小説。近所で餌をやっていた猫が死んで埋めに行く話。
少なくともここであれば穏やかに眠ってもらえそうだ。自分が死んだときもここに埋めてほしいとさえ感じた。
本当は全部読んだし好きな部分や感想もいっぱいあるんだけど長くなるしめんどくさいんでやめます。ぜんぜん違うぞって苦情は甘んじていただきます。
続きを読む1.クリーム
心臓のリズムに沿った足音をクリーム色のシャツがむかえた
2.溝
昨日から右手に残る感触が溝の底よりあふれでている
3.万緑
どこかしらつづく万緑どこまでも見上げてもそう、深く吸い込む
4.雨
雨の味、あまくてからい通り雨。なまぐさい飴、一部噛み切る
5.きみ
ふところのきみのかたさをもてあそぶ 明日の朝まで十年後まで
袖通すこの日のためにあつらえた素材が肌をしっかり刻む
facebookを立ち上げたマーク・ザッカーバーグの、ハーバード卒業スピーチを今更ながら聞いた。イノベーターによる卒業スピーチと聞いて真っ先に思い浮かぶのが、スティーヴ・ジョブズのスタンフォード大学スピーチ。同じIT起業家ということもあり、どうしてもマーク・ザッカーバーグのスピーチと比較してしまう。スティーヴ・ジョブズのスピーチ内容はあまり覚えていないけれど、個人の人生の歩み方について、自身の経験を踏まえ語ったような内容だった。今回のマーク・ザッカーバーグのスピーチも大学卒業後の生き方を説く内容ではあるんだけど、個人の生き方というよりはむしろ、社会に対する関わり方みたいな話だった。スピーチの内容について、ところどころ噛み砕いていきたい。