日常のなんでもない話6

先日、実家へ帰った際に、やることがないので本を読んでいた。すると母親から、

「何の本を読んでるの?」

と聞かれたので、表紙を見せた。

「えらい汚い本やね」

「中古で100円で買ったから」

「古本かー誰かわからん人が触ってそんな汚なった本よう触らんわー」

 

こういうやりとりがあった。うちの母親は昔から古本とか貸本とか図書館とか利用しているくせに、何を今更そんなこと言っているのか。矛盾しているどころか意味がわからなかった。

母親はともかく、世の中にはそういう人が一定層いるのだろうと思った。

僕自身、きれいな新品の本をわざわざ買っていた時期もある。それは、古本の存在を知った後であっても、心境の違いで新品を買っていた。景気が良くなれば、わざわざ古本で買う人の方が少なくなるだろう。

だから、つまり、中古の市場が出版業界を圧迫しているどかうの、というよりは単に景気とか嗜好で左右されるなあと思いました。

 

オタクに対する世間一般の嫌悪感について。

数年前、僕らが学生だった頃、そういう話題がよく見られた。その当時はある意味オタクブームであって、秋葉原が観光地になったり、電車男が映像化されたり、げんしけんなんていうオタクをテーマにしたマンガもあった。

いつしかオタクブームは終わり、世間では受け入れられたのか、あまり話題に上らなくなった。しかし僕が感じるのは、オタクが一般化した面はややあるものの、市民権を得たというよりは、どちらかというとオタクがいた場所が一般化して、オタクは居場所を追いやられているように見える。現場に最早オタクの姿はない。そして話題に上がらなくなったのではないか。

インターネットは昔オタクしかいなかったが、今は一般勢に押されて肩身が狭いのではないか。こうも周りが普通の人ばかりになると、アニメキャラのアイコンを使用しているだけで偏見の目で見られ、まともに話を聞いてもらえないとか、気持ち悪がられるなんてことは日常的にあるのではないか。

そしてインターネットにおいても、片隅に追いやられ、元々オタクメインのコミュニティだったのが、いつしか普通の人ばかりになる。そういった現象を見たことはないだろうか。それは何もオタク文化に限らず、大衆化のパターンだったりする。昔はネットにおいて一般人、つまり非オタクの方がマイノリティだったが、それが大衆化することによって逆転した。

 

僕は中高生の頃からサブカルチャーに関心があったので、遠くから眺めていた。

一口にサブカルと言ってもいろいろあり、オカルトやB級映画、マイナー格闘技など、大槻ケンヂ的なものが好きだった。しかし、いわゆるオタク文化においてのある種の気持ち悪さを受け入れることができなかった。

その受け入れられなかった部分というのは、女性の偶像に対する崇拝の部分だった。女性そのものではなく、偶像に徹底しているあの都合の良さ。基本的に創作、偶像なんてのは都合のいいもんだけど、そこに性欲を絡めた気持ち悪さというのは、非オタクの人は感覚で同調できるのではないだろうか。その部分に関しては、僕は一線を超えることが出来なかった。

 

よくある議論として、趣味は趣味で同じなのに気持ち悪いか否か、差別されるかされないかの違いはどこにあるのだろうか、というのがある。なぜサーファーは、ボーダーは、フットサルは、差別されずに、オタク趣味は気持ち悪がられるのか、と。

これは、やってる人の違いだとか、やってること自体の違いだとか、あらゆる要素が重なってそういう結果に至っているんだけど、細かく見ていこう。

一つは、見た目の問題がある。サッカーにしても、サーフィンにしてもボードにしても、ファッションと連動している。服装であったり髪型であったり、スポーツブランドと提携していたり、デザインがかっこよかったり、最近では自転車やアウトドアも見た目からかっこいい。野球はそうでもないけど。

オタク文化にはそれがない。強いて言えばコスプレ。これは世間のいわゆるファッションとは世界が違う。

コスプレは置いといて、話はそれるがオタクは身だしなみが酷いケースをよく見かける。これも二つの方向性に別れる。かっこ悪いか、もしくは不潔か。サーファー、ボーダーにもそういう人はいるかもしれないが、あまり目立たない。

オタクがださくて不潔なのは、趣味にのめり込むあまり、身だしなみや服装にまで気やお金が回っていないことが見受けられる。これは正直スポーツマンにも見受けられる。

一般的に趣味の範囲で留めている人は、私生活をまっとうにおくれる程度に趣味を留めている。趣味のために風呂に入らないとか、髪を切らないとか、爪を切らないとか、ずっと同じ服を着ているということはない。

そのへんが世間ずれしていない。

 

オタクが疎まれるパターンとしては、その見た目(服装や髪型、臭い、体型、不潔度など)と中身(社交性、しゃべり方、声、性格、趣味一辺倒であったり、現実と趣味の世界の境界が曖昧であったり、幼い性格、傷つきやすい、怒りやすい、無口、一つの話題だけ喋りすぎ、)

 

 

だから、オタクも趣味以外の分野にも気を遣い、趣味のわかる人以外とも関わり合い、趣味は趣味で割り切っていれば、それほど差別されないのではないか。あの人はあれが好き、で十分だと思う。「あの人にはあれしかない」という状態に陥ってはいないだろうか。

 

そういう意味では、もっと多趣味になってみるのもいいと思う。楽器をやってみるとか、スポーツをやってみるとか。

 

同じことをやっていても、一方では気持ち悪く見え、もう一方では普通に見える。そういう趣味もある。経済や格闘技、モータースポーツ、写真、旅行なんかはそうではないだろうか。全部私なんですけど。

 

また、よほどかっこいい人がやらないとかっこよくならない物もある。将棋、鉄道、

眠くなってきた。